2018年12月28日金曜日

ツイッターの話と閲覧数ベスト10

アッという間に今年も終わりそうだ。わが家の卓上カレンダーもクルマからハマショー師匠に交代準備中である。





この12月からツイッターを始めてみた。今更という感じもあるが、なんとなく面白い。言いたいことをキリっと短文で仕上げる作業は脳トレみたいな効果がありそうだ。

フォローしてくれる人はちっとも増えないのだが、閲覧数という意味では、さすがにツイッターは裾野が広い。結構な人が覗いてくれる。

毎朝のようにその日に履いている靴を画像付きで載せたりしているのだが、それはそれで靴のローテーションを考える上でも良い記録になっている。

いい歳してSNSで遊ぶのは自己顕示欲バリバリオヤジみたいでビミョーだが、世の中の趨勢にチョロっとでも乗っかっていたい中高年の焦りみたいな感覚もある。せいぜい面白がってみようと思う。

ツイッターでの登録名は「fugoukisha」です。私が毎日履いている靴の自慢?を見てくれる奇特な人がいらっしゃったら是非フォローしてください。

さて、今日は今年最後の更新なので、1年間の閲覧数ベスト10を紹介したい。社会的に意義深いことも書いている?のだが、結局は銀座の夜の話や靴の話ばかりが上位に並んだ。

トップは銀座でワイ談ばかりしている話である。


銀座の部活 

恐らく閲覧数が増えるものはその日に載せている画像の影響もあるのかもしれない。ここに載せた画像も良い感じだ。



続いては靴の話。なぜこの話が多く読まれたのかは自分でも想像できない。

ヤフオクでエドワードグリーン 



3位はこれも銀座の夜の話。画像のインパクトが影響しているのだろう。読み返してみると少し恥ずかしい。

銀座 同伴 オレの谷間



以下はタイトルだけ列挙してみる。

チン毛の引っ張り合い 


娼婦と靴


社交的なのか人嫌いなのか 


銀座 色の道 


パリ エクレア トリュフ 


銀座のミニクラブ 


カジュアル靴の話


まさに雑文天国みたいな結果になった。来年もおそらく誰の役にも立たないだろう下世話な話を書き続けていこうと思う。

新年は17日から更新を始めます。良いお年を!

2018年12月26日水曜日

赤坂見附「七拍子」、銀座「美らしゃぶ亭」


15年ぐらい前だったか、鹿児島を旅した際に「豚しゃぶには蕎麦つゆ」という定理を学んだ。それ以来、バカの一つ覚え状態だ。

抜群に美味しい豚しゃぶを食べさせる店が銀座8丁目の「美らしゃぶ亭」だ。小、中、高の2コ下の後輩がオーナーだから言うわけではないが、圧倒的に美味しい。

お値段も結構な水準だ。普通の牛肉のしゃぶしゃぶ専門店のほうが安く上がるかもしれない。それでも私は牛のしゃぶしゃぶより断然こっちを選ぶ。


沖縄の銘柄豚を常時6種類ぐらい揃えている。かの有名な幻の豚「アグー」が上から3番目ぐらいの値段設定である。

パイナップルを食べさせて育てたという、その名もパイナップルポーク、サトウキビで育てたキビまる豚など、見た目も麗しい豚肉がラインナップされている。

つけダレは、シークワーサーぽん酢、シークワーサー塩ぽん酢、蕎麦つゆの3種類が標準で出てくる。もちろん、私は蕎麦つゆ派だが、その他のタレも美味しいらしい。

しゃ~ぶ、しゃ~ぶと豚肉を5~6秒も鍋で泳がせばほんのりピンクに色づく。甘味と旨味が凝縮されていて最高だ。10秒も泳がせたらやり過ぎなぐらいである。

どの銘柄豚も肩ロースとバラが用意されている。赤身部分が多いのが肩ロース、白っぽいのがバラだ。

バラはぱっと見は白過ぎて敬遠したくなるのだが、そこが豚と牛の違いである。断然バラがウマい。ちっともクドくない。甘味が最高だ。

初めて連れていく人が相手だと肩ロースも注文するのだが、リピーターと一緒だとバラしか頼まない。肉の脂がすっかり苦手になった私が断固そうしているわけだから間違いないと思う。


こちらは単品メニューのアグーソーセージだ。素直にウマい。単品には定番の沖縄料理のほか、シュウマイや餃子なんかもあって、どれもキチンと美味しい。

綺麗な個室もあるから接待のような場面でも使えるし、デートにも使える。価格帯の面で若い客は少数派だから、大人向きの良い店だと思う。

さて、話は変わる。

親しい友人が居酒屋をオープンさせた。赤坂見附の「炭火焼 七拍子」がそれ。大学時代に応援団で活躍した男だから、それに由来する店名にしたようだ。



先日、まだ内装の仕上げ段階の時期に無理を言って宴会をやらせてもらった。テーブルが4卓とカウンター。ヤツが切り盛りするには程よい大きさだろう。

どんなメニューが定番になっていくのか、まだ分からないが、宴会用に出してもらった料理を食べる限り、友人がこれまでいろいろ経験したことが活かされているようで楽しみだ。

まあ、こういう店はグルメぶって何がウマいのマズいのと言うジャンルとは違う。見知った顔で集ってワイワイやるのが正しい使い方だろう。




この日はやたらとウマいステーキや炭火で美味しく仕上げた焼鳥などのほか、「痛風鍋」と称するオッサンなら卒倒するような鍋を出してもらった。

白子やカキやタラがテンコ盛りだった。旨味たっぷりでホカホカになった。〆の雑炊の味は私のボキャブラリーでは表現できない。まさに天国にいるかのような味だった。

赤坂見附は東京各地から集まりやすい場所だ。友人たちと集える店がそんな場所にできたのは有難い。来年はヘビーユーザーになっていると思う。

2018年12月21日金曜日

天皇陛下が命名された魚


平成最後の年の瀬だ。メディアなどではこの30年を振り返る企画が目につく。

私の世代にとって平成は社会人としての歩みそのものだ。昭和の終わりに学生生活に別れを告げて社会人になった。

自分では昭和人を自認しているが、平成の世に社会のど真ん中に生きていたことになる。

バブルやその後の低迷期、その後現在に至るまで社会の最前線で過ごしてきた。気づけば勤労世代の中では年長側になった。

天皇陛下といえば昭和天皇の印象が強かったから、今上陛下が即位されてしばらくは“皇太子殿下”としてのイメージが残っていた。もちろん、年月とともにそんな感覚は消えてなくなった。

今の皇太子殿下にもしばらくは同じような印象が残るのだろう。それにしても来年からは天皇陛下が年代的に近くなることが驚きである。

自分の加齢をこれほど痛感することはない。天皇陛下はそれこそ国の象徴だから、それぞれの世代の国民が時代の転換期にさまざまな思いを抱くのだろう。

昭和天皇が植物の研究にご熱心だったように今上陛下は魚類の研究で有名だ。日本魚類学会に所属され、とくにハゼの研究で知られている。

昭和の終わり頃にダイビングを始めた私にとって平成はいわば世界の海を潜りまくった時期でもある。

水中写真撮影にハマって、一時期はハゼばかり追っかけていた。その関係で一般の人よりはハゼの名前を結構知っているが、実はダイバーに大人気のハゼの名前が今上陛下の命名によるものだという話を聞いて驚いたことがある。

ウソかホントか自信が無いので、今回これを書くにあたって一応ネットで調べてみたのだが、どうやら本当らしい。だとしたら、日本の全レジャーダイバーはぜひ知っておくべき話だと思う。


まず最初はアケボノハゼである。今日紹介する3種類のハゼの画像はいずれも私が撮影したものだ。

アケボノハセは写真派ダイバーにとっては大人気のハゼである。割と深い場所に生息しているため、なかなか出会えず憧れの魚みたいに扱われることもある。

私自身もハゼの中でもとくに美しいと思う。この魚に「アケボノ」という言葉を当てはめられたセンスは凄く素敵だと思う。



こちらはニチリンダテハゼだ。背びれに丸の模様があり、日輪を立てているような姿からこの名前がついている。

日輪は太陽や太陽の輪郭を意味する言葉として使われるが、これまた実にマトを得たネーミングだと思う。

沖縄でも見られるが、私の印象としてはフィリピンの海で浅い水深からやたらとゴロゴロ見られるハゼだ。

日輪をパっと立てていないと絵にならないから結構被写体としては厄介だが、その美しさが清々しくて大好きな魚のひとつだ。



こちらはギンガハゼ。銀河のギンガである。斑点模様が星のようだからというのが由来だ。ロマンチックな名前だ。美智子皇后のアドバイスを受けて天皇陛下が命名されたという話がネットに載っていた。

真偽は確かではないので、違っていても怒らないでください(笑)。

ちなみに、1枚目の顔面のアップ画像は間違いなくギンガハゼだが、二枚目の横向きの画像は斑点の入り方が独特なので、ひょっとすると違う種類かもしれない。
もし詳しい人がいたら教えてください。

ここで紹介した3種類のハゼは、そこそこマメに潜っている程度のレジャーダイバーなら誰もが名前を知っているほど人気がある魚だ。

そんな魚の命名に天皇陛下が関わられていたという話は、平成全期間にわたって水中撮影を趣味にしてきた私にとっては何とも感慨深い。

平成最後の年の瀬にゼヒとも紹介しておきたかった話でした。

2018年12月19日水曜日

食べさせたがり


教えたがり、語りたがり。中高年の悪いクセである。やたらとゴルフのスイングを指導したり、自分の成功体験なんかを披露したがる人は多い。あれは格好良い姿ではない。

でも、その気持ちはちょっと理解できる。私は「食べさせたがり」である。ウマいものをやたらと食べさせたくなる。教えたがり、語りたがりと似たようなものだ。

飽食の時代を長く生きてくればウマいものに数多く出会う。目ん玉飛び出るぐらい感激したモノも多い。それを若い人達にも知らせたい。伝道師みたいな崇高な志である。ウソです。

高校生の娘にも、アレはウマいぞ、コレを食ってみろなどとグイグイ勧めてみるのだが、ヤツは蒙古タンメンとかタピオカドリンクのほうが嬉しいようだ。

せっかく寿司屋に連れていこうとしても焼肉屋に連行される。ちょっと張り合いがない。


先日、トリュフ未体験という若い人に目の前でガシガシとトリュフを削って仕上げるスペシャルオムレツを食べてもらった。

ウホウホ言って食べる姿を見るのは楽しい。こういう行動は大人の嗜み、いや使命みたいなものかもしれない。

学生時代、アホほど大食いだった私にいろんなものを食べさせて楽しそうにしていた祖父の気持ちが今になって分かる。

「オレはいろいろとウマいものには詳しいんだぜ」といった自慢モードではない。もっと単純だ。ただ嬉しい。

スーパーで売っているウナギしか食べたことがないという若者を上質なウナギ専門店に連れていけば感激してくれる。本気で感激されればこっちも嬉しい。

ひょっとしたら感激のせいで私の存在までもがその人の記憶に長く残るかもしれない。そうだとしたら、私にとっては生きてきた証を残したようなものだ。

ちょっと大げさだ・・・。


土鍋フカヒレ飯である。ジュージュー音を立てながら出てくる。さきほどのトリュフオムレツと同じく銀座にある「まる市」という料理屋さんでの一コマ。

フカヒレを割と良く食べる私でもワクワクする。しょっちゅう食べない人なら余計にムホムホしそうなビジュアルだ。

若い人が嬉しそうに、かつウマそうに食べるのを見るのは楽しいだけでなく、チョットうらやましい。

自分がガシガシ食べられなくなってきたから、尚更食べさせたがってしまう。時には「フードファイトみたいでつらかった」とか言われて反省する。

高級なものばかりではない。渋い大衆酒場の牛すじ煮込みやモツ焼だって、馴染みのない人にとっては画期的な味だろう。知らない人には教えたくなる。


この画像は知る人ぞ知る巣鴨の名門大衆酒場「千成」で撮った。私としてはトリュフよりオススメだ。

スタイリッシュなチェーン店の居酒屋では出せない得も言われぬ大人の味が楽しめる。

この店の最終兵器!?がウニスパゲッティである。パスタとは呼ばない。スパゲッティである。だしの風味とウニの風味が絶妙でいくらでもペロペロ食べられる。

本格イタリアンで出されるウニのパスタを知っている人でも、このウニスパゲッティには感激できるはずだ。


2~3人前のサイズなので、一人でふらっと飲みに行っても注文できないのがツラい。ウマいものは誰かとともに味わい、喜びを伝えていかないとダメだという深い教訓が秘められているような気がする。

2018年12月17日月曜日

冬の味 ホフホフ食べる


気づけば真冬である。ちょっと前まで暑くて死にそうだったのに今では寒くて死にそうだ。

熱燗をキュ~っとひっかけると身体の奥の方からジンワリしてくる。この季節ならではの楽しみだ。

熱いおでんなんかをホフホフ食べるのもオツである。私はかなりの猫舌だが、さすがに冬は熱いものが欲しくなる。

というわけで、おでん屋に出かけた。銀座8丁目の細い路地に構える「魁」という店に行ってみた。

適度な狭さが快適だ。おでん屋さんのポイントかもしれない。だだっ広いおでん屋なんて想像するだけでシッポリ気分にはなれない。


おでん以外の一品メニューもニクい品揃え。赤いウインナーのタコバージョンもあった。昭和人としては頼まないわけにはいかない。こういうもので酒を飲むのが結局のところ一番心に染みる。

肝心のおでんだが、味は良かったのだが、なんとなくヌルかったのが残念。おでんがヌルいのは致命的だろう。ホフホフ出来ないのは問題だ。

とはいえ、結構な繁盛店だったから、たまたまこの時だけだったのかもしれない。でも、一度そんな経験をしちゃうと次はちょっと足が向きにくい。



猫舌の私でも、なんでもかんでもヌルければいいわけではない。的確な熱さは大事だ。

以前、適当に入ったラーメン屋で、冷たいネギともやしがドッサリ投入されたラーメンが出てきたことがある。冷たい具のせいで最初から冷めていた。単純明快にマズくてビックリした。

正しい熱さはもちろん、湯気や素材を焼く音なんかも味覚を左右する。ウマいマズいは結局のところトータルのバランスが整っているかで決まる。

こちらは鉄板焼きの店で仕上げてもらったオムライスである。池袋にある「多喜」というステーキ屋さんでのこと。



ここは魔都・池袋では絶滅危惧種と呼べるほどの上品かつ真っ当な店。肉も魚も美味しいし、いろいろ用意される各種のソースが本格派だ。

シメのご飯が数種類から選べるのだが、鉄板で作るオムライスに惹かれた。

目の前でジュージュー音を立ててフライドライスが仕上がっていく。最後にタマゴが手際よくフワとろオムレツになってライスと合体。音と視覚の段階で既に満足。食べたら食べたで熱々で幸せになった。

酷暑の夏だったらあんなに感激したかどうか疑問だ。冬だから「熱々ホフホフ」がたまらなく魅力的なのだろう。


こちらはこの冬に食べたものの中でダントツで一番ウマかった逸品だ。まだ冬は始まったばかりだが・・・。

目白の「鮨おざき」で出された蒸し物だ。のどぐろと白子、セイコガニの熱々の餡がミックスされていた。旨味たっぷりで滋味溢れるまさに「ニッポンの冬バンザイ!」と叫びたくなる味だった。

熱々のお燗酒をチビチビ飲みながらこんなものを食べていると至福としか言いようがない。

家庭とか家庭料理に縁がなくなって随分経つが、そういう郷愁やおセンチな気分をコッパミジンに吹っ飛ばしちゃうほどウマかった。

ヘンテコな結論になってしまった。

2018年12月14日金曜日

後部座席で思う


クルマを運転するようになって30ウン年。動体視力も弱くなり、近眼だか老眼だかのせいでハンドルを握るときは必ずメガネをかけるようになった。

若い頃はびゅんびゅんぶっ飛ばして長時間運転しても疲れなかったが、最近はすぐに疲れる。

近場の箱根熱海あたりでもクルマではなく電車を選びたくなる。これも劣化だと思うと切ない。


時々、ガラにもなく会社の運転手さんにまかせて後部座席に座る。その昔、運転手さん付きで移動するなんてジイサン特有の行動パターンだと思っていたが、50も過ぎればそんな場面もある。

道を細かく指示することのなくボケっと座っていれば目的地や自宅に着くわけだから実に有難い。

送り迎えの際、どこかの店の真ん前で降りたり乗ったりするのは何となく小っ恥ずかしいので、ちょっと離れた所で乗り降りするようにしている。私は変なところで小心者だ。

ついでにいえば、ランデブー?みたいな場面では、さすがに運転手さん付きで動くことはない。待機してもらっていても、そんな事態になれば、合流せずにそのまま帰ってもらう。

後部座席での私の甘いささやきを聞かせるわけにもいかない。当然といえば当然だ。まあ、そんな嬉しいアクシデントは100年に一度ぐらいしかないが・・・。

女性絡みとは別に運転手さんでの移動となると何かと制約はある。好きな音楽を爆音でならしたり、大声で歌ったり、はたまたタバコを吸いまくるわけにはいかない。長時間だと少しだけ窮屈である。

クルマの中は密室であり、サイズの面からもおこもり感がある。家庭人の頃は、家に帰りたくなくて、一人あてもなくクルマを飛ばして閉ざされた完全個室でノンビリ過ごすことがあった。

夜の首都高をホゲホゲと流し、川崎あたりの工場群の夜景に非現実感を味わい、レインボーブリッジからの夜景に心躍らせて束の間の息抜きを楽しんだ。

あの頃感じたどこかに逃避行したいような感覚は今はない。気ままな独り者生活だから、あてもなくクルマを走らせる機会は減った。


鬱屈した時間を過ごしていたあの頃より、ひとりドライブが減った分、運転手さんとネオン街に繰り出す機会は増えた。なんだかなあって感じである。

会社の運転手さんは勝手知ったる相手だし、運転自体もスムーズだから何かと助かる。それに比べてタクシーの場合は結構ビックリする運転手さんに遭遇することが多い。

運転も上手で道を熟知している運転手さんに出会うとトクした気分になる。その一方で逆のパターンに当たると、同じ料金を払うのが納得できない気分になる。

プロである以上、最低限のレベルは維持して欲しいものだが、今の時代それも理想論のようだ。日本橋から銀座への行き方を尋ねてきた運転手もいる。あんまりだと思う。

道を知らないだけならまだしも、やたらと激しくブレーキを踏む、細い路地をビュンビュン飛ばす、人の迷惑を顧みず延々と話しかける、社内が臭い等々、ダメなパターンもいろいろだ。中でも困っちゃうのが「オジイサン」である。

もちろん、お年寄りでもスムーズに運転する人はいるが、ヨレヨレした感じでヨボヨボ運転するオジイサンタクシーにあたるとさすがに怖い。


速攻でシートベルトを締め、ウトウトするのもやめて、スマホなどには目もくれず、ただオジイサンの運転に注意を払う。突然意識を失われても困っちゃうので姿勢を正して様子をうかがう。

夜の遅い時間だと首都高を使うことも多いのだが、合流のたびにハラハラする。私が気にし過ぎなのかもしれないが、そんなタクシーに出会うことが確実に増えた気がする。

超高齢社会を変なところで体感しているわけだ。社会の高齢化はまだまだ進む。ヨレヨレタクシ-はまだまだ増えるはずだ。

自動運転が普及するまで結構かかりそうだから、まさに、今そこにある危機と言っても大げさではないかもしれない。

2018年12月12日水曜日

偏屈 神経質


中高年になると偏屈になる。これって避けられないものだろうか。ひねくれ根性が強くなって独善的に陥る。

私も確実に10年前より偏屈になってきた。みっともないったらありゃしない。

仕事のせいもあって、若い頃も世の中を斜めから見たがる習性はあった。でも根っ子の部分は素直ないいコ?だった。

それが今ではナナメどころかグルグル回ってこんがらがっている。

偏屈の原因にはいろいろある。くだらないマウンティング意識みたいな影響も多分にあるのだろう。「オレは違うんだぜ」って言いたいような感覚だ。

自分が優位でないと落ち着かない、見下されたら耐えられない、そんな意識のせいでヘンテコな言動に走ってしまう。バカ丸出しである。

ついやってしまうのが、人との会話を否定形で受けてしまうことだ。「でも」、「いや」「だって」から受け答えしてしまう。私も気づけばそんなやり取りをしちゃうことがある。反省。

私自身、一番嫌いなタイプがこういう受け答えをする人だ。大人ぶっている女性にもこういうお粗末ちゃんが多い。たいていがブス、いや、人相まで悪い。

「素直になりたい」「素直になれなくて」等々、そんなタイトルの歌があるように、「素直」はなかなか厄介な課題ではある。

「素直すぎるんだよアイツ」と言われれば、単にバカと言われているのと同じだ。だから、素直バリバリなのもカッチョ悪い。

かといって素直さをことさら避けていれば、そこに待っているのは偏屈地獄である。勝手に偏屈になっている分には構わないが、周りもみな共感していると思い込むところが偏屈の恐いところだ。

私も時々、自分の小さなこだわりや持論を得意になって語ってしまうのだが、他人様が同調してくれないことが意外に多くてアセる。

いかに独りよがりになっているかを痛感する。まあ、それに気付けているうちはギリギリセーフだろう。ちっとも気付いていないスットコドッコイな中高年は滑稽でもある。

いつもお寿司屋さんに行っても、いまハヤリの「おまかせ」に抵抗があって、さも自分がこだわり男かのように過ごす。

時々、おまかせで食べている人のウマそうなものを横目で睨んでヨダレを垂らす。バカである。

旅行に行くにしても、お仕着せ感が苦手だからパックツアー的なものは避けてしまう。

フリータイムだけのパックツアーなら何も問題ないのに、ついついバラで手配して無駄なコストをかける。

旅館に泊まっても、なぜか別注料理を頼んで、結局食べきれずに残す。「オレってちょっと人とは違うんだぜ」的な顔をしたがること自体が恥ずかしいことである。

偏屈ついで?に最近は変なところが神経質になってきた。これも困った問題である。

週に一度、わが家に家政婦さんが来てくれるのだが、前の日になるとやたらと整理整頓に励んでしまう。本末転倒だろう。

トイレはもちろん、排水口なんかも綺麗にして、すべてをキチンとした状態にしておかないと自分の気が済まなくなってきた。

神経質も一種の偏屈かもしれない。


こちらは神経質な証拠写真である。キムチあえの鶏肉と鶏レバの炙りである。キムチと鶏肉、レバとネギを残りの分量に合わせて整理整頓した状態だ。

キムチあえだから最後の一口が鶏肉だけだったり、キムチだけになるのは許せない。そんな妙な思いのせいで、なんとなく両者のバランスを取ってしまう。

刻みネギも同じ。炙りレバに欠かせないヤツだから綺麗に食べきりたいと思って、後半になると無意識のうちに拾い集めて配分してしまう。

こんな作業を必死にやっている。ただのバカだと思う。いずれにせよ、偏屈オヤジは世の中にとって害悪でしかない。気をつけようと思う。

2018年12月10日月曜日

カツオ大絶賛


カツオはウマい。いまさらだが声を大にして叫びたい。マグロばかりがもてはやされる世の中でカツオは置いてけぼりにされている気がする。

マグロとともにカツオも日本人が大昔から食べてきた伝統食である。大和朝廷時代から食べられていた記録もあるらしい。

戦国武将たちはカツオ節を「勝男武士」につながるとして珍重したという話もある。何かの受け売りだが、いずれにせよ昔から愛されてきた魚であることは間違いない。


秋の脂が乗ったカツオの美味しさは下手なマグロより上だ。断言できる。もちろん、部位や熟成度合いなどの条件で変わるが、脂もクドくないし、鉄分を感じる味の強さも旨味にあふれて抜群だ。

マグロのトロは個人的にしつこくて苦手だが、カツオだったら美味しく感じる。脂っぽさに品があるとでも言おうか。スルッと消えていくような印象がある。

初鰹の季節のサッパリしたカツオも悪くない。“正しいニッポンの魚”って言いたくなる。獲れるエリアによっては春のカツオも上質な脂がのっている。


タタキも刺身も良い。このブログでもニンニクスライスを薬味にしたカツオのたたきのウマさを力説してきたが、脂ののったカツオとニンニクの相性は抜群だ。

この画像はニンニクスライスを特製のタレに浸した状態だ。特製タレといっても大げさなものではない。ポン酢と醬油を半々ぐらいに混ぜたものだ。

タタキ一切れにつき、薄めのスライスを2~3切れ載せて口に運ぶ。良く嚙むことでタレの風味、カツオの旨味、ニンニクの刺激が渾然一体となって私の味覚をギュンギュン刺激する。バンザイ三唱したくなる。



こちらは最近お気に入りの薬味と軽く炙ってもらったタタキである。目白の「鮨おざき」で味わえる。

タマネギのすり下ろしの醬油和えである。何の変哲もないようだが、これが実にカツオに合う。刺身にも相性が良い。ニンニクを控えたい理由がある時は安心安全なニクいやつである。

生のタマネギ特有の苦みがおろされることで少しまろやかになる。ツンツンする感じはない。程よい存在感でカツオに負けずにバランス良く味を整えてくれるくれる感じだ。

家庭でも作れちゃうはずである。醬油和えでもポン酢和えでもアリかもしれない。別にカツオに限らず、肉料理にも相性が良いと思う。

そういえば、カツオのタタキの薬味だが、ニンニクを避けたいときに代用できるのがエシャレットだ。あれを刻んで薬味にするとニンニクで味わっているのに近い美味しさを感じる。

それにしても、なぜカツオはマグロの前座や露払いみたいに扱われてしまうのだろう。

きっと「サザエさん」に出てくるカツオがダメキャラクターだということも大きな理由かもしれない。

そのうち、シュッとした二枚目青年に成長したカツオが絶世の美女と恋に落ちるような進化形作品が作られれば世の中の風潮も変わるかもしれない。

2018年12月7日金曜日

アンチエイジング


アンチエイジングという言葉が好きではない。何となく痛々しく聞こえてダメだ。年齢にあらがうという発想に無理がある。

歳は上手に重ねればいい。心の在り方はいつまでも若くありたいが、見た目に関してはこれはもう自然の摂理である。

とかいいながら、私自身、ハゲ防止のための努力を10年以上欠かさずに続けている。そのせいで「アンチエイジングに必死なヤツ」と受け止められるのもシャクである。

ポツポツ増えてきた白髪は目につけば何気なく抜いてしまうが、染めようと考えたことはない。いい感じに白髪混じりになることにはさほど抵抗はない。

今日こんな話を書き始めたのには理由がある。最近、立て続けに「顔がくすんでいる」だの「顔の肌が不健康そうだ」みたいなことを言われて、最低限の美顔に取り組もうと決意した。

美顔などと言うと、なんだか負けた気がする。男は黙って素で勝負と言い続けてきたのに、ついに洗顔ナンチャラとか美肌乳液だのエタイのしれない男性用化粧品を買ってしまった。


男性用化粧品っていう言葉が気持ち悪い。化粧品である。化けるための品である。そんなものに手を出してしまったことは、男子一生の不覚だ!?。ここで告白することで一種の懺悔にしようと思う。

ドラッグストアの男性用化粧品コーナーで商品をしげしげと眺めてみた。顔のパックまである。さすがにそこまでする勇気はない。

誰も見ていないにしても、大の男がパックするなどブキミ過ぎる。とはいえ、ちょっとやってみたい気持ちもある。ヤバい傾向だ。

結局、汚れ取り洗顔フォームとエイジング乳液みたいなものをいくつか買ってみた。買っただけで自分の顔が綺麗になった気がした。

いままで顔を洗うのはシャンプーのついでに泡だった手で顔までざっと洗うぐらいで、あとは歯磨きついでに石鹸もつけずに水かお湯でバシャバシャするだけだった。

普段も夕方になったらコンビニで売っている顔専用のウェットティッシュみたいなヤツで軽くゴシゴシする程度だった。本格的な洗顔グッズは人生初の体験である。

で、数日間、朝に夜にマジメに使ってみた。私はこういうところはちゃんとしている。サプリだって飲み始めたら忘れずに飲む。

さて、肝心の結果だが、無頓着な私が気づくほど顔面皮膚がスッキリした。良いことである。

まあ、いかにそれまでの私の顔が汚れにまみれていたかということでもある。割とハッキリと綺麗になった。ちょっとビックリした。

なんかツルんとなった。夕方になると生じていた変な脂感も収まってきた。ここ数年の間に頬ずりしたすべての女性にお詫びしないといけない。

効き目があったのは汚れを浮かせて除去するという触れ込みの洗顔フォームだと思う。手に取った泡を顔中にマッサージするように塗りたくり、しばし放置してから洗い流す。

その商品が良かったというより、単に私がヨゴレ男だったから専用の洗顔石鹸でも普通に綺麗になったのかもしれない。でも、せっかく買ったからそいつのおかげだと信じたい。

すーっとサッパリしたあとは、乳液をベタベタ塗りたくる。髭剃り後の安っぽいローションしか知らなかった我が顔面皮膚が心なしか活き活きしている。

世の女性が、死にものぐるいになって顔中にいろんなものを塗りたくることが不思議だったのだが、今になってその意味が分かった気がする。

問題は私の凝り性な性格である。ちょこっと買った洗顔シリーズで効果があったとなると、より本格的?な商品に手を出したくなる。

そっち系の商品も妙に高いヤツがゴロゴロあるらしい。そんなものに引っかからないように気をつけないといけない。

ということで、今後も麗しい女性をターゲットに今まで以上に頬ずりを積極的に仕掛けていこうと思う。

2018年12月5日水曜日

新宿・玄海 母校のつながり


久しぶりに新宿にある水炊きの名店「玄海」に出かけた。今年で90周年を迎えた名店だ。20代の終わり頃に仕事の会食で連れて行かれてからのファンである。


何が素晴らしいかって言えば、鍋の中に野菜が一切入っていない点である。まっこと正しき潔さだと思う。

ここのスープが絶品だ。スープだけで酒が飲める。“汁”がツマミになるなんて滅多にない。それもこれも野菜が鍋に入っていないからだと思う。しつこいか。

この日はわが母校のOBの集まりだった。玄海の4代目が中学高校の同窓とのことで、幅広い学年のOBが集った。4代目が15コも下だったせいで、私の代が最年長だったのはご愛敬である。

中心で仕切っていたのが2つ下の後輩だったから、そのあたりの年齢の人間が中心。顔見知りもたくさんいたし、見知らぬ後輩も知り合いの弟だったり、親戚だったりしてスグに馴染んでワイワイガヤガヤ。

いくつになっても、後輩と聞くと幼いイメージを勝手に思い描いてしまうが、名刺交換するたびに皆さんご立派な肩書きばかりでチョットたじろぐ。自分の年齢を改めて思い知らされた。

飲んでしゃべってばかりだったから、大好きな鶏スープが死ぬほど飲めなかったのが悔やまれる。いずれ発表予定の新メニューも試食させてもらったりと楽しい時間だった。

先月、このブログで「同窓のよしみ」を書いたのだが、この日もそんな有り難さを感じたひとときだった。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2018/11/blog-post_14.html

先週、TBSのぴったんこカンカンで、わが母校がやたらと長々と紹介される企画があった。俳優の香川照之が母校の社長さん達を訪ね歩くという企画だった。


笑えたのが、7~8人の社長さん達すべてにフランス国歌を歌わせたところだ。先月書いた私のブログでも旧友が集まるとナゼかフランス国歌を歌い出す怪しい習慣について触れたが、まさにそんな展開。

ファンション界の大御所・タケオキクチ大先輩にまで歌わせていた。わが母校関係者にとっては非常に楽しい番組だったが、あそこまで一私立学校に寄せた番組を全国ネットで放送しちゃって問題ないのだろうか。面白かったからまあいいか。

さて、新宿・玄海の宴会の話に戻る。このブログでは実に10年前にもウダウダと書いていた。

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/06/blog-post_10.html


読み直してみたが、やはり「野菜が入っていない」という部分ばかり強調している。10年経っても自分がまったく進歩していないことはビミョーだが、あのスープの完成度はやはりタダものではない。

今の世の中、ラーメンブームのせいもあって、ギトギトしていたり、やたらと味が強いだけのスープがもてはやされている。

それに比べて玄海の水炊きスープは別格の存在だ。「滋味」という表現が的確だろう。旨味にあふれている。人工的なものとは一線を画した「命をいただいている」有り難さを感じる。

これから寒い季節だし、またすぐにでも行きたい。

そういえば、同窓が集まったこの日、みんなで盛り上がった割には、フランス国歌を合唱するのを忘れた。

最年長だった我々の代が言い出すべきだったのかもしれない。

2018年12月3日月曜日

写真の奥深さ お尻


いつも悪ふざけみたいな写真や食べ物の写真ばかり撮っている私だが、その気になればマトモな写真だって撮れる。



プールに浮かべたプルメリアを水の中から撮影した画像ともうひとつはフィレンツエで撮った幻想的な画像だ。

なぜいきなり写真の話を始めたかというと、先日、プロにとってもらった写真に感銘を受けたからだ。

デジカメの進化で誰でもそれなりにカッコいい写真が撮れる時代になったが、やはり専門家の目線、というか瞬間を切り取るセンスは別モノである。

この前のわがオジサマバンドライブに来てくれた若手カメラマンさんの作品をいくつか並べる。



 なんだかカッチョ良すぎる。実に雰囲気のある写真に仕上がっている。実際の被写体を知らない人からみれば、まるでプロのミュージシャンかに見える。

調子に乗って私の画像も載せてしまおう。横顔だし、しかめっツラだから、このブログでは初?の顔出しである。









白黒の画像は妙にそれっぽくてビックリした。照れくさくて爆笑しちゃったほどである。

構図や露出、シャッタースピードなどの技術的なことはさておき、シャッターを押す瞬間の集中力、情念みたいなものが凡人とは別次元なんだと思う。

人様の前で得意になって歌えたこと自体が幸せだが、こんな記録を画像で残せたことは幸運だと思う。

私自身、学生時代に水中写真に魅せられてから30年、アチコチでいろんな写真を撮ってきた。

でも、自分の中で納得できた作品は、情熱全開だった若い頃のものばかり。すべてフィルム時代に撮影したものだ。




デジタル写真に移行してからはロクな写真が撮れなくなった。フィルムの頃はシャッターチャンスは36回しかない。防水ケースに格納した一眼レフを2種類水中に持ち込んでも合計で72枚しか撮れない。

その制約された状況が自分の集中力を高めたし、きっと情念みたいなものにつながったのだと思う。

今は何枚でも撮影できる。おまけにその場で仕上がりまでチェックできるから物凄く便利になったが、その分、1枚1枚を雑に撮影しちゃうような傾向はあると思う。

まあ、私が写真の奥深さを語ったところで仕方がない。今日は写真の話ついでに私がもっとも得意?とする「お尻画像」をいくつか紹介してみる。





フィッシュアイレンズをつけた一眼レフを防水ケースに格納して撮影したもの。ちょっと刺激的だからモノクロ加工やフィルターで色合いを変えて載せてみた。

私にとってはこれこそが芸術である。

2018年11月30日金曜日

鉄板焼きに救われる


焼肉がすっかり苦手になった。若い人との付き合いでちょくちょく焼肉屋さんに行くが、チャンジャや韓国海苔をツマミに焼酎を飲むばかりである。


いつも翌日は体重が減っている。私にとってはダイエットに最適である。昔はカルビばかり5人前でも食べられたのに変われば変わるものだ。

この画像は神楽坂の翔山亭。みんな白っぽい。体重調整中だったこともあり、すべてを同行者に委ねて私はナムルをツマミに飲んだ。

私がまだ下心を隠しているオネエサンが相手だと、つい「何が食べたい?」と聞いてしまう。これがダメである。満面の笑みで「焼肉!」という返事が返ってくる。

下心が完了?済みの場合、「寿司食いに行くぞ」「焼鳥にしたから」などと私の好みを押しつける。いわば、下心のせいで自分は食べもしない焼肉屋で散財しているわけだ。

数十年前は「焼肉屋にいるカップルはデキている」という下世話な通説があった。当時は今みたいにオシャレな焼肉屋さんが珍しく、煙モーモーの小汚い店が大半だったせいだ。

いまや、焼肉屋さんのイメージはグングン進化して、接待などでも普通に使われるようになった。当然、まだデキていない男女も焼肉デートに励む。

私自身、焼肉屋には、まだデキていない人と一緒に行く機会がほとんどだ。まさに隔世の感である。

さてさて、そんな焼肉苦行の日々のなか、ひょんなことから「鉄板焼き」というジャンルが私に一筋の光りをもたらしてくれることに気づいた。

鉄板焼きの店なら焼肉屋ほど肉だらけではない。高級路線のコースしかないような店は別だが、少しカジュアル路線の店ならサイドメニューが豊富である。

相手はどうせウマい肉が食べられればいいわけだから、そっちには上等なステーキをあてがい、こっちは単品注文で酒のツマミみたいな一品料理を味わえばいいわけだ。


魔都・池袋にある「じゃけん」という店に行ってみた。このステーキは3500円ぐらいの値付けだ。池袋にしては大富豪級である。私は一切れも口にしなかったのだが、非常に美味しかったようだ。

この日、いくつかのツマミの他、鉄板メニューからは「カキ」と「とん平焼き」を頼んだ。焼肉屋ではこうはいかない。嬉しい。



焼肉屋だと味が一本調子になりがちだが、こちらは、とん平焼きのようなソースぶりぶりも混ざってくれるから飽きないで楽しめた。

焼肉がそろそろキツく思えるようになった世のオジサマ族にとって、鉄板焼きは希望の星かもしれない。

シメのガーリックフライドライスもとても美味しかった。ベタベタした感じはなく、味も濃すぎず実に上手に仕上がっていた。


池袋には珍しくまた来たいと思える店だった。