2017年2月6日月曜日

松本清張の唇


寝る前の読書が欠かせない習慣になってきた。などと書くと高尚な感じだが、スマホやパソコンの画面を見ていると寝付きが悪くなるので、いわば睡眠導入剤代わりに本を読む。

昨年ぐらいからハマっているのが松本清張である。今更ながら松本清張だ。今の歳になったから面白さを痛感するのかもしれない。


私の記憶では松本清張といえば「チョイ役のオッサン」である。自身の作品がドラマや映画化される際に通行人などのチョイ役でしょっちゅう出演していた。

今をときめく石原さとみや昭和の歌姫・山口百恵など「タラコ唇の有名人」の元祖である。いかりや長介もそっち系だ。

独特の風貌のせいか、チョイ役として画面に映ると妙にインパクトがあった。巨匠、文豪的なイメージよりも「意外にひょうきんそうなオッチャン」だと思っていた。

そんな清張センセイの作品は、煩悩や業みたいな人間の弱さというか面白みのある部分を浮き彫りにしている。読み終わるたびにタメ息が出る。

もともと私はサスペンス系の小説は好きではない。殺人だの推理だのそういう内容にリアリティーを感じないから物語に入り込めないのだが、松本清張モノだとドップリとはまる。

出てくる人物は平凡な人ばかり。いわば誰にでも起こりえそうな紙一重みたいな設定が特徴的だと思う。妙に現実的で怖い。

リアルな恐怖だ。お化け的な恐さとは違う恐さである。息苦しくなる恐さとでも言おうか。どんなに善人だろうと心に闇はあるわけで、そんな“ヒダ”みたいな部分が掘り下げられている。

「中条きよし」ではなく「三浦友和」に演じてもらいたいような作品が多い。よく分からない例えでスイマセン。

なんだか書きぶりが抽象的になってしまった。大人の男だったら誰が読んでも面白く感じるのは間違いない。


モノグサな私は短編専門である。短編集が山ほど発売されているから片っ端から読んでいる。ストーリーだけでなく情景描写もいい。昭和の香りが色濃いからノスタルジーに浸れる。

ちょっと話はそれるが、私が浜田省吾師匠の次ぐらいに敬愛する「みうらじゅん」師匠が「寅さん」に関するインタビューで素晴らしい理論を披露していた。


いわく「男の人生なんて寅さんか松本清張モノの人生ですよ!」。非常に示唆に富んだ素晴らしい考察である。

寅さんの超絶的な純粋さと、清張モノに出てくる男達の心の闇やゲスな部分について、フツーの人間はコンプレックスのような感情とともに惹かれていくという趣旨だ。その通りである。

煩悩や業に悩まされ続けている私としては、時に共感し、時に武者震いしながら清張モノを読みふけっている。

夜も更けてきた頃、本を閉じ、灯りを消し、えも言われぬ哀感に包まれながら眠りに落ちるのが習慣になってきた。Mっ気まる出しである。

松本清張モノを読みふけるためだけに北の方に旅に出たいと考えている。

相変わらず自分の思考回路の単純さに呆れる。


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