2017年6月23日金曜日

冷やし中華が愛しい


6月も後半だ。アジサイの美しさに目を奪われる季節だが、そんなものより心を動かされるのが冷やし中華である。

冷やし中華は6月から本番だ。8月の真夏になるとチョット飽きてくるので今が一番美味しく感じる。


先日、マツコの知らない世界というテレビ番組で冷やし中華にスポットを当てていた。物凄く真剣に、かつ集中して見てしまった。

どことなく中途半端な存在である冷やし中華を多角的に検証する素晴らしい番組だった。

「グルメ雑誌で特集されない可哀想な存在」、「ラーメンを熱く語る人は大勢いても冷やし中華を語る人はいない」、「冷やし中華マニアが専用ツイッターを開設したのにフォロワーがたった一人だった」等々、実に残念な話が飛び交っていた。

蚊取り線香と並んで「日本の夏」を象徴するはずの食べ物なのに、その冷遇された感じは由々しき問題かもしれない。

確かに「冷やし中華はじめました」と日本中で華々しくポスターやノボリで宣伝する割には、ほんの数ヶ月で世の中から姿を消す。実に不思議だ。
ノボリを立てて宣伝するほどスター級の存在なら一年中用意してある店があってもいい。でも、そんな店はまず見かけない。9月も後半になるとスーパーの棚からも消える。

うどんも蕎麦も一年中“冷やし”状態で食べるのに、冷やし中華は秋になったら誰の話題にものぼらない。この国の謎の一つといっても過言ではない。

夏限定といえばソーメンも同じ境遇だが、何となくそっちは気にならない。明らかに差別だが、個人的に冬にソーメンを食べたいと思わないから仕方がない。


一年中冷やし中華を食べたい私は仕方なくタレ(つゆ)だけ買って、普通のラーメンを冷水でシメて秋も冬も春も食べる。

でも、このタレも夏場に買い占めておかないとスーパーの店頭から消えてしまう。実に困った問題である。

冷やし中華が大好物とはいえ、私の場合、外で食べる機会は滅多に無い。本当は食べたい。でも麺だけを大量に食べたいから、余計な具で騒々しくなっている冷やし中華に嫌悪感を覚える。

キュウリを中華麺に合わせようという発想が気にくわない。トマトも論外。“サラダ感覚”みたいなアザという感じが私は苦手だ。

キンシタマゴもちっとも合わないと思う。クラゲの食感も中華麺とは合わない。チャーシューだって冷たいままだとゴワゴワした感じでイマイチである。

というわけで、個人的には「麺とタレ」がすべてで、それ以外は邪魔者だと思っている。偏った意見でお恥ずかしい・・・。

4年前にこのブログで「具が無い冷やし中華が最高」だと力説した。

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2013/07/blog-post_22.html

基本的に今も同じ考えだが、素っ裸の冷やし中華ばかり食べるのも切ないので、最近は「おかず」と一緒に食べることが増えた。

具材ではない。おかずである。上に載せない。別皿に盛って麺と交互に口に放り込んで味の融合を楽しむ。

豚肉を炒めることが多い。時には生姜焼き、時には帯広豚丼のタレで味付けしたバージョンなどだ。

おろし生姜は冷やし中華の薬味としても意外にイケるから、生姜焼きは「おかず」としても相性が良い。

それ以外には市販の豚の角煮やシュウマイも冷やし中華の相棒としては悪くない。シュウマイの場合、ラー油、酢、醬油で作るタレにビチャビチャ浸しておくと、冷やし中華の酸味と相まって結構ウマい。

牛丼の具もイケる。我が家には湯煎するだけの松屋の冷凍牛丼がストックされているので、時には牛丼の具に紅ショウガをぶりぶり合わせて、冷やし中華とともに楽しむ。紅ショウガつながりで美味しい。

他にも半熟卵やそぼろ肉、コンビーフ、ザーサイ、ツナも合う。ツナの場合、マヨ醬油と和えて冷やし中華にトッピングしたら斬新なウマさを感じた。

調理などせずにスーパーで売っている出来合いのものでも冷やし中華の世界は広がる。今後の私の課題は「カニ」との組み合わせの検証である。

冷やし中華のタレとカニ酢の“親戚っぽい感じ”を考えたら毛ガニ姿盛りをドカンと乗っけた「富豪冷やし中華」は大いにアリだと思う。

いずれにせよ、キュウリやトマト、キンシタマゴという色彩のためだけの具材に支配されている冷やし中華の姿は、私が愛する冷やし中華とは別モノである。

そっちの王道系冷やし中華が標準であり常識だとしたら、声を大にして私は言いたい。

「常識を疑え!」

2017年6月21日水曜日

男酒


男同士で酒を飲む楽しさは「あけっぴろげ」の心地良さに尽きる。もちろん、男飲みといっても仕事飲みや付き合い酒はダメだ。あくまで親しい友人に限った話。

女性と1対1で飲むのも楽しい。でも、男たるもの、女性を前にすればどこか居ずまいを正したり、カッコつけたり下心と闘ったりするので忙しい。

女性が接客してくれる店も楽しい。お世辞の沼にはまって調子に乗れる。この画像は仮面を付けたまま飲まされた銀座の夜の日の一コマだ。ロス疑惑の三浦さんになった気分だった。ちょっと古いか・・・。


一人飲みも楽しい。でも、時々、内向的な酒になっちゃうので、いつもいつも一人酒というのも考え物だ。

そう考えると親しい男の友人と少人数で飲む機会は貴重だ。気を使わず、むき出しのままのバカでいられる。

先日、野郎3名で飲む機会があった。一人は同級生、もう一人は3つ上の母校の先輩だ みんな同じ小、中、高で過ごした。友人が仕事絡みで先輩に講演会の講師を頼んだ関係での一席。ひょんなことで私も参加。

先輩は築地市場の名物男で、豊洲問題では連日テレビに引っ張りだこの御仁。トレードマークのヨットパーカー姿で居並ぶ大物政治家や学者に挟まれて持論を展開している。

この先輩、べらんめえ調の語り口がウリで、水産資源問題から政治問題まで面白おかしく、かつ分かりやすく話すからファンも多い。

前に一緒に飲みに行った際も街行く人から声援を受けていて少し驚いた。先輩のネット番組の中には100万ページビューを突破するものもあるそうで、いつのまにか「文化人」!?である。

先輩は私の兄の同級生だったので、私自身も子どもの頃から可愛がってもらった。少年のままオジサンになったような人だから、難しい顔をしたエラい人々と渡り合っている姿をテレビ越しに見ると不思議な感じがする。

とはいえ、私と私の友人にとっては大昔のままの愉快な先輩である。この日も難しい話をしたのは合計で3分40秒ぐらいだ。あとはひたすらアホバカ話に明け暮れた。


同級生の友人もこれまた愉快な男。15、6歳の頃、お互いに大柄だったので大学生のフリをしてボトルキープとやらをしてみようと怪しげなパブスナックに出かけた。ビビりながら酒を飲み交わした間柄だ。

あれこれ35年経っても、会うたびにその頃と変わり映えのないバカ話に花を咲かせる。きっと死ぬまで同じような話を続けていくのだろう。

我々が背伸びして遊び始めたのは、世の中が「狂乱の’80年代」に突入した頃である。すべてが脳天気だった時代だ。今もついついオチャラケてしまうのは育った時代のせいである。たぶん。

アホバカ連合の中核だった後輩2名を前に、やはりそっち系?だった先輩もかなりハジケてくれた。

後輩としては先輩を前にもっとキリッとしないといけないのに、フヌけた話ばかり。頻繁に先輩にチャチャを入れまくってワイワイゲラゲラ。

一次会は神楽坂の鰻屋さん。ホロ酔いになるにつれワイ談全開状態。いい歳したオジサマ達がしょっちゅう唇に人差し指を押しつけながら小声を促す。

でも、そういうバカっぽいのが楽しい。中年になると多くの男達がかしこまった顔をして訳知り顔でたたずんでいる。なんだかな~って感じだ。

時にはハッチャけてギャハギャハ騒ぐ時間を持つことは大事だ。そういう意味ではこの日の「むき出しワイ談大会」は貴重な時間だったと思う。

その後、近くにある母校の後輩が営む和食屋さんに繰り出し、蕎麦をズルズルかっこむ。相も変わらず、あけっぴろげなバカ話は続いた。

その後、早朝から仕事がある先輩と別れて、旧友と二人で変なスナック。適当に切り上げて帰ろうとしたら、友人から口直しとしてもう一軒誘われた。

で、夜も更けた頃に辿りついたのが神楽坂の芸者さんが営む隠れ家的なバー。着物姿の艶やかなママさんを相手におじさま二人でカウンター。

こういう店を知っているあたりが、アホバカ連合で愚かさを競いあった友人の頼もしさである。

美しい着物美人を前に超絶怒濤のワイ談はさすがに封印する。ある意味、まっとうな社会生活に戻っていくためのリハビリである。

それにしてもよく飲んだ。一人酒に比べれば3倍、女性としっぽり飲む場合の6倍は飲んだ。帰路の記憶がほぼ無い。

あんなに飲んだらゲロッピーになりそうなものだが、翌朝はスッキリ目覚めた。あけっぴろげに楽しく飲めば肝臓も疲れないのかもしれない。

2017年6月19日月曜日

納税するより寄付したい!?


昼飯を食べない1日2食の生活をしていると「朝のドカ食い」は日常茶飯事である。

前の日の晩にしっかり食べていれば別だが、お酒を中心にちょろちょろしたツマミだけで終わった場合、起きた途端に空腹バリバリだ。


そんな時に大活躍するのが冷凍保存している牛丼の具である。大盛りご飯の上に2袋分をドッサリ乗せて特盛り状態で頬張る。

これも「ふるさと納税」のおかげである。静岡県富士宮市に寄付した際にドッサリ送られてきた。

コメもふるさと納税の御礼品である。2合分の真空パックになっている「つや姫」を山形県のいくつかの自治体から頻繁に調達している。


もはや、ふるさと納税の返礼品抜きでは日常生活が成り立たない感じである。

ふるさと納税といえば、各自治体の間でエスカレートしている返礼品競争ばかりが話題になる。

まあ、話題になればなるほど利用者も増えるわけだから、制度をうまく活用する自治体や納税者も自然に増えていくはずだ。結構なことだと思う。

簡単に言えば、自治体に寄付した金額の分だけ自分の納税額から差し引けるわけだから、この仕組みを魅力的に思わない人はいない。

収入が高ければ高いほど相殺できる金額も増えるので、高額納税者であれば尚更メリットは大きくなる。

制度の功罪はさておき、この制度がポピュラーになるに連れ、国民の間で寄付行為への意識が変わってきたことは注目に値する。いわば、ふるさと納税の隠れた功績だ。

日本では税制の制約もあって、寄付文化が育ちにくいと言われてきた。ふるさと納税のように「寄付した分だけ税金から差し引ける」という認識が広まれば、そんなイメージも変わっていくかもしれない。

ちょっと難しくなるが、「所得控除」と「税額控除」の違いである。

課税される収入の部分を少なく見積もってくれるのが所得控除だが、税額控除は、その人の納税額そのものから寄付した金額をそのまま差し引ける。納税者にとっては分かりやすく、かつメリットも大きい。

一昔前までは税額控除の門戸が狭かったこともあって、寄付する意欲につながらないという側面もあったが、ふるさと納税の流行で少しづつ世の中の空気に変化が出ているわけだ。

というわけで、ここからは、ふるさと納税の陰で見落とされがちな「寄附金特別控除」を紹介したい。

大ざっぱに言えば、この制度もかなりの金額を寄付しても、その分は税金から相殺される仕組みだ。

国や自治体、公益社団法人への寄付だけでなく、「認定NPO法人」への寄付も対象。いわば、自分が納めるべき税金の一定割合までなら福祉活動や各種研究資金などに回しても税額控除の恩典が受けられる。

全国に5万あるNPO法人のうち「認定NPO法人」は1千団体に過ぎないのが悩ましいが、内閣府や各自治体が公表している認定法人の一覧を見ると、それこそ多種多様な団体が含まれている。

自分が関心を寄せる分野に協力したいという人はもちろん、税金の使われ方に不満があるような人も、そうした団体への寄付を考えてみることをオススメする。

ちなみに、小規模ながら障害者支援などの福祉活動に真摯に取り組んでいるNPO法人は星の数ほど存在する。

私自身、下の子どもがダウン症だった関係で地道に活動するNPOの存在を知り、また随分とサポートしてもらった。

小規模で地味に活動する団体の多くは「認定NPO法人」ではない。その場合、やはり寄付が集まりにくいのが現実だ。認定のハードルはそれなりに高いらしい。

いずれにせよ、動機はどうあれ「寄付しよう」という機運が高まることで、小規模で目立たない活動を展開するNPOについても今以上の支援が寄せられるようになれば素晴らしいと思う。

2017年6月16日金曜日

コスプレの奥深さ


「あの人の頭はコスプレ」。カツラ愛用者をそう表現した人がいる。うまいことを言うものである。

特殊な格好をすることで違う自分に変身するのがコスプレだ。言ってみれば女性の厚化粧だって顔面コスプレと言えなくもない。

私も数年前までヒゲをはやしていたのだが、あれだって、ワイルドな男を演じてみたいという意味ではコスプレに似た心理だったのかもしれない。

コスプレはコスチュームプレイを省略した和製英語だが、今ではイギリスの辞書にも載っている国際語として認知されているらしい。クールジャパンから生まれた一つの文化だ。


カラオケボックスでも「コスチューム無料貸出し」という案内をよく見かける。世の中のコスプレ浸透度はオジサマ世代が思っている以上に進んでいる。

ラブホテルなんかでもコスプレ衣装レンタルが人気らしい。昔はなかったサービスだ。若い頃にそんなサービスを目にしたら肝心なことを忘れて着せ替え人形状態で遊んでしまったと思う。いや、きっと今でもそうする。

人間誰にだって変身願望はある。大昔に流行した「聖子ちゃんカット」や、その後に流行したアムラーファッションだって、若い女の子が憧れの有名人のようになりたいという変身願望が背景にある。

スーパー大昔の不良少年達のマッシュルームカットだってビートルズのモノマネだ。いわばコスプレに近い感覚だったのだろう。


一般的に男よりも女性のほうがコスプレに熱心である。普段から化粧をして、バラエティー豊かな服を取っ替え引っ替え着用して、髪型も大きく変えられるから、変身すること自体が身近なのだと思う。

私だってヒーロー戦隊モノの衣装を着て街を歩いてみたいが、一歩目を踏み出す勇気がない。

オジサマバンドのライブのステージ衣装でさえ、せいぜいテカテカ光ったシャツを着るぐらいが限界
だった。

やはり女性のほうが「精神世界を解放する」という悦楽を味わうのが得意なんだろうか。コスプレで嬉々としている女性を見るたびに羨ましく感じる。

人間の性格は、その人の置かれている状況や役割、立場などで簡単に変わるらしい。心理学的に実証されているそうだ。

そういう意味では、コスプレによって違う自分を演じることはかなり刺激的だろう。さまざまな抑圧や規制に縛られている「自分」の殻が一瞬でも破れるわけだから結構な快感を味わえるはずだ。

私自身、自分が女だったら絶対にバニーガールの格好をしてウロウロしたいと思う。銀河鉄道999のメーテルにもなってみたい。

以前はコスプレなんて幼稚でくだらないオタクの遊びだと決めつけていたが、酸いも甘いも通り越して枯れ木みたいな今の歳になると、なんとなく理解できるようになってきた。

コスプレ状態の女性を相手にエロ合戦をしたいから言っているわけではない。いや、それはそれでムホムホするから悪くない。でも、そんなことより「一瞬の現実逃避」という行為の効用に強く共感する。

先日もAmazonでフラチな買物をしようとしていたらコスプレ衣装が際限なく表示されたので、じっくりと鑑賞してしまった。

本格的なものから激安のもの、異様にスケベなものも大量に出てきた。つくづく時代の変化を痛感する。

あんなものが手軽に買えちゃうわけだから、世の中のいろんなハードルが低くなっていることも当然だ。

普段、何でもかんでも分かったようなことを言ったり書いたりしているが、世の中まだまだ知らないことが多い。

ここには載せられないヒミツのコスプレ画像集をこっそり眺めながら、今後もいろんな世界を勉強しようと決意している今日このごろである。

2017年6月14日水曜日

熟成肉と熟女と未熟な男


ここ数年、やたらと耳にするようになったのが熟成肉である。アチコチの店でメニューに見かける。

正直、あまり食べたいと思わない。ちゃんとした専門店ならいざ知らず、テキトーな店だと単なる「腐りかけ」が出てくるような不安を感じる。

気づけば私もすっかり「古いタイプの人」である。何となくハヤリものを斜めから見てしまう。

熟成肉についても変な先入観がある。一種の食わず嫌いである。ちゃんとした熟成肉を提供する店の皆様、どうもスイマセン。


某焼肉屋で出された「熟成特選厚切り牛タン」の画像だ。正直、そんなにウマいと思わなかった。良く言えば味が凝縮されている印象も無くは無い。でも、普通の「特選厚切り牛タン」のほうが3段階ぐらい美味しく感じた。

まあ味覚なんてものは気分に影響されるから「ワオ!熟成だ!」と思いながら食べれば極上の逸品に感じる人もいるのだろう。

熟成させることで旨味が強まることは魚を愛してきた日本人なら理解している。鯛などの白身の刺身なんて活け造りで食べたって旨味など無い。半日~1日ぐらい寝かせたほうが遙かに美味しい。

マグロもしかり。大型になればなるほど寝かせた方が旨味が強まるようだから、ただ新鮮さだけを求めるのは正しくない。

さてさて、熟成した肉の話だった。一般的な特徴は寝かせている間に水分などが抜け、1割~2割も重量が減った分、旨味や香りが凝縮されるということ。

確かにそうなのだろうが、もともと上等な肉なら旨味も香りも良い感じだ。あまりエスカレートさせなくてもいいんじゃないの~とつぶやきたくなる。


こっちは熟成ではない普通の肉だ。脂っぽい肉が苦手な私は見ているだけだが、赤い部分は鮮やかに赤く、白い部分はあくまで白くあるべきと思う私にとっては熟成肉の風情より好きだ。

魚の熟成を大歓迎しているんだから肉の熟成にも寛大になるべきだが、どうも「熟成」という言葉尻を変に気にしてしまう。

熟成と名乗ってさえいればウケる。そんなアザとさにも似た雰囲気がちょっと引っかかる。

「美熟女」みたいな言葉のイメージだろうか!?。「美魔女」という表現よりはマシだが、なんだかワザワザ感というか、無理やり感が強いヘンテコな言い回しだ。

新鮮か、熟しているかー。私の場合、このテーマを考えるとつい「そっち方面」、すなわち下ネタに話が脱線してしまう。

女性との一戦を考える場合、新鮮すぎてもダメだし、熟し過ぎも厳しい。具体的に何歳から何歳までを基準にしているかは人それぞれだが、そんなことは相手との相性次第で変化もする。

小出恵介のような「若けりゃなんでもアリ」という男もいる一方で、私の知人のように「45歳以上じゃなきゃ萌えない」という男もいる。

確かに10代を相手にするのは単なる犯罪だし、20代前半だって似たようなものだ。スタートラインはアラサーぐらいか。で、後ろ側は自分と同じ年ぐらいまでだろう。

まあ、そう言いながら自分の年齢がビックリするほどハイペースで加算されてきたので、実際には同年代とのそうした縁は10年以上前から無くなってしまった。

キャンディーズの名曲「年下の男の子」に憧れて10代、20代の頃は年上のオネエサンを追っかけていた日々も今や昔である。

ちょっと寂しい。でも、さすがにこの歳になって年上と「対戦」する機会は無い。ずっと男子校だったから、中年になってからの同窓会シンドローム的な“事件”にも無縁だ。

それにしても最近つくづく感じるのが、いい歳して妙齢の女性のお尻を追っかけたがる自分の「未熟」ぶりである。そっち方面の脳細胞が30年ぐらい進歩していないみたいでカッチョ悪い。

オトナの在るべき姿とかを得意になって語るクセに頭の中はまるで若造みたいである。ビミョーだ。

自分が60代、70代になった時に『現役』のままだったらどんな状態なんだろう。今と同じ感覚ではさすがに小っ恥ずかしい。いつまでも若い子を追っかける痛々しいオッチャンになるのは避けたい。

その時はキチンと?50代、60代の美熟女サマ達とランデブーしないといけない。今の私にとっては想像できない「未知との遭遇」である。

それはそれで少しワクワクする・・・。

牛タンの話を書いていたつもりがとんでもない結論になってしまった。

2017年6月12日月曜日

Amazon アダルト


今更ながらAmazonの便利さに感謝する日々である。

夏向けに買った靴下や下着もAmazon、週刊誌に広告が載っていた面白そうな本もAmazon、喪服用の黒ネクタイの長いのが急に必要になった時もAmazon、冬に冷やし中華が食べたくなった時もAmazonで買う。

プライム会員になっていると、ヘタすれば注文したその日に配達されるから便利この上ない。「翌日到着」など今ではごくごく当たり前の感覚になってしまった。

頼まれていた北海道土産を忘れた時にもAmazonで速攻で注文すれば翌日には手元に来る。怪しげな買物だろうとAmazonの箱には中味の記載などないから、ゲス100%のグッズを買っても安心だ。

思えば、いつのまにかアダルトグッズの敷居が低くなったのもAmazon効果かもしれない。その昔そうした玩具を入手するのに難儀したことを思うと隔世の感がある。

実は20年ぐらい前に、ひょんなこととひょんなことが重なって、新宿歌舞伎町の大人のオモチャ屋で夜の遅い時間に店番をしたことがある。

結構な繁盛店で、お客さんはひっきりなしに来店する。皆さん入ってくる時は恥ずかしそうだったり、恐い顔を作っていたり、重い空気を背負っている。それなりの勇気を持って店に入ってくるわけだから妙な緊張感があった。

その後、ドンキホーテあたりがそうしたグッズを置き始め、徐々にハードルは下がったようだが、それでもレジに行って対人状態で購入することが出来ない人もいる。

そういう人達にとってAmazonの出現は革命的なことだったと思う。

今の時代、妙齢の女性達は男達が思っているよりそっち系のグッズをフツーに持っている。そんな時代の流れを作ったのもAmazonの隠れた功績?かもしれない。

また品揃えが凄い。何でもある・・・。

まあ、そっちの話題ばかりになってもマズいから軌道修正。


気に入ってたくさんストックしていた日本茶のティーパックが無くなったので、新しい逸品をAmazonで探してみた。

あれこれ試した中でウマかったのがコレ。甘味もあってちゃんと急須でいれたお茶にも負けない程度に美味しい。

焼き物収集に凝った時代が長かったので、私の家には立派な急須がいくつもある。気に入った急須でいれたお茶を、これまた気に入った唐津の湯飲みで味わうのが一昔前の私の風流な姿だったのだが、今ではすっかり堕落した。

今はウォーターサーバーから無印良品で買ったマグカップにお湯を入れてティーパックを投入、ちょろちょろ揺すって蓋をして2~3分蒸らして終わりである。

でも、マズいのはイヤだから今まで何度となく「ティーパックのくせにウマいお茶」を探してきた。そんな私のような横着者にとっては辻利のティーパックは実に有難い存在である。

先日の母の日にはネスカフェのドルチェグストを送った。これまたAmazonで手配した。コーヒーカプセルも適当に付けて登録済みの実家の住所を選んでポチっとクリックして完了。


労力を全く使っていないから大げさに喜ばれたり感謝されると逆に困惑する。そのぐらい「買物」という環境が変わったのだろう。

「楽天」はすっかり使わなくなった。ネットの世界では他の業者より先行した者が勝利者としての地位を寡占状態で維持するものだと思っていたが、そう簡単ではないようだ。

やはりAmazonのスピード感や安定感、サイト上の見やすさ、使い勝手は圧倒的である。10年、20年後にどこまで買物環境が激変するのか興味深い。

2017年6月9日金曜日

高い医者 高い薬


最近は富豪っぽい話を書いていないので、今日は少しリッチ?な話題。

とか言いながら、職場の近くのお医者さんや薬の話がテーマだ。ちょっとシケた話かもしれない。

職場から近い住宅街にある内科・循環器系の某クリニックはいつもガラガラだ。その理由は「高いから」である。

でも、富豪を目指す私はヘッチャラだ。頑張って毎月通っている。ガラガラで待ち時間が無いということは有難い。少々割高だろうとOKである。

だいたい、私のように分刻みで仕事に追われ、いや、分刻みでエロい妄想にふけっていると、病院などでの待ち時間は妄想大王になってしまうから大変である。

そのクリニックには血圧を安定させる薬を毎月もらいに行くのが目的で通っている。しかし、そこの医師は巧妙な言いぐさで3ヶ月に1回は余計なことをする。だから高くなる。

血液検査や首回りの動脈のエコーとか何だかんだとやりたがる。胃腸の内視鏡検査に通う他のクリニックでも似たようなことをしているから、ちゃんと断ればいいのに、気の弱い私はついつい言いなりになる。

ただ血圧を測って薬の処方箋をもらう時の窓口負担は1500円ぐらいだが、3回に1回ぐらいは余計なことをされて7~8千円とか1万円超えの支払いとなる。

あれじゃあ患者が集まらないもの当然だろう。平気で通っている私は実に富豪っぽい。当然の如く、血液検査もエコーの結果も毎度毎度とくに大きな変化はない。

他の病院なども含めれば年に4~5回は血液検査をしていることになる。おかげで一喜一憂することもなくなった。何かの数値が高かろうと次に調べる時は下がっていることが多いから、いちいち気にしなくなった。

最近の尿酸値なんて「6・0」という過去最低値の健康ぶりである。コレステロールと中性脂肪が基準値超えだったが、一割程度のオーバーだから中年男としては、ほぼ満点だ。

でも、考えてみると、そのクリニックへの支払いは年間で5万円以上になるだろうか。血圧の薬と逆流性食道炎の薬代などその他にかかる費用も合わせれば年間で10万円にはなる。

3割負担の残り7割は公費で賄われているわけだから、ニッポンの医療費を考える上では問題かもしれない。

そのほか、3割負担の分としては胃腸クリニックや肺のCTなどに年間5万円ぐらい支払い、軽い導眠剤やタミフルを入手したり、耳掃除も自分でやるのは恐いから時々、耳鼻科に行って数千円は払っている。

風邪もひかず元気に暮らしているのに結構な医療費がかかっている。これじゃあ国家財政が医療費の増加でパンクするのも納得である。

保険負担に関係ない出費としてはハゲ予防の飲み薬と塗り薬に年間で軽く10万円以上かかる。プロポリスやセサミンDHAやビタミン類だののサプリ方面にも年間10万円以上はかかる。

そうだ、青汁にも年間10万円以上支払っている。そのほか、ここでは書けない怪しげなクスリだって結構買っている。

養育費だってウン百万である。コレは関係ないか・・・。

そう考えると、ただ普通に生きているつもりなのに、身体を保つコストとして年間ウン十万円もの支出をしていることになる。

これってどうなんだろうか。本当に必要で、かつ実際に効き目があるのは半分ぐらいなのかもしれない。ビミョーだ。

ちなみに年間のタバコ代は約20万、葉巻代にも優に10万は使っている。なんだかバカな人みたいにも思えてきた。

たぶん今後は、サメの軟骨成分だのグルコサミンだの年齢相応に余計なサプリに手を出すことが予想される。

ちゃんと稼がないと大変である。

2017年6月7日水曜日

カラオケボックスとギター


ホロ酔いで帰宅して、ギターをポロポロ奏でるのが楽しい。マンション暮らしだから、遅い時間だと「音の出ないピック」を使って遊ぶ。

ちゃんとした音が出ない上に酔っているせいで上手に弾けているように感じる。幻聴である。これが楽しい。

3年近く前に突然、神のお告げ?でギターを買って、一応ギター教室にも通った。

やりたくない練習は放棄して、ハマショーを何曲か弾ければいいというノリだったから上達はしていない。

でも、少しは弾ける。飲んで帰ってきたあと、さっさと寝ればいいのに書斎部屋に少し籠もる。5分でも10分でもギターに触れると、なかなか良いクールダウンになる。


つくづく、あの日、神のお告げを真に受けてギターを衝動買いして良かったと思う。人生に少し調味料が加わった感じだ。

日々元気に過ごしているが、どう逆立ちしたって人生後半戦である。暴飲暴食に走ったり、女性の尻を追っかけたり、思い立って旅をしたり、若い頃と同じ“お盛ん”な行動を楽しんでいるが、限界はそう遠くないはずだ。

「老後」という言葉だって確実に自分の身に近づいている。趣味というほどでなくても、自分が面白がれる遊びの素材は多めに用意していた方がいいのだろう。

先日もネットで目についた中高年限定のミュージカル劇団の団員募集という、まるで自分には縁のない広告を熟読してしまった。

その広告を見て一歩踏み出す人は、きっと人生に彩りが加わるんだろうな~などと妙に感慨深く思えた。

シニア世代の時間の使い方や遊び方はこれからのにニッポンにとって大事なテーマであることは間違いない。

まあ、そんな評論家ぶったことを書いてもしょうがない。今後は盆栽に手を出そうか、社交ダンスにチャレンジしようか、はたまた生け花か合唱団なんかも覗いてみようか。

いや、めっきり偏屈になってきたからゲートボールに手を出して地域のお年寄りと知り合いになったほうが孤独死予防に役立つかもしれない。

さて、ギターの話に戻る。

先日、小学校から高校まで同級生だった旧友とカラオケボックスにギターを持ち寄ってダラダラと遊んだ。

30ウン年前の高校生の時に学園祭で即席バンドを組んだ相手である。昨年のオヤジバンドライブでも、私と一緒にビートルズを奏でてくれた男だ。

高校生の頃は、私が作詞して彼が作曲したオリジナル曲も作った。実は最近もオリジナル曲を作って楽しんでいる。

デビューはもちろん、CD化すらされないのにそんな作業に励んでいるのは結構楽しい。

木村拓哉に歌わせたら大ヒットして印税ガッポリとか、こっちの歌は欅坂46に歌わせよう。いや、それだと秋元康に儲けをかっさらわれるなどとロクでもない話でバカ笑いしている。

カラオケボックスに長時間いたのに1曲もカラオケは歌わずに、自分達の若い頃に流行った曲やコテコテの演歌を面白おかしくアレンジして遊ぶ。

銀座あたりのカラオケボックスで深夜にオネエサン相手に奮戦して1曲も歌わないことはあるが、そんなフラチな過ごし方より1億万倍ぐらい健全かつ楽しい時間だ。

カラオケボックスだから食べ物もいろいろあるし、何よりウダウダと酒を飲みながら過ごせる。こういう使い方は大いにアリだろう。

この日のメインテーマは新しいオリジナル曲について。つい最近亡くなった共通の友人を追悼する歌だ。

少し前に歌詞は出来ていたのだが、友人がそれに合わせて魅力的な曲を作ってきてくれた。

暗くなり過ぎないミディアムテンポのメロディーで、ノッペリした私の詩に命が吹き込まれた感じがした。聞かせてもらった途端、恥ずかしながら鳥肌が立った。

この歳になると、日々の暮らしの中で鳥肌が立つ感覚になることなど滅多にない。もちろん、友人には大感謝だが、思いつきでギターを始めたことがそんな体験につながったのなら、私自身の無謀な挑戦も意味があったのだと思う。

「カラオケボックスにギターを持ち込んで遊ぶ」。ちょっとクセになりそうだ。

2017年6月5日月曜日

禁煙と体罰の話


嫌煙ファッショもここまで来ると喜劇のように感じる。「三次喫煙」なる言葉を聞いて思わず笑ってしまった。

受動喫煙が二次喫煙で、三次喫煙とは衣服や髪の付いた煙草の匂いが有害だという話である。いやはや世も末だ。

ここ20年ぐらいの嫌煙ブームはアメリカあたりのヒステリックピーポーが先導してきた。

アメリカ人といえば近世の地球上における大バカ政策の代表である禁酒法を編み出した連中だ。さもありなん。

タバコが嫌いな人は衣服や髪に匂いが付くことがイヤだろうが、「有害物質だ。さあ大変!」って話になっちゃうと何だかズッコケたくなる。

そんな話をタテに今後、国家がアーだコーだ喫煙者をイジめて喜ぶのならタバコ自体を法律で禁止すればいいのに、貴重な税収源だからそういう話にはならない。

なんだかな~って感じである。

いま厚労省が必死で進める飲食店の全面禁煙化が自民党の抵抗で骨抜きになりそうな雲行きである。これに関しては熱烈に自民党を応援したくなる。

自民党だけではない。安倍政権は役所に対して「首相のご意向」の一言で黒を白にしちゃうようだから、次は厚労省相手に突っ走って欲しいものである。

さて、タバコの話ばかりはついつい回顧話をしたくなる。昔の大らかさは今思い出しても別な星の出来事だったかと思えるほどだ。

駅のホームの吸い殻は常に煙りモーモーだったし、飛行機の中でも普通に吸えたし、職場の空気は紫色に見えた。

仕事柄、ヘビースモーカーばかりの職場だったから、私自身のタバコの量も異常だった。灰皿の上でムダにしちゃうことも多かったが、20代の一時期は1日4箱ペースだった。

吸える場所が極端に少なくなった今ではどんなに頑張っても4箱は無理だ。そのぐらい、いつでもどこでも「ノロシ」を上げるかのように煙に囲まれていた。

ちなみに、高校生の頃、しょっちゅう職員室に呼び出される生徒だったのだが、何が印象的だったかといえば煙草の煙と匂いである。

不幸なことに高校2年ぐらいになるとタバコのウマさを知っていたから、職員室がうらやましくて仕方がなかった。

タバコをふかしながら私を叱る先生の前で必死に煙を吸い込んでいた。ひとしきり説教をくらった後は、先生の横に居座って世間話をするふりをしがら副流煙を摂取していた。

当時はすべてが大らかだった。タバコに限らず、今の時代なら社会から糾弾されるようなこともごく普通の日常の光景だった。

良し悪しは別として、大らかだからこそ「加減」を学んだ側面もあったと思う。

たとえば体罰。先生からの鉄拳制裁はごく普通のことだった。小学生の頃からバンバン叩かれたし、グーパンチもドシドシ食らった。

一番ヤバかったのは、高校生の頃、校庭の真ん中に立たされた時のことだ。授業中に教室を追放され、いつものように廊下に立ったのだが、「お前が近くにいるだけで腹が立つ。校庭の真ん中で立ってろ」と言われた。

渋々、誰もいない校庭の真ん中に行き、誰も見ていないだろうとあぐらをかいて座ってボンヤリしていたのだが、授業が終わった途端、その教師がダッシュで校舎の階段を駆け下り、こちらに向かって走ってくるではないか。

鬼の形相である。よくもまあそんなに長く怒りの感情が維持できるものだと驚く。ダッシュで近づいてくる先生は私に近づくと拳を振り上げて走ってくる。そして走ってきた勢いのままグーパンチである。

何よりもその執念にビビった。理性を失った中年男が純粋に怒りにまかせて放ってきたパンチである。教育的指導で殴られる感じとは別次元である。ある意味とても恐かった。

「キレた中年男は危ない」。早いうちに学んでおいて良かったと思う!?。

しょっちゅうビンタやゲンコツを見舞われたが、不思議と先生達を恨んだことはなかった。逆に自己反省につなげた。

自己反省などというと殊勝な少年のようだが、そんな可愛い話ではない。殴られるような悪いことを反省したわけではない。悪いことがバレたことを反省したわけだ。

殴られるのはイヤだ。痛いというより他の生徒の手前、カッチョ悪い。殴られないためにどうすれば良いか。バレないように知恵を絞る必要がある。そういう論法で「要領」や「加減」を身につけた気がする。

社会に出てオトナになれば「加減」や「要領」がすべて?である。その辺が分からないヤボったらしい人はシャバダバである。

それなりに要領や加減を意識しながら半世紀以上に渡って大過なく暮らしている。そう考えると、あの頃、殴ってくれた先生達に改めて感謝したくなる。

脈略のない話でスイマセン。

2017年6月2日金曜日

イクラ健康説


大好きな画像である。今年撮った中で一番好きかもしれない。白米にイクラである。サンシャイン池崎のように叫びたくなる組み合わせだ。

炊きたての白米をハフハフと噛みしめると、イクラから溢れ出すジュンワリとした味わいがコメの香りと混ざり合って口中に広がる。ウットリする。

子供の頃は親の保護監察下にあったから、ドバドバと好き放題にイクラを食べることなど出来なかった。

今は大人だから鬼盛りイクラを楽しめる。
その点だけを考えても二度と子供になど戻りたくない。

ただし、子供の頃には一切気にすることのなかったプリン体だのコレステロールだの痛風だの動脈硬化といった厄介事が大人には付きものである。

で、イクラはそうした「大人の事情」の範疇では、まるで戦犯のようにイメージされる。身体に悪いものの代表みたいな位置付けだ。

確かにコレステロールはそれなりに高いようだが、それでもウナギやシシャモよりは低いそうだ。シュークリームやショートケーキと同程度らしいので食後にそういうモノを食べなければ大したことはない。

痛風の元になるプリン体がブリブリ含まれているというのも誤解だ。どちらかといえばプリン体は少ない方だ。

ネットからパクった100グラムあたりのプリン体含有量を貼り付けてみる。

イクラ 3.7
スジコ 5.7
タラコ 120.7
明太子 159.3
カズノコ 21.9
カニミソ 152.2
ウニ 137.3
アンコウ肝 104.3
鶏レバー 312.2
豚レバー 284.8
牛レバー 219.8
カツオ 211.4
クルマエビ 195.3
鶏ササミ 153.9
鶏モモ 122.9

ホンマかいな?と言いたくなるほどイクラは低い数値である。優等生だ。こんな数値を見ると焼鳥屋さんに行くより寿司屋でイクラばかり食べた方がヘルシーという話になる。


この画像は「鶏レバ炙りポン酢」だ。ほぼナマの状態のネットリとエロティックな絶品である。時々訪ねる豊島区内の焼鳥屋さんで食べる。

レバーの串焼きだったら5本分ぐらいの量だからプリン体ドバドバ状態である。冒頭画像の鬼盛りイクラをあれより5倍10倍食べたとしても、プリン体の面ではヘッチャラという理屈だ。

本当だろうか。メンドーだから本当だと心から信じようと思う。

コレステロールはそこそこだし、プリン体の面では心配ないのなら、なぜイクラには不健康イメージがつきまとうのだろう。

「ブスは性格が良い」みたいな単なる根拠のない思い込みだろうか。きっとそうだと思う。実際にはブスの人々は性格まで歪んでいることも多い。それと同じで、実際はイクラは健康食品なのかもしれない。

あと一つ考えられるのは、昭和の頃の親世代が自分達の好物を子供にガツガツ食べられないように一種の目くらましとして「イクラ悪者説」を仕立てた可能性もある。まさしく風説の流布だ。

確かに昭和の頃のイクラは、今のようにダシ醤油味ではなく塩漬けが主流だった。凄く塩辛かったから塩分を考えると不健康な側面もあっただろう。

まあ、なんだかんだ言って今日の所は「イクラはヘルシー」を結論にしたいと思う。

ちなみに、あくまでヨタ話ですので、大真面目に学術的な反論コメントなどしないでください・・・。

2017年5月31日水曜日

某月某日 ゲス


某月某日、某所で夜の8時半から暇になる。結構空腹。界隈の土地勘がないので途方にくれる。

気分はチキンライス。なぜか無性にチキンライスが食べたかったのでネットで近隣の店を調べてみるが、ピンとくる店が無い。

ふと、ジャンクなチキンライスを食べさせる焼鳥屋を思い出す。で、わざわざ銀座に向かう。クラブがひしめく7丁目の雑居ビル1階にその店はある。

高級焼鳥屋ばかりのこの界隈では珍しく「ごく普通の焼鳥屋」である。それはそれで貴重だ。ウマくないけどマズくもない。

わざわざその店を選ぶ時は、飲んだ後のシメにチキンライスが食べたい時だった。

3~4年ぶりに入ってみた。運良くカウンターは私一人。夜9時の銀座にありがちな光景だ。

まったりしながら生ビール、生レモンサワーをグビグビ。適当にツマミを食べたあとにチキンライス登場。久しぶりの対面だから期待に胸を膨らませたが、出てきたのは私の記憶とは違う一品だった。


マズいわけではない。かなり美味しい。でも、私が以前ガツガツ食べていたのは、もっと量も多くてジャンクな雰囲気が漂うヤツだった。

全体にマイルドになってしまった印象だ。以前はいつ食べても攻撃的な量のコショウが投入されていてヒホヒホ言いながら食べていた。

どちらかといえば、この日のチキンライスが正しくて、以前のほうが邪道である。にもかかわらずジャンク・チキンライスを求めていた私としては何となく寂しい。

人間の味覚がいかに気まぐれでワガママなのかを思い知る。

で、夜も更けてきた銀座である。部活をサボるわけにもいかない。久しぶりの店に顔を出す。

チキンライスの話題から洋食文化の話、北朝鮮情勢から国家戦略特区の話などをワケ知り顔で語る。でも、気づけばワイ談に発展。毎度のことである。

自慢じゃないが、ワイ談の引き出しはいっぱいある。オレは結構モテるんだぞとホラをふいて過ごす。最近の武勇伝?をモチーフにエロの道を高尚な口ぶりで力説。

気づけば日付が変わりそうな時間になっていた。相変わらず「馬車がカボチャに変わっちゃうから帰ります」とオヤジギャグにもならない決まり文句を口にして退散。

夜風が気持ちよかったから少し離れたタクシー乗り場を目指して歩く。通り沿いの長崎ちゃんぽんの店が目に入る。

「皿うどんにソースかけて食いたい」。悪魔のささやきが脳裏をよぎる。自制心と悪魔がせめぎ合う。

しばし立ち止まって店頭のメニューを凝視していたら、知り合いのオネエサンに肩を叩かれる。オネエサンも帰り道だとか。


夜食を食べる暇があるなら一杯おごれと言われて、成り行きで近くのバーに向かう。皿うどんなら600円で済んだはずだか、気づけば高そうなバーである。ビミョーだ。

そうはいっても、マッカラン片手にオネエサンとしっぽり盛り上がる。ついさっきまでの店ではガハハハオヤジとして過ごしていたのに、今度は二枚目路線を演じてみる。コロっと豹変した自分のゲスぶりに我ながら呆れる。「あわよくば精神」丸出しである。

ムーディー?な雰囲気の中、オネエサンは最近失恋して寂しいなどとグチをこぼす。こういう時は同調するのが一番である。私もマネする。

この頃は忙しくて色恋から遠ざかっている。一人の夜は寂しい。そんな趣旨の話を遠い目をしながら語ってみる。なんともセコい?言動である。

まあ、ウソを綺麗につくことがこの街のルールみないなものである。そんな日もあっていい。

なんだかんだ言って、そんなコスっからい偽装までしちゃうのは男の本性である。ゲスだろうと何だろうと、まだまだ男として現役でいようという情熱を失ったら終わりである。

などと、結局、自分に都合の良い解釈をしちゃうところがゲスなのかもしれない。

2017年5月29日月曜日

軽率な人 ヌルい仕事


「思ったことをそのまま口にする」。これは愚の骨頂だ。バカと利口の分岐点はいろいろあるが、こういう習性はその最たるものかもしれない。

私も人のことは言えない。割とボソっと思いつきでマズいことを口にする。反省しても後の祭りだ。

割と最近も、息子さんが頑張って受験に合格したと喜ぶ知人に対して「あの大学なら頑張らなくても入るでしょう」と失言してしまった。

その人のことが嫌いだったから、ついそんなことを口走ったのだが、結果的に見ず知らずの若者のことをクサしたわけだから弁解のしようもない。大反省である。

自分のことはタナに上げて話を続ける。

一般的には空気が読めない人や想像力が足りない人が平気で失言をする。本人は失態に気づいていないのが厄介である。愚かさも行き過ぎると痛々しく感じる。

先日、自民党の大西某なる代議士が「がん患者は働くな」という失言をカマして騒動になった。居酒屋の酔っ払いの会話でも非難されそうな発言を党の厚生労働部会というオフィシャルな場で言っちゃう神経に驚く。

震災をめぐって「東北で良かった」と発言した前復興大臣、博物館の学芸員を「がん」と呼んだ地方創生担当大臣、「長靴」発言でクビになったどっかの政務官もいた。

「選良」であるはずの国会議員のヌルさにはほとほと呆れる。防衛大臣や法務大臣も国会答弁でチンプンカンプンだし、選良の中でも上位の役職に就いている人間の劣化はかなり深刻だと思う。

ちなみに、だいぶ前の話だが、上で列記した中の一人と酒を飲む機会があった。その人の頭の中は選挙のことだけ。

「汚いジジイの食べカスが浮いている盃を喜んで飲み干すのが大事な仕事だ」といった話ばかりで、何かとトンチンカンだったことが印象的だった。

さてさて、なんだか無敵大王?みたいな雰囲気も漂い始めた安倍首相だが、先月の失言があまりメディアを騒がせなかったことが気になる。メディアの弱腰ぶりを端的に表していると思う。

例の森友学園問題で一気に流行語になった「忖度」をめぐる発言だ。役人による政権トップへの忖度の是非をきっかけに一種の流行語になった言葉だ。

銀座の商業施設のオープニング式典に出席した安倍さんは、自身の地元である山口県の物産をアピールする目的で「忖度していただきたい」と発言、会場の笑いを誘った。

森友学園の問題は、国有地が恣意的に安値で払い下げられていたのかという疑獄事件になる重大問題である。その渦中で問題視されている言葉をジョークに使うのはさすがに非常識だろう。

首相をはじめとする政権与党からの一連の失言や不祥事に対しては「一強のおごり」という論評が盛んだが、そんな高尚?な話ではない。単に政治家の劣化が原因だと感じる。

思いついたことをそのまま口に出すことは端的に言えば軽率そのもの。軽率な人間でも務まるほど彼らの仕事がヌルいのだとしたら驚きであり、恐怖でもある。

問題が相次いでも政権支持率は高いままだ。これについてもメディアは「政策重視の現れ」などともっともらしく論評する。果たしてそうだろうか。政治不信を通り越した「政治無視」がもたらした副産物でしかないように思う。

安倍首相をめぐって今度は加計学園の獣医学部新設をめぐる問題がキナ臭くなってきた。サミットでの不在中に沈静化を計りたい首相側と追及する勢力との間で水面下でどんな攻防があったのか興味深い。

今日は元嫁から先日言われた物凄い“問題発言”を面白おかしく書こうと思ったのに、まったく違う話になってしまった。。。

2017年5月26日金曜日

ワイン、コーヒー、誤解だらけ


世の中に染みついているヘンテコな固定観念をついついナナメから見てしまう。ひねくれているのか、アマノジャクなのか、偏屈なのか、おそらく全部だ。

ワインは優雅。これも意味不明である。なぜかワインばかりがオシャレとか優雅とかゴージャスを表すアイテムになっている。

「ホッピージョッキを優雅に傾け」という表現は日本中どこでも聞くことはない。でもワインの場合、安物だろうと途端に“優雅系アイテム”とみなされる。意味不明だ。

確かに上質なワインが希少かつ高級品であり、その世界が奥深いことは私でも分かる。そういう次元なら、そりゃあ優雅でゴージャスだが、テーブルワインレベルの安酒まで妙に有り難がっちゃう風潮はシャバダバだと思う。

そういう人々に限って、素晴らしい出来のワインでも日本製だというだけで目もくれない。フランスやイタリア産というだけで安物だろうと目を輝かす。

「並んでいる店だから並んでみる」みたいな感覚でラーメン屋に集う人や、ネット上のクチコミが絶対だと思っているグルメちゃんと同じ感覚だろうか。

そのモノの味や自分の好みに関係なく「情報を食べている」ようなヘンテコな風潮と、「ワインは正義」みたいに信じ込んでいる人の根っ子は同じだと思う。

私が子供だった昭和の頃は「ワインは別格」という価値観が世の中を支配していた。あの当時なら仕方ないが、これだけ情報やモノが豊富になった今になっても同じ感覚なのはどうなんだろう。

「牛肉こそ最高」、「肉といえば牛に限る」みたいな風潮も同じ。あれも昭和の悪しき固定観念の一つだろう。

昔は今ほどウマい豚や鶏が一般的ではなかったからかもしれないが、なんとなく違和感がある。歳のせいで牛肉が苦手になった私の意見なのでゴメンなさい。

他にも例をあげればキリがない。寿司屋における“トロ大礼賛”だって、いかに好みの問題とはいえ、脂を混ぜたトロ風のものまで人気があるわけだからケッタイに思える。

その他、私がいつもバスローブを羽織ってブランデーグラスを傾けているという一部の人の思い込みも間違っている。

おっと脱線した。軌道修正。

食後に当たり前のようにコーヒーが出てくるのも好きではない。まあ、これも個人的な好みなので気に障る人がいたらゴメンなさい。

バターぶりぶり、オリーブオイルぶりぶりみたいなこってり料理ならコーヒーで結構だ。エスプレッソなんか最高だ。

問題なのは、普通の日本的な食事や、ましてやご飯モノを最後に食べた後にコーヒーが出てくるパターンだ。首をひねりたくなる。

ワインと似た感覚かもしれない。なんとなくコーヒーは格上みたいな感覚が厳然と存在するように思える。

食後はお茶だろう。せめて紅茶だ。ほうじ茶バンザイである。

あれこれと書き殴ってみたが、読み返してみて気づいたのは、自分がいかにどうでもいい小さいことをウジウジと気にしているかという現実だ。

なんとも器の小さい人間である。もっとデンと構えて大らかに過ごさないとダメである。

チマチマしたことにイラつくのは歳をとった男の悪いクセである。

仕方がないから優雅な気分で安ワインを飲んで、立ち食いステーキをもったいぶって食べ、寿司を食べた後にコーヒーを飲んでみようと思う。

やっぱり気が狂いそうだからヤメよう。

2017年5月24日水曜日

帯広ぶらぶら


この前の週末、思い立って帯広に行ってきた。天気予報を見ながら晴天を見込んで行先に選んだのだが、やたらと暑かった。

31.4度である。5月の北海道で清々しい風に吹かれようとしたのにアチチチ状態だった。



庭園めぐりと温泉が主な目的である。暑いながらも新緑の美しさを堪能し、夜になれば涼しい空気の中で温泉を楽しめた。

お菓子の六花亭が管理している「六花の森」をはじめ「十勝ヒルズ」、「十勝千年の森」、「真鍋庭園」などをブラブラ巡ってみた。

たまにはこんな森林浴も楽しい。空気の美味しい所に行くと妙な呼吸法にせっせと取り組むクセがあるので、たぶん肺や気道関係がすっかり綺麗になったはずだ。



前回、十勝エリアに来たのは10年以上前のことだ。森林浴を楽しめる庭園施設は以前より増えたようだ。雄大な大地の眺めそのものをウリにするのは極めて正しいと思う。ヘンテコな施設を作り込むより遙かにマシだ。


この画像は昭和の頃に一世を風靡した「幸福駅」である。もう20~30年前に廃駅となったそうだがが、観光名所として奮闘している。

「愛国駅から幸福駅の切符」といえばウン十前の若者にとっては大人気アイテムだった。カップルで買い求めたり訪ねたり、そりゃあもう日本全国の男女がハシャでいた。

その後、どのぐらいのカップルが破局したり離婚したのだろう。そっちのほうが気になる。

さて、帯広といえば何はさておき「豚丼」である。あちこちに専門店が存在する。実にうらやましい。

東京にも専門店が増えるべきだと思うが、一向にそんな気配はない。豚丼に目がない私からみれば摩訶不思議としか言いようがない。


帯広駅からだいぶ離れたエリアにある「いっぴん」の豚丼だ。週末だったから帯広駅周辺の人気店を避けてここを選んでみた。

それでも10分以上待たされたから地元の人から熱く支持されている店のようだ。素直にウマかった。大正解。ムホムホかっ込んだ。

タレが甘すぎたり濃すぎる店も少なくないが、ここの味付けはちょうど良い。近所にあったら頻繁に通いたいが、ちっとも近所ではないのが残念だ。

泊まったのは十勝川温泉第一ホテル。以前も泊まったことがあるが、モダンな雰囲気に改装されていた。


小ぶりな露天風呂が付いている部屋に泊まった。十勝川温泉特有の茶褐色というか黒っぽい色のモール温泉が部屋まで引かれていてなかなか快適だった。

大浴場の露天風呂も良い感じだった。南国リゾートの海に溶け込むようなインフィニティプールのように池と浴槽が低い高低差で隣接しており開放感タップリ。

運良く外国の団体さんと遭遇しなかったので贅沢な気分で湯もみができた。

個室で食べる夕食も丁寧に作られていた。大型旅館にありがちな大味なサービスではなく、全体にキチンとしていてコストパフォーマンス的にもオススメだと感じた。

一番感心した点は朝食だ。一般的な旅館の朝食以外に豚丼が選べた。ワンダホー!である。私にとってはウッキウキだった。

普通の朝食も品数、味ともに充分満足できる内容だったが、日頃「ヘビー朝飯」を標準に生きている私にとって「朝の豚丼」は万々歳である。

朝だから小どんぶりにチョロッと盛られたやつが出てくるのかと心配していたが、しっかり盛りのガッツリ系だった。写真は取り損ねた。

こんなニクいサービスがある宿を私が悪く言うはずはない。「十勝川温泉第一ホテルはオススメだ!」。回し者みたいである。

最後に今回一番気分がアガった光景を載せておく。



帯広市街からさほど遠くない距離の音更町で遭遇した菜の花畑だ。ガイドブックや事前情報ではこんな光景に出会えることを知らなかったのだが、たまたま現地で「菜の花畑がまっ盛り」という話を聞いた。

スンバらしかった。一面の黄色である。花に興味の無い私でも興奮できた。

綺麗な空気と綺麗な景色。十勝エリアは何となくブラブラ散策するのに最適なエリアだと思った。

2017年5月22日月曜日

悩ましきフローズン


暑い季節が近づいてきた。今年も熱中症で死なないように気をつけないといけない。

気候と酒の関係は密接だ。冬にはたいしてウマくない生ビールが着実に美味しく感じるようになってきた。当然、熱燗の出番も激減。


先日行ってきたカリブでは、何とかの一つ覚えでフローズンマルガリータかフローズンダイキリばかり飲んだ。暑い気候との相性がバッチリである。

マルガリータはテキーラ、ダイキリはラムベースである。カリブ海のメキシコ側にいたわけだから、ラムとテキーラの本場である。ミーハーな私はどうしたってその2種類ばかり。

テキーラもラムも普段は見向きもしないのにフローズンのカクテルにすれば大好物に変わる。

映画「アナと雪の女王」の原題が「Frozen」だと知った時も、私の頭の中には南国でマルガリータを飲む光景が浮かんだ。当然、“少しも寒くないわ~”って感じである。


先日、銀座のシガーバー「コネスール」でトリニダッドのレジェスをふかしながらボンヤリする時間があった。なんとなくフローズンマルガリータを注文した。でも、そんなにウマいと思えなかった。気分屋で単純な私だから、こういうものは南国で短パン姿で飲むべきだと改めて思った。

ところで、フローズン状態のカクテルと言えば、一般的にマルガリータとダイキリぐらいしか思い浮かべない。実に不思議だ。

一応、フローズンハイボールとかフローズンギムレットなどもあるらしいが、ポピュラーな存在だとも思えない。私がカクテル方面に詳しくないせいだろうか。

フローズンのカクテルに詳しい人がいればオススメを聞かせていただきたい。

フローズンのカクテル、いわばお酒のシャーベットである。これからの季節にピッタリだ。甘味があればデザートにもなる。

そういえば、日本酒を凍らせた凍結酒なるものを何度か飲んだことがあるが、あれも立派なフローズンである。この夏は凍結酒にこだわってみようか。


この画像はメキシコのバーで撮った一枚。題して「意味不明」。いろんな種類があるのは分かるが、マンゴ味以外はどんな味だか想像も出来ずに難儀した。スマホで調べたら確か二番目のヤツは「梅干しっぽい味」とのことで頼んでみた。ほぼ梅サワーだった。フローズン梅サワー、悪くない。

考えてみればシャリキン仕様のホッピーも、焼酎をシャーベット状にしてホッピーを投入するわけだから、フローズンホッピーと名付けた方がカッチョいい。

さてさて、普段、バーに出かけるとマッカランをロックでチビチビやっているのだが、ホントは甘いカクテルが飲みたい。メロン味とかイチゴ味とか素直に憧れる。

でも注文できない。オトナの矜持というか、つまらない見栄というか、ダンディーを目指したい過剰な自意識みたいな余計な「邪念」が邪魔をする。


だから旅先の南国で赤や黄色のフローズンカクテルに異様に執着するのだろう。バリッとスーツを着てネクタイを首に巻き付けながらこんな色の酒を注文するのは結構な勇気が必要だ。

マルガリータやダイキリもプレーンのものならオトナの男がスカして飲んでもサマになるが、色付きのフローズンでストローが刺さっちゃうと途端にナヨナヨする。

「好きなモノを人の目なんか気にせず飲めばいい」。人様に対してはそんなセリフを平然と語るクセに自分は全然ダメである。

そろそろ脱皮しようと思う。

2017年5月19日金曜日

私のカツ丼物語


ドンブリは若者専用。そんな根拠のない思い込みのせいで損をしている。ドカ盛りのドンブリ飯をかっ込みたいのに、つい我慢することが多い。

酔っていれば深夜に牛丼の特盛りを平らげるくせにシラフだとナゼか丼モノから一歩引いてスカした顔をしている。

基本的に昼飯を食べないことも原因かもしれない。昼のドンブリならともかく、夜のドンブリが問題である。

夜はじっくり腰を落ち着けて食事をしたい。そんな思いが強いからドンブリの出る幕がない。


馴染みの焼鳥屋に行っても、その店で1番ウマいのが親子丼だと知っているのに、ついついレバーやナンコツの串焼き、ササミキムチあたりで焼酎をあおっている。

先日もあてもなく新橋を歩きながら豚丼のウマい店の前を通ったのに、夕飯が10分程度で終わっちゃうのは寂しいという理由でパス。その後、どうでもいい小料理屋に入って激しく後悔した。


天ぷら屋さんに行ってもホントは天丼を食べたいのに、分かったような顔をしてお好み天ぷらである。おまけに塩で食べさせられてイライラする。

こんなことで素直になれない自分がバカみたいである。いやバカだ。

カツ丼。その響きを聞いただけでヨダレが出ちゃうスーパースター的ドンブリだが、なかなか食べる機会が無い。

蕎麦屋に入ったら気取って蕎麦をたぐらないとヤボだと思っているし、トンカツ屋に行っても上等なヒレカツをじっくりと味わうことがオトナの嗜みだと思い込んでいるから、カツ丼をガツガツ食べるチャンスがない。


大衆酒場ではちょくちょく「カツ煮」を頼む。カツ丼のご飯抜きである。素直にカツ丼にしてもらえばいのに、それだと負けた気がする。これまた御苦労な思い込みである。

毎日でもカツ丼を頬張りたい。誰に向かって遠慮したり気取っているのかサッパリ分からないが、そんな簡単なことが実行できない。

おまけにカツ丼を食べない言い訳として「トンカツはソースに限る」と強硬に主張することもある。もちろん、筋金入りのソースマンとしてトンカツを塩で食べるのは絶対にイヤだ。でも、カツ丼のあの「卵とじ&蕎麦つゆ味」は別ものである。

ソースマンとして一部地域の定番であるソースカツ丼も幾度となく食べてきているが、やはり東京人にとっての正統派カツ丼といえば、卵とじのアイツである。

で、先日、日頃の欲求不満に耐えかねてカツ丼を食べることを目的に夜のトンカツ屋に出かけた。

場所は銀座の「梅林」である。隣の席では白人の観光客がトンカツ定食を前に喜色満面である。

そこへ私の注文したカツ丼がやってきた。「黒豚スペシャルカツ丼」2500円である。富豪を目指す私としては、この店に4段階用意されているカツ丼の中でも最上級の1品を注文した。


卵とじに加えて半熟卵トロ~リである。隣の白人が羨望の眼差しを送ってくる。いや、気のせいかもしれない。でも、心の中で「キミ達ビギナーにはまだ早いよ」とつぶやきながらムホムホと食べる。

幸せだった。

でも、別の日に銀座6丁目の「とん喜」で食べた凄くウマかったカツ丼の3倍もの値段を払うのはビミョーではある。

結論としては、チョット高いぐらいのカツ丼がベストだろう。そのぐらいだと、手頃なカツ丼よりは店の頑張りやこだわりを感じるし、なによりも、オトナのドンブリっぽいイメージになる。

結局、意味不明な見栄が邪魔して私の「カツ丼愛」はねじ曲がっている感じである。

2017年5月17日水曜日

「暇な女子大生」にエロを学ぶ


チマタで話題になっている「暇な女子大生」というツイートが面白い。単なるお下品日記かと思いきや、なかなか奥が深い。

高学歴エリート男にだけ萌える女子大生の「男食い日記」なのだが、ツイッターの文字数制限の中で実に端的にフェティズムを表現している。

ダラダラと長文のブログを続けている私からすれば、短い文字数で「フェチの深淵」を表現する彼女の才能は素直に尊敬に値する。

いわばハイスペックフェチの女性である。自分が努力しても受からなかった東大や京大卒のエリートだけに性的興奮を覚えるとか。

男の顔立ちや収入などは二の次。あくまで高学歴という部分だけがポイント。そんな男達の卑猥な姿に萌えるそうだ。

独自の用語も面白い。セックスすることを「優勝」と表現する。高学歴男子と結合した時の嬉しさは、何かで優勝した時のような満足感があるというのがその理由。

その逆に、萎えてしまった時の状態は「サバンナ」と表現する。分かりやすい。

エッチ系のツイートや日記はとかく武勇伝みたいなノリになりがちだが、彼女のツイートは時に謙虚さも感じる。素直に自らの嗜好を飾りっ気なく表現しているから小気味よい。

半年で19万人ものフォロワーを集めるほど注目されているが、大きな炎上騒ぎになったことは無いらしい。

批判や攻撃的な反応が寄せられても、結局はやんわりと論破している。大したもんだ。そもそもフェチ日記である。教科書的なくだらない批判を寄せる人の方がカッチョ悪い。

ちなみに私には高学歴フェチの傾向は無いが、性癖は十人十色である。この女子大生の主張する話も理解できる。まとめて彼女のツイートを読んでいると、妙にうなずけるし納得する。

ちなみに個人的に笑えたのは、

~山崎賢人(高卒)より黒田東彦さん(東大法学部卒日銀総裁)のほうが子宮が疼く~

それがフェチってものだろう。

東大、京大には興奮しても阪大とは「優勝できない」理由を、

~首都圏の東大至上主義の高校で育ち阪大に馴染みがない~ からであり

~洋物は綺麗だが身近ではなくヌケないという理論と同じ~ だと明確に語る。

男でもつい納得してしまう例えである。

ある日関係を持った東大卒財務官僚については

~一重の塩顔だったが、財務省補正により坂口健太郎に見えた~、~国家を牛耳っているのに体液が抑えられない、エッチ~ だと分析。

一般的にハイスペック男子がモテるのは、当たり前の話だが、この女子大生の場合、結婚だの恋人を求めているわけでなく、単に性癖として高学歴男子に興奮する。その点を素直に吐露しているのが清々しい。

~男が『看護師はエロい』と感じるのと同じように『東大卒はエロい』と感じる。普段バリバリ働いているエリートが私に舐められて吐息を漏らしている姿に興奮する~。

要はそういうことである。

男女を問わず、確かに性的興奮の対象として相手のスペックというかバックボーンみたいな部分に影響されることは多い。

看護婦さんしかり、婦警さんしかり、当人達にとっては大迷惑だろうが、制服系については昔から世の中のエロ本の題材にもなっている。

レースクイーンだモデルだ、はたまた女優だのアイドルだの、一般的に男目線を喜ばせる職種の女性も、いざそんな場面の相手だったら、たいていの男は普通以上に萌える。そんなもんだろう。

他にも、希少性のある仕事に就いている女性であれば、妄想男にとってはフェチの対象になり得る。

仕事がカタブツ系だったりすればその傾向は強まると思う。たとえば、いつもは白衣をまとって顕微鏡を覗きながら物凄く難しい分野の研究に励んでいる女性を例に取ると、やはりオンとオフのギャップが大きそうで「萌え~」である。

私自身は相手のバックボーンといっても、その人の過去のエッチな経験を聞き出して萌え萌えする「過去フェチ」なので、相手の仕事やスペック的なものにはさほど興味が無い。

いや、よく考えてみるとそうでもない。

自分が根っからの文系人間だから理科系のいわゆる「リケジョ」が相手だと妙に鼻の穴が広がる傾向はあるかもしれない。

実際、大学院卒の科学系の研究者とか女医さんとか、数学の高校教師とか、そういうポジションの女性から放たれる異人種的オーラ?にノックアウトされたことはある。

あの感覚は「暇な女子大生」と似たようなものかもしれない。視覚、聴覚、感触といったものとは違う脳のどこかが独特の興奮を覚える感覚だ。

そんな時の感性はSな部分とMの部分のせめぎ合いである。SとM、どちらも兼ね備えて初めて「エロ」である。

よく分からない話になってきたが、そういうことである。


2017年5月15日月曜日

ビキニが呼んでいる


今日も旅の続きの話ですが、後半はスペシャル画像?も出てきますのでご容赦下さい。

ボートと水中ガイドをチャーターして潜るスタイルはワガママな私には快適である。タバコも葉巻も吸い放題だし、スケジュールも全部マイペースで済む。


今回も深場はパスして流れもゆるやかな、いわば初心者向けと言えるようなポイントばかりで潜った。

すっかりヘタレだが、中高年ダイバーにとっては理想型だろう。疲れないし、死んじゃうリスクも激減だ。

でも、コストは結構かかるので、日によっては陸からエントリーできる手軽なポイントにも潜りに行った。

レンタカーを借りて海沿いを走って、シュノーケリングする人で賑わうビーチにも行ってみた。




青い空と青い海を見ながらタコスを頬張り、ただただホゲホゲする。命の洗濯である。中年になってからは何だかしょっちゅう命の洗濯をしている気がする。

海といえばビキニである。突然だがそれが真理だ。世の中のビーチリゾートからビキニが消えたら私は生きていけない。


ダイビングだの水中撮影だの分かったようなことを書いているが、こういう光景を目に焼き付けることこそがビーチリゾートの正しい過ごし方だと思う。

さて、そんなこんなでビーチにカメラを持って突撃である。浅瀬に小魚が泳ぎ、ヌルい水温が気持ちよい。


海の景観の中でも私がとくに好きなのは水面の輝きである。マスクとシュノーケルを付けてちょこっと沈んだまま水面の揺らめきを見ていると飽きない。

今までも「水面下」を写し取りたくてアレコレと撮影してきた。ここから先はちょっと脱線して過去に撮影した画像をいくつか載せてみる。画像はクリックすると拡大できます。



これはバリ島のリゾートでプールにプルメリアを浮かべて撮影した画像だ。一眼レフとフィッシュアイレンズで遊んでみた。


こちらはグアムに行った時にホテルの前のビーチで撮った画像だ。水中写真などというと大げさな感じだが、背が立つところでもこういう気持ちの良い写真は割と簡単に撮れる。

さてさて、話が脱線してしまった。

ビキニである。私が崇拝するビキニの話題に移ろう。

欧米人の女性の唯一の良いところは大胆な水着を着用することだ。日本人にも見習って欲しいと切に感じる。

浅瀬を泳ぐ魚を観察するより水着を観察するほうが楽しいに決まっている。



とても良い感じである。感謝である。これを撮影したのは午後も遅めだったので、太陽光の角度の関係で今ひとつ透明感に欠ける画像になったが、それでも私は嬉しい。



「水面とビキニ」。素直に美しい光景だと思う。でも盗撮である。こんなことで逮捕されないように気をつけないといけない。



この2枚はあくまで魚の写真を撮ろうと思ったら、ついでに人が写り込んじゃった画像である。左下や右下の魚を追いかけていたらたまたまお尻も映っちゃったわけだ。

仕方がない。


この一枚も白っぽい魚を追って夢中になってシャッターを押したら泳いでいた女性が偶然写り込んでしまった画像だ。

せっかくの魚の写真に人が写り込んでしまって興ざめだ。実に困ったことである。

と、くだらないことを書き綴ってしまった。他にもいろいろ撮れて!?しまったのだが、インターナショナル出歯亀野郎として糾弾されるのもイヤなのでテキトーにしておく。

ちゃんとモデルになってくれる人がいればもっと高尚かつ哲学的な画像が撮れるのだが、今回はモデルを引き受けてくれる人がいなかったので盗撮的画像しかない。

ということで、その昔、某所で撮影した盗撮ではない芸術作品?を一枚だけ載せてみる。こういう写真を撮るために何十年も水中撮影に励んできたのかもしれない。

半水面画像としては良い出来だと思う。エロくならないように爽やかさを意識して撮影した。作品タイトルは「お尻バンザイ」である。