2017年8月18日金曜日

ガヴィアル 100時間 プレミアムフォンドボー


前回、レトルトカレーの話を書いた。高いの安いのウマいのマズイの等々、あくまで主観的な話ではある。

たった1人前で1千円、2千円クラスの商品も存在するが、味に関してはあくまで「普通に美味しい」ということを基本認識にすることが大事。過剰な期待は禁物だ。

茫然自失、阿鼻叫喚?レベルにウマいレトルトカレーはなかなか無い。「普通に美味しい」という範囲の中でそれなりに優劣がつくのが現実だろう。

名門ホテルや有名レストランの名前で出しているようなレトルトカレーも多いが、期待して食べても大半は「普通」という印象で終わる。

銘柄肉、ブランド肉を冠している商品も同じ。ツッコミを入れたくなるほどミミっちい肉片だけでごまかしている商品も少なくない。

結局、具材よりもカレーの味そのものが、いかに自分の好みに合っているかがカギだと思う。

私の場合、朝食にレトルトカレーを食べることが多い。朝カレーだからヒーフーするような辛いのは選ばない。必然的にマイルド系を選ぶ。

ついでに言えば、ご飯に合うカレーが基本だ。流行のマッサマンカレーやバターチキンカレーも美味しいレトルトは結構あるが、今回は日本のコメとの相性を重視してアーダコーダ書いている。


今のお気に入りがコレ。「ガヴィアルの欧風カレー」だ。神田に実在する店らしいが行ったことはない。したがって味の再現度合いは分からない。

甘めの味付けを最初に感じて、後から少しカレーっぽい風味がついてくる。飽きやすい味ともいえるが、ヘタに辛さを強調されるより優しい味が嬉しい。

3~400円で買える点も悪くない。500円超えが珍しくないイマドキの「本気レトルトカレー」の世界では優秀だと思う。


「100時間かけたカレー」も私のお気に入りだ。ウソっぽいというか、あざとい感じのネーミングに思えたが、食べてみると丁寧に味付けされた印象で好きになった。

ジャケットのシェフのイラストが素敵だ。昔懐かしい帝国ホテルの村上料理長を思わせる風貌がニクい。何だかウマいものを作ってくれそうだ。

この2つのカレー、なんだか味が似ていると思ったのだが、MCCという同じ会社の商品だった。原材料欄を見たら両方とも砂糖が投入されている。

カレーに砂糖?と思ったが、私の味覚はそんなMCCの戦略にまんまとハマったわけだ。やるなあMCC、頑張れMCC!って感じだ。


こちらは大手・エスビー食品の「プレミアムフォンドボーディナーカレー」だ。大手企業のレトルトは定価100~200円台に数多くの商品を揃えているが、こちらは440円である。

日本中で乱立状態のレトルトカレーを横目に大手老舗が手掛けた「本気レトルト」とでも言おうか。

スーパーによっては300円台後半で買える。大人気のセブンイレブン「金のカレー」とどっこいどっこいの値段だが、個人的にはこっちの方が好きだ。

旨味たっぷり。ビーフシチューを思わせるコクの深さが、そこら辺のレトルトとは段違いだと思う。イマドキのご当地カレーの価格設定を考えれば実に優秀だ。

ネーミングやジャケットに惹かれてついつい中途半端なご当地カレーを買ってしまう(私である)なら、黙ってこれを買ったほうが満足感はあるはずだ。

今回紹介した商品はレトルトカレーの品揃えの多い店だったら比較的簡単に見つかる。前回(8月16日)書いた高級レトルトは取り寄せる手間が必要だからチョット面倒くさい。

割と簡単に見つかって値段もぶっ飛ぶほど高額ではないという点では、今日の3つは今のところ私の定番である。

2回に渡ってレトルトカレーを熱く語ってきたが、考えてみればレトルト頼みの食生活は問題である。ちょっと侘びしい。いい歳してレトルトの味を必死に研究しているのはビミョーである。

いや、今のレトルトにそんな先入観は不要かもしれない。各メーカーの本気度合いを考えれば「侘びしいモノ」というイメージはもはや時代錯誤ともいえる。

核家族化、少子化に続く高齢化社会の先に待っているのは必然的に孤食化時代だろう。そう考えるとレトルトを極めようとする私の姿勢は時代の最先端という見方もできる。

などと、相変わらずもっともらしい屁理屈をこねて自己正当化を図るのが中高年の悪いクセである。

2017年8月16日水曜日

2千円のレトルトカレー


いつの間にか世の中に溢れかえっているレトルトカレー。その種類は2千種類を超えるらしい。

ボンカレーぐらいしかなかった時代に育った私からするとオッタマゲである。

その昔、お正月のお茶の間にはククレカレーのCMばかり流れていた記憶がある。「おせちもいいけどカレーもね!」と叫ぶキャンディーズに萌えた。


昔のレトルトカレーはニッポンの家庭のカレーを踏襲していた。イモやニンジンも入っていたからイヤだったが、いつの頃からかそっちのほうが非主流派になってくれた。

いまではご当地カレーなどが百花繚乱である。100円ショップで買える安いモノから高級品までより取り見取りである。

シングルライフを謳歌する私にとってレトルトカレーは欠かせないライフラインだ。カレーに限らず、シチューやハヤシなどウマそうなものを見つけると買いたくなる。


品揃えの多いデパ地下あたりのレトルト売り場に行くと妙に興奮する。気になった商品をついつい買っちゃう。

昭和の頃はそれこそ非常食的な位置付けだったレトルト食品だが、今では“ご馳走”と呼べる商品がテンコ盛りである。

ふるさと納税の返礼品もご当地カレーが人気らしい。私もアレコレ取り寄せている。数多くの返礼品の中から市場価格を調べて、高価なヤツばかり試している。


屋久島の高級ホテルが出しているレトルトカレーもその一つ。普通に買うと1つ1千円ぐらいだ。ふるさと納税によって実質タダで入手するにはこういう路線のレトルトを選びたくなる。

ふるさと納税に限らず、機会があれば高価格路線のレトルトを買ってきたが、この「サンカラカレー」は高級路線の中でもトップクラスの味だと思う。

ただ、「高けりゃウマい」とは言い切れないのがレトルトカレーの難しさだ。カレーはもはや国民食だから誰もが自分の好みがある。当然、好みの路線から外れていたら高くてもマズく感じる。

私の場合、甘味を重視する。甘口という意味ではない。辛さやスパイシーさの中に甘味も同時に感じられるようなカレーに出会うと嬉しくなる。


さてさて、私が調べた限り世の中で一番高価なレトルトカレーがこれ。「常陸牛カレー」である。

常陸牛カレーという商品はいくつもあるが、磯山商事という会社の製品は2160円である。

牛丼を5人に奢ってもおつりが来る。内容量250グラムのうち150グラムがサイコロステーキのような肉だ。それも安いレトルトにありがちなクズ肉っぽい感じではない。確かに他のカレーとは一線を画す。


味わいも深みがあって万人ウケする感じ。もう少し甘味が欲しいが普通に美味しい。肉を食べている満足感もある。1000円ぐらいだったらリピートしそうだが、さすがに牛丼5人分という価格設定はビミョーだ。

値札を付けたまま贈答用に使うのはアリかもしれない。買うのではなく、プレゼントされたら凄く美味しく感じるはずだ。

いっそのことパッケージに定価を印刷表示しちゃった方がいいのではないか。贈答需要を考えれば面白いと思う。


肉肉しいレトルトカレーとして「爆肉カレー」という商品も印象的だった。なんとも魅力的なジャケット写真である。

実際にそれなりに肉がゴロゴロしている。1000円クラスの商品だが、カレーの味が好みに合っているならオススメだ。個人的にはやはり“甘味”がもう少し欲しい印象だった。600円ぐらいならリピートしたくなる感じ。

それにしてもレトルトカレーはジャケットデザインが決め手だ。いわゆる「ジャケ買い」需要が大きい。もちろん、ネーミングも大事だが、箱から出しちゃえばどれも素っ気ないレトルト袋だ。デザインが売れ行きを左右するのは間違いない。

すっかり有名になった「横須賀海軍カレー」もネーミングとジャケットデザインが人気のポイントだろう。今では似たような商品が無数に登場している。

なんだか長くなっちゃったので、次回はもう少しお手頃価格のレトルトカレーについて引き続き熱く語ろうと思う。

2017年8月14日月曜日

銀座のざわめき


武井咲ちゃん主演のドラマ「黒革の手帳」が好評らしい。過去に何度もドラマ化された松本清張モノである。銀座のママさんが丁々発止するストーリーだ。


私も毎週録画して観ている。先月、このブログで、主演が若すぎるし悪者感に乏しいと書いたが、決してそんなことはなかった。かなり堂に入った悪女ぶりである。

長年に渡ってシタリ顔であの街で飲んできた目で見れば、ツッコミどころは多いが、そんなことに関係なく全体的に面白い。ストーリーを知っていても次回を観るのが待ち遠しい。

武井咲ママの店が入っているビルは8丁目の某ビル。私も時々訪ねる建物だが、ドラマでは外観だけを使っている。あのビルにあんなに若くて美人のママはいない。

まあ、そんなことはどうでもいい。数え切れないほどのクラブがひしめくあの街で私が覗いたことがある店は限られている。

最近はすっかり新店開拓もサボっているので最新事情などは知らない。飲みに出る頻度も以前より減ってしまった。

先日も「同伴しなくていいから食事だけ付き合って~」と囁かれて、結局まんまと店まで連行された。そんなのばっかりである。

私を手玉に取るのはアノ街のオネエサンにとっては超簡単だろう。男気っぽい部分をくすぐられたらイチコロである。自分の単純さにいつも呆れる。


まっすぐ帰宅して引きこもっていれば、少しは老後資金を貯められるのにマヌケな話である。

最近はこっちが歳をとったせいで、銀座で飲む時の「背伸びした感じ」から縁遠くなっている。

適度な緊張感というか快適なアウェイ感は、あの街で飲む時には程よいスパイスなのだが、それを感じにくくなっている。

ここ20年ぐらい、割とちょくちょく出かける時期と足が遠のく時期が周期的に入れ替わっていたから、今の状況もいつ激変するか分かったものではない。

さて、ご多分に漏れず、夜の銀座にも確実にカジュアル化の波は押し寄せている。善し悪しはさておき、今の時代ならではの特徴だろう。

ホステスさん達も昔見かけたような異次元チックな人が少なくなった。「普通っぽい」というパターンがいつのまにか主流派になっているように見える。

トーテムポールみたいな髪型で物凄く着飾った“ヘビ女ゴーゴン”みたいな女性を見る機会がなくなったのがちょっと残念である。

私の場合、どちらかといえば、銀座には「非日常的なモノ」を求めているので、普通っぽい路線だとあまり嬉しくない。

ドッヒャ~と言いたくなるような見た目の女性に相手してもらう方が意外に落ち着く。純情な私は普通っぽい女性が出てくると逆にドキドキして困る。

カジュアル化の流れを受けて、銀座のクラブにも重厚感あふれる老舗と、とっつきやすい雰囲気の新興店という二極化が進んでいるような気がする。

支持する客層によって店の路線も変わるのだろうが、個人的には重厚感のある老舗についつい惹かれる。

もともと、モダンでスタイリッシュとやらが好きではないから、旧態依然とした雰囲気が漂う店に行くと妙にホッとする。

「派手さ」とはちょっと違う「華」がある感じとでも言おうか。そういう店には長年そこで働いてきた重鎮の黒服やバーテンさんがいて、独自の雰囲気を醸し出している。

笑い方に例えるなら「ギャハハハ」ではなく「ムフフフ」といった感じだ。意味不明でスイマセン。

働いている側だけでなく、そこに集う客もそうした雰囲気作りに一役買っている。ムフフフ的空間が好きな客が集まるわけだから、必然的に空気感も決まってくる。

こうなると、ざわめきやグラスの響きなどがうまく混ざり合って心地良いBGMになる。

付け焼き刃的に高級感を演出しようとしても無理が出る。やはり老舗に漂う雰囲気は簡単にマネできるものではない。

夜の世界に限らず、どんなジャンルでも同じだろう。簡単にマネできないのが長年に渡って培われた「気配」や「空気感」だ。

形には見えないそんなものに価値を見出す人が多いことも、老舗を老舗として成り立たせている理由だろう。

なんだか堅苦しい言い回しになってしまった・・・。

何だかんだ言っても、上手に私を手玉に取ってくれる魅力的な女性が一人でもいる店だったら、老舗だろうが新店だろうが、お化け屋敷だろうが、いそいそと通ってしまう。

それもまた現実だ。

2017年8月9日水曜日

中年の女性


「オバサン」。今の世の中、この言葉をむやみに使うとトラブルの元らしい。こんなことで気を使うのはメンドーだが、それが現代ニッポン社会のマナーなんだろう。

一昔前は40歳を過ぎたら総じてオバサンだったし、ふた昔前なら30代半ばを過ぎれば基本的にオバサンだった。

確かに篠原涼子や井川遥をオバサンとは呼びにくい。「大人の女性」とか「アラフォー女子」と表現するのが無難だろう。

サザエさんの母である「礒野フネ」は原作での設定は48歳だ。私が大好きな森高千里と同じ歳である。キョンキョンや鈴木京香より年下だ。時代の変化と共に女性の年齢イメージ、オバサンのイメージは激変している。


私自身、自分がハタチぐらいの頃は30歳を過ぎた女性に対して“現役感”をイメージすることは難しかったが、今では成人式は30歳ぐらいにすればいいと本気で思っている。

ジャニーズのアイドルだって40歳前後がごろごろいる。飛んだり跳ねたりしているあの人達をオジサンと呼べないように、男女問わず年齢から連想する概念が変化している。

自分自身が成長していないせいなのか、私の場合、20代後半ぐらいの頃から現在に至るまでいろえろと仲良くしてもらった女性は20代から30代半ばの人ばかりだ。

その年齢層をターゲット?にしてきたつもりはない。いい歳して若い女性ばかり追っかけているつもりもない。何となくそういう結果になった。

しっとりした中年女性とネンゴロ?になる機会をいつも夢見ているのにチャンスがなかったのが現実だ。坂本冬美や市川由紀乃みたいな雰囲気のある女性に魅力を感じるが、なかなかああいう雰囲気の人はそこらへんを歩いていない。



半世紀も生きてきたくせに自分に何かが欠けているように思えるのは「対女性問題」に関して年齢相応に正しい進化を遂げていないことも理由なのかもしれない。

50歳を過ぎたのに若い女性相手に鼻の下を伸ばしていてはカッチョ悪い。まあ、それはそれで男のサガみたいなものかもしれないが、何事にも頃合いというものがある。

今のまま私が進化しないでいると、遠からず自分の娘と同年代の女性相手にムホムホ言い始めることになってしまう。それはさすがにマズい。せめてコッソリと世間の目から隠れないといけない。

和服姿に日傘の似合う凜とした艶っぽい中年女性と冷やし白玉汁粉を食べに行くような重厚感のある男になりたいと思っているのに、そんな女性に遭遇したことがない。いつも昔と変わらない行動パターンに終始している。

まあ、アラフォーや、はたまたアラフィフの素敵な女性は収まるべきところに収まっているのが普通だ。プラプラしている私と知り合う機会がそもそも少ない。森高サマだってあんなにカッチョいいダンナがいる。

個人的な信条として人妻さんとどうこうなる気はまったく無い。不倫は悪という正義論を振りかざす気はさらさら無いが、単純にメンドーだ。ダンナから訴えられたら100%負けちゃう。

不倫に抵抗のないアラフォー、アラフィフ女子が大勢いることは知っているが、そういう人々の日常のウサ晴らしのために安直に利用されるのもビミョーだ。

一応、私も独身だから、時々、席を同じくした中年女性からそれなりに積極的に来られることもある。本当だ。見栄を張るなとかのチャチャ入れは受付けない・・・。

有難いことだが、そういうケースの女性はどこかネジが外れちゃったような人が多い。それこそネガティブなイメージとしてのオバチャン化が進行しているタイプの人だ。冷やし白玉汁粉を食べに行きたい相手ではない。

先日、後輩から「中年合コン」の案内が来た。独身男が少ないから助っ人に来いという誘いである。集まる女性陣は40代、50代だとか。

10年前なら断っただろうが、今の私は「正しい中高年の姿」を求めているから、四の五の言わずに参加すると答えておいた。ひょっとしたら「和服姿に日傘の似合う凜とした艶っぽい中年女性」がいるかもしれない。

いや、そんな人はきっと合コンになど来ない。でも、世の中に絶対はない。家でくすぶっているなら、恐いモノ見たさ、いや、人としての幅を広げるために出かけていった方がいいだろう。

いずれにせよ、素敵な中年女性が増えることは、独身高齢者が増える社会において非常に大事なことだと思う。

2017年8月7日月曜日

白髪という名のそうめん 


「お取り寄せグルメ」。いつのまにかそんな言葉に反応するようになってしまった。快適なシングルライフに欠かせないのが「お取り寄せ」である。

私の場合、最近は“簡便食品の鬼”のようになってきた。マメに寄付しまくっている「ふるさと納税」でも生鮮品ではなく、湯煎して食べられるものや高級レトルト食品を送ってくる自治体ばかり選んでいる。

包丁やまな板を使わずに手軽に美味しいものを食べると、何かに勝ったような気分になる。変な感覚だが、それが私のライフスタイルになりつつある。

さてさて、先日、テレビのワイドショーで取り上げていた「極上そうめん」が妙に気になって早速取り寄せてみた。

ミーハーなオバチャンみたいだが、「富豪記者ブログ」のネタに困っていたから丁度良い素材?である。

1個500円もした烏骨鶏の生卵や1万円のふりかけなど、このブログのネタのために?数々の散財をしてきたが、極上そうめんがあると聞けば手を出さないわけにはいかない。


三輪そうめんの老舗「三輪山本」の「白髪そうめん」なる一品がそれである。ふるさと納税の返礼品にラインナップされていなかったので、残念ながら普通に購入する。

1束90グラムが9束で5千円である。妙に高い。「そうめんは貰い物だから無料」という私の誤った感覚を打ち砕くには充分な価格設定である。

ある意味、それだけ高値だったらマズいはずはないという解釈も成り立つ。ただし、そうめんはそうめんである。正直言ってウマいマズいの格差はあるのだろうか。


で、食べてみた。悪くない。いや、確かにウマい。でもそのウマさはあくまでそうめんのウマさである。味わいがどうこうではなく食感を楽しむ食べ物である。

「白髪(しらが)」というネーミングを食品に付けちゃうセンスはどうかと思ったが、茹でる前の現物を見ると確かに白髪みたいである。そのぐらい細い。

極限まで細く作る技術が凄いらしい。日本の職人技の有り難さである。そう思えば高値設定も納得してしまう。

食感は「フワっとしている」の一言である。半世紀も生きてきたのに知らなかった食感だと言っても大げさではない。世界中の麺類を食べてきたが、この食感はまるで別モノだ。

フワッとしているのに溶けていく感じではない。嚙めばしっかりそうめんのツルリ感があって、喉ごしも爽やかである。薬味は最小限にして繊細なそうめんをしっかり味わいたくなる。

パスタの細麺として「エンジェル・ヘア-」が知られるが、髪の毛つながりでも全然違う。もっともっと細い。イタリアの赤ん坊より日本のジジイの毛のほうが繊細である。

茹でる際には簡単に折れちゃいそうでビビるが、鍋に投入した途端に柳の枝のようにしなやかに踊り出す。

茹で時間はわずか30秒である。キッチンタイマーでちゃんと時間を計っていないと大変だ。折れないようにビビった後は茹で過ぎないようにビビる。ビビってばかりだから口にした時の喜びも大きい。

ちなみに公式通販サイトでは売り切れだったから、その他のサイトをいくつも探し回ってようやく入手した。

世の中にはこんな高値のそうめんを手に入れる人が大勢いるらしい。そっちのほうが驚きである。

今日は、あまり一般的とは言えないそうめんの話をダラダラ書いてしまったので、ついでに「特製そうめんつゆ」について熱く語った過去ネタを一つ紹介したい。

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2015/04/blog-post_24.html

市販のゴマだれに不満をお持ちの人にゼヒ読んでいただきたい。

そろそろそうめんに飽きてくる時期だから、こんなアレンジで新しい味を発見することをオススメする。

2017年8月4日金曜日

野球と老後


「野球ありき」。いまハヤリの「加計ありき」みたいな言い回しだが、昭和の頃、スポーツと言えば野球一辺倒だった。

今でこそスポーツ紙はサッカーや水泳、卓球、テニスにゴルフ、そして船越英一郎などで盛りだくさんだが、昔は野球が支配的だった。

いま、テレビ(地上波)のゴールデンタイムで野球を見かけることは無い。巨人戦が人気番組だった時代を思うと隔世の感がある。

すっかり野球熱は廃れてしまった。そんな印象を持つ人は多い。私もその一人だったのだが、先日、ひょんなことで「ヤクルト対中日」を神宮球場で観戦して、野球熱の“進化”に驚いた。


最下位争いをしているチームの戦いだから球場はガラガラかと思ったのだが、ほぼ満員。平日なのにビックリである。

印象的だったのは球場の一体感である。ヤクルトファンが団結して盛り上がっている。ライトスタンドなどに陣取る熱烈応援団だけが盛り上がっているわけではない。球場全体だ。

入場の際に強制的に配布されるヤクルトのユニフォームに袖を通した観客が個々の選手に合わせた歌や合いの手で大騒ぎ。得点のたびに専用の小さな傘を上下させて東京音頭を熱唱する。

昔からの光景とはいえ、その昔は名物オジサンさんが音頭を取った応援団に指示されて盛り上がっていた。

今は若い女性連れやグループが自然発生的に盛り上がり、球場全体に「野球が好き、スワローズが好き」という一体感が漂っていた。

昨今、「カープ女子」だの「オリ姫」といった特定チームを熱く応援する女性が話題だが、ヤクルト戦を見ていても、女性観戦率は高く、時代が大きく変わったことを痛感した。

フェス感覚とでもいえばいいのだろうか。単なる試合観戦ではなく、一種のエンターテイメントを楽しむ感覚が強いようだ。

イニングの合間にみんなで踊ったり、花火が打ち上がったり、演出も数多い。コンサートやライブのノリだ。

私が野球少年だった頃からウン十年。巨人一辺倒だった野球界も様変わりした。

各球団がテレビの放映権料をアテにしない経営革新を行い、趣向を凝らした地域密着型の娯楽産業に変えていった結果が今の野球熱の姿だろう。

北海道を本拠地に大胆なイメチェンをはかった日本ハムファイターズなどは、いわゆるCI戦略の大成功例だ。

ファイターズをめぐる今では信じられないエピソードがある。

もう40年ぐらい前の話だが、当時のファイターズは東京ドームの前身である後楽園球場が本拠地だった。

後楽園といえば天下の巨人の本拠地だ。あくまで巨人優先で、不人気だったパリーグのファイターズは二の次みたいな扱い。

それを裏付けるように後楽園の巨人戦の年間指定席を購入するとファイターズの試合がオマケでついてくるという物凄い“格下扱い”が罷り通っていた。

当時、熱狂的巨人ファンだった私の祖母が後楽園の年間指定席を持っていたのだが、巨人戦のチケットが孫に回ってくる機会は限られていた。

もちろん、オマケのファイターズ戦は誰も行かない。おかげで何度か見に行ったのだが、常に観客席はガラガラ。それこそ寝っ転がって観戦するぐらいの状況だった。

あれじゃあ球団経営が成り立たないのも当然だ。あの時代の反省が米・メジャーリーグを手本にした今のフランチャイズ重視型のスタイルにつながったのだろう。

この日は小学校からの旧友3人で試合観戦。「野球を見ながら酒を飲む会」という趣旨である。ビールにレモンサワー、枝豆に唐揚げといった正しいオジサンスタイルで、バレンティンのホームランに歓声を上げる。

知らない選手ばかりなので、スマホでネット検索してその選手の年棒をチェックするという新しい楽しみ方も見つけた。

やはり、安い給料のヤツはダメだし、高い給料をもらっているヤツほどプロっぽいプレーを見せてくれる。さすがにシビアな世界である。

その後、新宿3丁目のバーに移動して二次会。野球の話題で盛り上がりそうなものだが、話題の中心は老後についてである。

結果、旧友達で出資して空室だらけになった地方のリゾートマンションを一棟買いして、老人シェアハウスとして共同生活をするという素晴らしい計画?を大真面目に検討する。

入居条件や入居者の等級付けについて真剣に語り合う。手に職があるヤツは優遇、万引きが得意なヤツも優遇、誰かの代わりに刑務所に入ってくれたヤツは最高幹部として厚遇、孫に大切にされて幸せなヤツは冷遇などの細かいルール作りを議論する。

気付けば日付が変わっていた。

平和である。

2017年8月2日水曜日

草津でハッスル


旅好きな私にとって第二の故郷と呼びたい場所はいくつもあるが、草津温泉もその一つ。


もう40年以上前から通っている。祖父が購入したリゾートマンションに子供の頃は家族と、青年時代は友人達と、家庭人時代は子ども達と出かけた。

先日、1年に1度のヘトヘト小旅行に行ってきた。目的地は草津。子どもサービスに徹する時間である。なんと元嫁サマまで一緒である。

修行みたいなものだ。

離婚した夫婦が一緒に旅をするのはヘンテコだが、何かと子供の事情があるのでそこは割り切って“良きパパ”に変身する。

365日のうちの3日間ぐらいは、四の五の言わずにそんな時間を過ごすのもオトナのたしなみである。

リゾートマンションに泊まればタダだが、いろいろケジメも必要だし、それ以前に手狭だから系列の大型ホテルの2ベッドルームを利用した。

あいにくの空模様だったが、気温は20度ちょっとである。涼しいだけでバンザイである。夏の草津の利点は冷房いらずに過ごせる点だ。

空気も清々しいし、夜になれば長袖が必要だから夏場に温泉を楽しむには最適だ。ましてや泉質は日本有数の素晴らしさである。

ウダウダと書いているが、私の仕事は子供サービスだから悠長に避暑を楽しむ時間など無かった。とくに下の子と頑張って遊んだ。

10歳のダウン症児である。身体はすくすく育ってとくに病気もなく元気バリバリである。とはいえ、言語能力やいろいろな理解力の面で一般的な10歳児のようにはいかない。

目を離せばすぐに行方不明になるし、何かにつけて誰かのサポートは必要だ。老境?に近づいている私にはキツいが、彼と付き合うことは結構良い体力トレーニングになる。

野生児みたいなヤツだから大浴場でもハシャぎたがる。仕方なく人のいない時間をうまく見計らう。人目が無ければコッチのものだ。たしなめなきゃいけない私までザブン、バシャンと大騒ぎである。

健全な散歩に長々と励んだだけでなく、ホテルのゲームコーナーで汗だくになってモグラ叩きゲームと格闘したり、エアホッケーに熱中したり、カラオケボックスにも行った。

念仏を唱えるかのようにマイクに向かって「嵐」の曲をブツブツ歌う息子と「西野カナ」ばかり歌う娘の横で、場を盛り上げていた私の姿は、実にいたましい、いやイジらしかったはずだ。

元嫁サマとも表面上はギスギスせずに過ごした。子供にとっては楽しい夏休みのイベントである。そこは辛抱である。普段は好き勝手に生きているから、この時ぐらいは頑張らないといけない。

だったら離婚なんかするなと言われそうだが、そう単純なものではない。それとこれとは別。人生いろいろである。ケッケッケ。

ボウリングもした。イマドキの世の中は過保護だからガーター防止バーなる小細工もしてくれる。制御棒のおかげでどっちに投げてもガーター溝には落ちない。息子もいっぱしのスコアに大はしゃぎだった。



実用情報を一つ紹介する。これはレストラン「どんぐり」で食べたミラノ風ポークカツレツとビーフストロガノフである。

宿メシが主流の温泉街ではウマい食べ物屋は見つからないが、この店だけは別だ。草津リピーターやマンション族なら誰もが知っている人気店だ。

草津温泉で唯一の美味しいレストランだろう。中心エリアからは少し離れるが、わがリゾートマンションやその系列のホテルからは近い。週末の夜は予約必須だが、湯畑周辺でテキトーな店に行くのなら、こちらに足を向けた方が間違いない。

話を戻す。最終日は渋滞を恐れて早めに東京に戻ってきたので旅のシメとして東京ドームシティに向かう。

ウェイウェイした感じの若者が喜びそうな店「ババガンプ」で夕食。ピカピカ光る容器でジュースが出てきたりするので子供ウケは抜群だ。

寿司屋でシッポリ、ウナギ屋でウッシッシみたいな私の基本パターンとは対極的な店選びだ。ハッスル父ちゃんの面目躍如である。


店に入る前に空高く子供をジャンプさせるアトラクションがあったので息子にやらせてみた。普段は結構なビビり体質なので泣くだろうと思ったが、予想に反して「楽しい楽しい」と大騒ぎである。

私もトライしたかったのだが、体重70キロまでしか受付けてくれない。当然ダメである。親だって空に舞い上がって叫びたい時はある。実に残念だった。

小旅行が終わって帰宅した日、寝付きの悪い私にしては珍しく気絶するように爆睡。結局9時間も寝た。

以上。

2017年7月31日月曜日

高い居酒屋 安い居酒屋


居酒屋がある国に生まれたことは幸せだ。ウマいものが食べられて酒は何でも揃っている。日本人にとっては当たり前の形態だが、世界的に見れば珍しいシステムだろう。

海外の場合、レストランと飲み屋はそれぞれ別個のものだ。繁華街に居酒屋が溢れている光景は日本ならではの一種の文化と言える。

昔の赤提灯は、ちょろっとしたツマミが用意されているだけだったが、イマドキの居酒屋はファミレスを凌駕するほど何でも置いてある。


先日訪ねた新橋の某居酒屋で食べたウニのパスタだ。ダイニングバーと呼んだほうがふさわしそうな店だったが、とにかくメニューが豊富で驚いた。



刺身盛り合わせの質も良かったし、牛タン焼きも上等だった。ツマミは無数にあるし、リゾットやチャーハンまで用意されていた。

日本酒、ワイン、焼酎も迷うほど揃っていたし、サービスもちゃんとしていて繁盛しているのも納得。

帰るまではゼヒまた来たいと思っていたが、御勘定を見てビックリ。どう考えてもヘンテコな値段である。ボッタくられたかもしれない。

何かの間違いだったと思いたいが、私は人並み以上の見栄っ張りだから確認も出来ずに作り笑いでお支払い完了。

ふっかけたくなるほど金満オヤジみたいな顔して過ごしていたのだろうか。それはそれで問題である。

銀座8丁目交差点にほど近い新橋1丁目の某店。機会があったら再訪してビビりながら過ごしてみるのもいいかもしれない。

高い居酒屋もあれば安い居酒屋もある。それぞれに魅力がある。高い店は専門料理店並みのウマいものが気軽に味わえる。安い店はそこにいるだけでホゲホゲした気分になれる。


カレー風味のマカロニサラダである。時々これが無性に食べたくなってわざわざ出かける。シュールな街・巣鴨の某居酒屋である。

日々、富豪のフリをして過ごす私にとって、エセ富豪としての鎧兜を脱いでグダグダできるオアシスである。一人酒以外で使ったことは一度もない。

BGMはいつも昭和の歌謡曲である。桑名正博の「セクシャルバイオレット№1」を聴きながらマカロニサラダである。バンザイだ。

ここで飲むホッピーやサワー系の割りモノ系は「シャリキン」で注文できるのが嬉しい。割りモノ焼酎の人気銘柄であるキンミヤ焼酎を凍らせている状態を「シャリキン」という。

席に着くなり私の第一声は「黒ホッピー、シャリキンで」である。これを合図に弛緩した時間が始まる。


カウンターの隅の席だとビミョーな本や新聞を手にとってボンヤリ過ごせるから最高である。モツ煮やメンチカツをツマミに「トマト割り・シャリキン」に切り替える。

トマト酎ハイやらトマトホッピーみたいなメニューがここ数年の間に世の中に広まってきた。最初の頃はブキミに感じたが今では結構好きになった。なんとなく身体に良いことをしている気持ちになる。


この日はシメに鉄板ナポリタンを注文してみた。シャリキンのトマト割りを飲みながらトマトケチャップの味を楽しむなんて実にオシャレである。まるで食通だ。色合いだってイタリア人みたいで素敵だ。

正直言ってナポリタンはたいしてウマくない。気の利いた喫茶店で食べた方がウマい。でも、弛緩した酔っ払いにとっては「居酒屋でナポリタン」という図式こそ意味がある。

自由の象徴というか、突き抜けた世界観に辿りついた境地とでも言おうか。。。何だかとっても大げさである。

というわけで、平和である。

昔、一緒に暮らした女性から20年ぶりに突然メールが来てアワアワしたぐらいで、最近は平和な日々が続いている。

結構なことだ。

2017年7月28日金曜日

うんこドリル エロい言葉


3000を超える例文のすべてに「うんこ」を使った漢字ドリルが大ヒット商品になっている。


勉強に飽きちゃう子供にはうってつけだと思う。自分が子供の頃にあったら嬉々として使ったはずだ。

言葉遊びつながりで話題になっているのが「エロ語呂日本史年号」という本だ。エロい言葉を使って年号を暗記させようという画期的な参考書?である。

「な、入れさせてよ(710年)、ヘイ、女教師!(平城京)」、「イチゴパンツ(1582年)見て、本能ジンジン変な気分(本能寺の変)」といった具合だ。


うんこもエロも実にステキだ。しょせん、人間の興味なんて下ネタ方面に集中しがちだから、こういう商品の開発は正しいアプローチだろう。

と、いっぱしの前振りを書いたが、今日は徹頭徹尾、くだらない話を書こうと思う。

エッチな言葉、エッチな文字の話である。

「猥」、「淫」、「姦」。こんな文字を見るだけで何となく落ち着かない気分になる。文字フェチではないが、文字が引き起こす妄想パワーは結構凄いと思う。

「雨に濡れる」、「性格が悪い」。ごくごく普通の言い回しだが、一文字だけ取り出すと途端に怪しくなる。

「濡」、「性」。文字ヅラだけで中学生男子だったら鼻の穴がふくらむ。文字の力はなかなかのものだ。

「酒池肉林」。この言葉を知った思春期の頃、漢字四文字だけを見ているのにエロ本を覗いちゃったような感動を覚えた。

私がスケベ過ぎるのだろうか。いや、思春期の少年なんてそんなものだ。「完熟桃」という文字だけでムホムホしちゃう。

ついでにいえば「一触即発」にもグっときた。さすがに今はオジサマだから何も感じないが、猿のようだった少年の頃は変な親近感?を覚えた。

漢字だけではない。カタカナにも怪しい響きは無数にある。


「マンゴスチン」である。滅多に果物など食べない私が大枚はたいてでも食べたくなる果物の女王である。

でも、文字ヅラがエロい。声に出して口にするのが少し恥ずかしい。「マンゴスチン」である。マンゴスチン!

私が変なのだろうか。

そりゃあ「マンゴー」「マントヒヒ」も充分にエロい。ヒヒ親父としてはとくにそう思う。

それでもマンゴスチンは別格だ。チンまで付いちゃっている。大胆不敵だ。

「マンツーマン」、「マンホール」も結構怪しい。そんなことを感じて生きている人は少数派かもしれないが、ついつい気になる。

ついでにいえば中華食材の「チンゲンサイ」や沖縄のお菓子「ちんすこう」も素敵だ。グッジョブ!である。

以前、メキシコのとあるダイビングスポットの名前を聞いて悶絶したことがある。その名も「マンチョネス」である。

マンチョネス!

スペインやメキシコあたりなら地名でも珍しくないのかも知れないが、マンゴスチンでモジモジする私にとっては平身低頭したくなるほどの威力だ。

以来、私が親しい人とワイ談をする際には必然的に使いまくる言葉になってしまった。

キリがない。

ちなみに、最近ちょっとばかり不満なのが「ショーツ」という言葉の台頭である。いつのまにか「パンティー」に取って代わって定着した。

下着業界の思惑なんだろうか。ショーツだと何となく味気ない。だいたい私だって普通に口にすることが出来る。口の中に入れるという意味ではない。口に出して言えるという意味である。

ショーツは普通に言えるのにパンティーは恥ずかしくて言えない。

パンツだったら言えるのにパンティーの「ティー」の部分が妙に恥ずかしい。不思議な感覚である。私だけではないはずだ。

ブラジャーも同じ。ブラと口にすることに抵抗はないが「ジャー」を付けようとするとちょっとゾワゾワする。

「とっととブラやパンツを持って消え失せろ」とは言えるが、「ブラジャーやパンティーを持って消え失せろ」とは言えない。

くだらないことをダラダラ書いてしまったが、結論としては「ティー」「ジャー」という音の響きにこそエロの奥深さが隠れているのだろう。

意味不明でスイマセン。

2017年7月26日水曜日

かき氷 野菜


真夏になると高級プレミアムアイスではなく、コンビニで100円で売っているベーシックなかき氷のほうが嬉しい。ベタベタした冷たさではなくシャキシャキした冷たさが恋しい。


某所で食べたかき氷。1200円もした。アホみたいな値段だ。最近はゴージャス系のかき氷が世の中に増えた。美味しいことは喜ばしいが、程度問題だろう。氷は水を固めたモノである。さすがに1000円オーバーはオヨヨである。

以前、会社のチャリをこいで頻繁に出かけていた目白の和菓子処「志むら」。夏は絶品かき氷が名物なのだが、2年ぐらい前から常に大混雑状態で疎遠になってしまった。


最近目白にオープンした寿司屋の親方のインスタを見ると、しょっちゅうここのかき氷を食べている。仕込みをサボって並んでいるのかと思いきや、午前中に攻めればスムーズに入れるらしい。

ビミョーだ。午前中からかき氷モードにはなりにくい。悔しいが今年も「黒蜜キナコかき氷」や「アンズのかき氷」を食べずに終わってしまうのだろうか。

さて、夏といえば「もろきゅう」である。もろみを付けることが名前の由来だが、私はつい最近まで「キュウリをモロに食べる」からもろきゅうと呼ばれていると思っていた。バカである。

野菜嫌いの人生を歩んできたせいかもしれない。キュウリをもろにかじるなんて背筋が凍りそうな恐怖体験だと信じて生きてきた。


でも、ここ1,2年、キュウリの丸かじりを時々実践するようになった。加齢のせいだろうか。画像のような梅きゅうを自らオーダーして食べることも増えた。

歳のせいだけが理由ではない。野菜は私の天敵だが、どうも昔より野菜の味が向上したような気がする。

昭和40年代、50年代に子供だった私の記憶では、キュウリやトマトは青臭くてただただマズかった。あの頃は大量消費地である東京にテキトーな商品が溢れていたのだと思う。

今でこそ、グルメっぽいものを有難がる風潮や生産者のこだわりがクローズアップされているから、あまりにヒドいものは駆逐される。

いわば私の子供時代は、まだまだいろんな面で後進国だったのだろう。今と違って都会人ほどヒドいものを食べる機会が多かったのかもしれない。

なんでもかんでもモノに溢れる東京だからこその盲点である。モノが多い分、インチキみたいなモノも溢れていたわけだ。

この季節は飲み屋で冷やしトマトを注文することもある。野菜嫌いの風上にも置けない行動だが、妙にウマく感じて我ながら驚く。

加齢のせいにするより野菜の味が変わったことが理由だと信じたい。

ネギも昔より好きになった。ネギの味が昔に比べて変わったとも思えないから、こればかりは私の味覚がようやく年相応になったということだろう。ちょっと悔しい。


池袋の某所で食べたネギラーメンである。こんなものを自ら進んで注文するわけだから、野菜嫌い同盟の皆様から糾弾されそうである。

マズかった。中途半端に野菜に魂を売り渡した罰かも知れない。ネギは辛いし、大量の冷たいネギのせいでスープが妙にヌルくなっちゃって残念な感じだった。


こちらは上野の某居酒屋で食べた「甘エビかき揚げ特大サイズ」である。甘エビもあったが、主役はタマネギだった。甘エビの部分よりタマネギが素直に美味しかった。

なんだか気付かぬうちに野菜にテゴメにされているような感じだ。

昔は、ペヤングなどのカップ焼きそばを作る際に「かやく」、すなわち乾燥野菜を入れずに麺だけを食べていた。今ではお湯を捨てる際に蓋にくっついちゃったキャベツまで余さずに麺と混ぜ合わせている。

野菜を親の仇のように憎んで半世紀を生きてきた。ハガネの意思で歩んできたつもりが、気付けばすっかり野菜どもの陰謀にハマってしまった。

敗北感バリバリである。

2017年7月24日月曜日

連ドラ 年齢 Bm問題


松本清張の名作「黒革の手帳」がまたドラマ化された。銀座のママさんが主役の悪女モノの話である。夜の街を舞台にした作品は何となく見てしまうので、今回も自動録画設定をした。


主演は武井咲ちゃんだ。あまりに若いし、ちょっと悪者感に乏しい。実年齢は24歳だとか。さすがにそれじゃあ厳しいだろう。

まあ、想定視聴者層の年齢は私よりずっと若い世代だろうから仕方がない。それよりも銀座のママさん相手にサヤ当てを演じるのが高嶋政伸や江口洋介という点が驚きである。

青春モノやトレンディードラマのイメージが強い彼らも気付けば銀座で飲み歩くヒヒ親父の年齢である。そう考えたら私がヒヒ親父として生きているのも世の中の必然である。

ホントにアッという間に人生後半戦である。見回せば年下の人ばかりである。池袋の街を歩けば年上らしき人を見つけるのが難しくなってきた。

六本木や渋谷に行っても同じだ。人混みの中でボケっと人間観察をしても年下ばかり。私が銀座に飲みに行っちゃうのは、あの街ではまだまだ若造っぽさを味わえるからかも知れない。

と、言い訳みたいな話になってしまった。

割と連続ドラマを見るのが好きなのだが、妙にハマっているのがテレビ東京の「居酒屋ふじ」である。なんだか掴み所のないちょっとシュールな感じが良い。


飯豊まりえちゃんというヒロイン役のコが愛くるしい。特別美人じゃないし、圧倒的に可愛いいというタイプではない。何となくいい感じだ。

この「何となくいい」が大事である。テレビ東京には「何となくいい」としか言いようのない不思議な番組が多いから、このドラマもそういうジャンルに分類されるのだろう。

稚拙なテレビ評論はさておき、今の私にとって大重要テーマが「Bm問題」である。ビーマイナーである。ギターのコードだ。

ギターをイジりはじめて3年が経ったのだが、これまで「Bm」から逃げていたツケに苦しんでいる。

ギターを始めた人の多くが挫折すると言われているのが「F」コードだ。押さえかたがややこしいので、ちゃんと音が鳴りにくい。

当然、私も「F」で挫折しかけたが、随分前に何とかクリアした。普通の人なら「F」が弾ければ「Bm」は楽勝らしいのだが、私の場合、「Bm」が出てくる曲を避けたり、少しだけ似たような音でごまかしていたせいで、今更ふーふー言いながら練習している。

単発では普通に鳴るのに、コードチェンジで「Bm」が出てくると途端にヘンテコになる。老眼のせいだと自分を慰めたのだが、老眼鏡をしてみても結果は同じだった。

でも、人生後半戦の段階でこんな気分になるのも悪くない。年齢とともに何かを学んだり基礎的な練習に励む機会は減ってくるからボケ防止にもピッタリだと思う。

ギターを衝動買いして3年。ヤメなかったことは自分でもエラいと思うが、3年ヤメなかったということは、3年も続けているという意味である。だとしたらもっと上手に弾けるのが普通だ。

謙遜でも何でもなく、キャリア3年のギター経験者が「Bm」で苦悩しているのは、ありえない話である。ちゃんとしないといけない。

今年に入ってからギター教室には一度も行っていない。休会中である。8月からまたちょこちょこ通おうと思っているのだが、すぐに億劫になる悪いクセが邪魔をする。

女性の尻を叩いているヒマがあったら、もっと自分にムチを打たねばと思う今日この頃である。

2017年7月21日金曜日

見栄っ張りは美しい


見栄を張ることはバカみたいだ。でも、私はちょっとした見栄っ張りが嫌いではない。男たるもの、くだらない見栄を張ってこそナンボだと思う。

見栄といっても変な自慢話はいけない。ちょっとした“頑張り”みたいな心持ちのことである。

牛丼屋で並ではなく特盛りを注文したり、おっぱいパブで女の子にせがまれるドリンクを断らない程度の“頑張り”である。そういう局面でセコセコしちゃうのはイキではない。

バカと言われればそれまでである。実際にバカだと思う。でも、男として生きている以上、適度に突っ張ったり、カッコつけるのは必要なことだろう。

ラーメン屋さんでついつい「全部載せ」を頼んだり、カツ丼が食べたかったのに蕎麦屋だからついついザル蕎麦も追加注文するような見栄はいじらしく美しい?と思う。

マクドナルドでポテトのSを頼むと負けたような気がする。要はそういう精神性!が男には大事だと主張したい。

見栄を張ることと自慢は似て非なるモノである。見栄はある種の自己満足の世界だ。誰も気づいてくれないような部分への小さなこだわりみたいなものである。

自慢はことさら人様にアピールするから醜い。持っているモノや経歴を自慢されるとウンザリする。さりげなくない行為はたいていヤボである。

まあ、そんなエラそうな事を言いながら、このブログでは、ウニやカニや鰻を食べまくった自慢みたいな話を延々と書いているから人様のことは言えない。

先日も80歳にならんとする我が母親から文句を言われた。時々、このブログを読んでいるようで、私の暴飲暴食ぶりを「世間様からひんしゅくを買うからヤメろ」とのこと。困ったものだ。

それはさておく。

ついでに言えば、自慢にもなっていないヘンテコな話を自慢げに繰り出すヤツも困ったものだ。

俗に言う「寝てない自慢」なんか実にお粗末だと思う。忙しさアピールも度が過ぎると単なるマヌケだ。アンタがトロいから寝る時間が無くなったんだろうとツッコミたくなる。

今日はメシすら食ってないんだぜ。こういうのも同じ。タイムマネージメントが出来ない人だと思われるのがオチ。

同情を引こうと思っているのだろうか。だとしたらマヌケだ。人は人のことでそう簡単に同情などしない。

考えてみると見栄とヤセ我慢は同じ意味なのかもしれない。財布の中身が寂しいのに気前よくおごっちゃうことと、パンツが見えそうなミニスカートの女性からあえて目をそらすことは高尚な心持ちという点で同じだ。

そういう卓越した精神性こそがイキな男には必要だろう。友達になるのならそんなカッコイイ?男に限りたいものだ。

なんだか屁理屈をこねくり回しているような感じになってしまった。

ちなみに私自身、日々くだらない見栄を張って過ごしている。バカだと思うが、そんな自分がイヤではない。

アイスクリームはなぜかダブルで頼むし、ラーメン屋で普通のラーメンを頼むことはない。何かしらトッピングを加える。

女性を見ればカッコつけるし、体重を聞かれればウソをつく。仕立ててもらった国産生地のスーツに「ゼニア」のラベルを貼らせたこともある。

どれも大した話ではない。でも、そんなちょっとしたバカみたいな“頑張り”が自分というものを成り立たせている根っ子なんだと思う。

これからどんどん歳を取って偏屈な人間になっていくはずだが「自慢は控えて見栄を張る」をモットーに生きていきたい。

2017年7月19日水曜日

ウニとカニと温泉


函館に行ってきた。目的はウニとカニと温泉だ。このブログでも過去に何度書いたか分からないぐらい函館にはちょくちょく出かけている。

羽田から1時間程度で着く。空港から市街地や温泉地が至近距離。モノグサな私にとってこれだけで魅力的だ。

流通事情が革命的に進化した今の時代、ウマい魚といえば東京である。高く売れる東京に良いモノは当然集まる。

北海道までわざわざ出かけても、ヘタな店で食べたらロクな事にはならない。そんなことを書くと夢も希望もないが、それが現実だろう。

もちろん、味覚なんて気持ち次第で変わる。旅に出た高揚感でフツーのものもウマく感じる。それもまた真実だ。


ミソたっぷりの毛ガニである。数量限定先着順で2980円だった。身入りも抜群の中型サイズだったからラッキーである。こういう掘り出し物は港町・函館ならではかもしれない。

朝市の外れにある「海光房」という店で食べた。幅広く海鮮料理を揃えるこの店は、朝からメニューすべてがオーダー可能。その便利さに惹かれて、以前から朝や昼に訪ねている。



この日は宿の朝飯をパスして11時過ぎからブランチ。ホッケやズワイガニの刺身、生ウニやイクラやタラコの醬油漬けを肴にヒレ酒ならぬ甘エビ酒をグビグビした。

前の日に生ウニはしっかり食べたので、昼飲みのシメとしてウニ釜飯を頼んでみた。函館といえば生ウニをてんこ盛りにしたウニ丼が定番だが、函館エキスパート?を自称する私としては、定番以外にも手を伸ばしたくなる。



ウニ釜飯、なかなかウマい。磯の風味タップリで気に入った。やや上品な味わいだったので、後半は残っていた生ウニを混ぜて、醬油をチョロッと足して味わう。幸せの一言である。

今回、宿は2カ所。1泊目は「湯ノ川プリンスホテル渚亭」。2泊目は「望楼NOGUCHI函館」。前者は私にとっての定番の宿で、海に面した部屋付きの露天風呂がムホムホ気分にさせてくれる。

7月の函館といえば、夜になるとイカ釣り船の漁り火が海をまぶしく照らす。風呂に浸かりながらそんな光景を眺められるのがこの宿の魅力なのだが、残念なことに昨年あたりから記録的な不漁とのことで、今回は暗い海しか見えなかった。


明るい時間帯にはこんな素晴らしい眺めで湯浴み出来たから文句は言えない。老朽化が目立ってきたこの宿、今回は改装工事中でシャバダバな面もあったが、来年の夏にどのようにリニューアルするか楽しみだ。

もう1泊した「望楼NOGUCHI函館」は、いわゆるイマドキのカッチョいい系である。函館らしくないというか、若者ウケしそうなモダンな高級旅館だ。

函館マニア?としては以前から1度は滞在しようと思っていたのだが、ようやく実現。カップルで行くには良さそうだが、家族連れや一人旅だと収まりが悪そうな印象だった。



部屋は広く、大きな展望風呂も快適。チェックアウトが12時という点も有難い。朝市でドカ食いした後に宿に戻ってひとっ風呂が可能だ。

話が前後するが、最初の夜に出かけたのが「うに むらかみ」である。函館の相場から見れば安くない店だが、ウニはもちろん、それ以外もちゃんとした正しい魚介類が味わえる店だ。

ウニはミョウバンを使っていない上モノを扱っている。この日も解禁まもないエゾバフンウニをはじめウマいウニが揃っていた。


この画像、全部ウニである。生のエゾバフンウニ、ムラサキウニの他は殻付き焼きウニとウニの塩辛、佃煮、醬油漬けなど珍味オールスターである。



この店のメニューはこんな感じ。タマランチンである。上モノのウニは東京に集まっているのは確かだが、一工夫したウニ料理を豊富に揃えるこの店に来ると「わざわざ函館に来て良かったぜ」と叫びたくなる。

画像以外にも、ウニ入りの卵焼きやウニとトウモロコシのかき揚げなどをツマミに冷酒をクイクイした。こんな店が近所にあったら間違いなく成人病で早死にすると思いながら酔っ払う。


シメはウニイクラ丼である。どんなに満腹だろうと秒殺ぐらいの勢いでペロっと食べてしまう。どうして身体に悪いものほどウマいのだろう。

5年前だったら、この後ふらふら歩きながら函館名物の塩ラーメン屋に入ってしまうのがお決まりのパターンだったが、最近はそこまでのパワーは無い。

さんざんウマいものを食べたのだが、異常なドカ食いが出来なくなったことで加齢を痛感させられる旅となった。

変な結論になってしまった。

2017年7月14日金曜日

トレーダーヴィックスと自分史


人に歴史あり。半世紀以上生きていれば私にもそれなりに歴史はある。こんなことを書き始めたのは、とあるレストランに久しぶりに出かけて感慨にふけったからだ。


ホテルニューオータニにあるトレーダーヴィックスである。もう40年以上前からある。ポリネシアン風の独特な風情がウリだ。

http://www.newotani.co.jp/tokyo/restaurant/vics/index.html

イマドキのグルメ評論というか、グルメヒエラルキーみたいな世界とは別次元に位置しているような存在の店だ。そんな感じがアマノジャッキーな私にはすこぶる居心地が良い。

本家アメリカでもそれなりに由緒のある店として位置づけられている。ラムベースの人気カクテル「マイタイ」の元祖をウリにしている。ハワイのホテルもそう言っているので実際のところは分からない。

http://tradervics.com/our-brand/

私が初めてこの店に行ったのは中学生の頃。悪友の父親に招待されてナゼか二人きりで語り合った。

一種独特な雰囲気に圧倒された。お坊ちゃん育ち?だったから、そこそこ高級なフランス料理店やステーキレストランには行ったことはあったが、この店のエキゾチックな感じは未知の世界だった。

第一印象の強烈さはその後も影響するもので、すっかりファンになった私は、生意気にも大学生の頃には時々デートに使うようになっていた。

もちろん、店内奥に位置するレストランは値段が張るので、バーコーナー専門だった。南国リゾートを思わせるカクテルが数十種類も用意されている。イラスト付きのドリンクメニューを眺めているだけで楽しい。

名物のスペアリブを囓りながらここでグビグビ飲むのが若き日の私にとって憩いの時間だった。

世の中にスノッブなカフェバーブームが到来しようと、バブル時代にバブリーな店が登場しようとも、私のスペシャルな場所はこの店だった。流行に無縁の泰然自若な感じが好きだ。

その後、大人になってからはレストランもたびたび使うようになった。シーザーサラダを初めて知ったのもここだった。座席横でボーイさんが作ってくれるこの店の名物の一つだ。

なぜか会社のむさ苦しいオジサンと行ったこともある。大事なデートにもよく使った。誰といつ何回ぐらい行ったのか記憶が曖昧なのがチョット残念ではある。

いずれにしても、常に楽しい気分の時に出かけた店であることは間違いない。20代、30代、40代それぞれの時代ごとに何度も何度も楽しい時間を過ごした。

ちなみに、大学生の頃のとある夏の日、旅先のニューヨークで偶然トレーダーヴィックスを見つけた。かの名門・プラザホテルの中にデンと構えていた。

幼く見られがちな東洋人であり、実際に幼かったから場違いな視線を感じたが、そんなことは気にせず過ごした。勝手が分からないニューヨークでアウェイ感とは違う安心感があった。懐かしい思い出だ。

その数年後、トランプさんがプラザホテルを買収した際に、「自分のイメージには合わない」という理由でトレーダーヴィックスを閉鎖してしまい、ホテル・レストラン業界で非難ごうごうだったらしい。

あのオッサン、当時からゴーマンだったわけだ。

ウンチクが長くなってしまった。


この日、この店に行ったのは娘の誕生祝いが目的。甘甘パパとの二人ディナーである。楽しげな店だし、無数にあるカクテルの多くがノンアルコール仕様で注文できるから好都合である。

娘を連れてこの店を訪れる日が来たことが妙に感慨深かった。中学生だった私を初めて連れてきてくれた悪友の父親もその悪友自身も既に亡い。光陰矢の如しである。

この日は、スペアリブやシーザーサラダ、ラムローストや妙に高い焼きそばをワシワシ食べながら、父娘水入らずでいろいろな話が出来た。


父親の学生時代の話をやたらと聞きたがる娘に若気の至りみたいな話を正直に披露する。

今の娘とちょうど同じ年の7月にドンチャカ宴会が見つかって停学処分を食らった話などで盛り上がる。

そのバカ騒ぎ宴会は、わが男子校チームと某女子校チームの団体戦だったのだが、何の因果か、女子チームは、いま娘が通っている学校の面々だった。

つくづくアホな父親を反面教師にして欲しいと思う。

さてさて、私が大好きなこの店の「ポリネシアンパブの元祖みたいな雰囲気」は、娘の目にはどう映ったのだろう。

イマドキの女子高生がイメージする「お洒落なレストラン」とは違うだろうが、将来、思い出の一コマに残ってくれたら有難い。

娘の人生はまだまだ入口から少し入ったぐらいである。どんな道を歩むかは分からないが、節目節目に楽しく過ごせて記憶に残るような場所を見つけて欲しいものだ。