2016年9月28日水曜日

仏像にオッタマげる 炭屋旅館


京都に行ってきた。目的は「仏像めぐり」である。我ながら渋すぎると思う。そんなことでいいのかと思う。

いまさら信仰心が芽生えたわけではない。ナゼか仏像が私を呼んでいる。今回、一気にたくさんの仏像を見たことで自分がなぜ仏像に興味を持ち始めたかが改めて分かった。

「仏像はロマンだ!」。よく分からないがそういうことである。


気の遠くなるほど長い年月を過ごしてきた佇まいに惹かれる。萌え萌えだ。昭和、大正、明治はもちろん、江戸、室町、鎌倉、平安時代それぞれの時代に人々が崇めてきたわけだから物凄い話である。

どれだけの人が願いを込めて祈り、どれだけの人の心の平穏につながったのかと考えるだけで超ド級のロマンである。ロマンぶりぶりだ。

2泊3日で10カ所のお寺をじっくり見て回った。市内中心地をはじめレンタカーを駆使して鞍馬山や大原の先まで行った。凝り性のB型らしい集中力?である。



この画像はわが国の国宝指定第一号の仏像だが、作られたのは「飛鳥時代」である。ホントかよ!と突っ込みたくなるほど古い。1500年ぐらい前だ。聖徳太子が生きていた頃である。オッタマゲである。

そんな来歴もさることながら、姿形の美しさが超絶的だ。さすがに仏像業界?人気ナンバー1である。究極的に美しい。

日本中の仏像を集めてオールスターチームを結成したら間違いなくセンターを務めるはずだ。


こちらは東寺にあるスペシャルな空間である。大スターが勢揃いである。圧倒されながら随分と長い時間鑑賞させてもらった。

ここには仏像ファンの間では「イケメン」として人気の帝釈天も置かれている。確かに美男である。


私としてはイケメンに対するジェラシーもあるし、最初の画像の弥勒菩薩のインパクトが強かったので、さほど印象には残らなかった。

今回は基本的には混雑している寺は避けたのだが、仏像が目的だから「三十三間堂」は外せない。過去にも何度か訪ねたがやはり圧巻である。貴重な仏像が千体も並んでいるんだからドッヒャー!って感じである。


若い頃とは違い今の私は仏像方面?の勉強にせっせと励んでいる。如来や菩薩その他の仏像の種類や意味合いも少しばかり覚えてきた。

ちょっとした「ウンチク野郎」である。今回の旅では「予習」の大事さを改めて感じた。付け焼き刃だろうとウンチク的予備知識があれば見るものに確実に彩りが加わる。

(画像はJTBパブリッシング発行の「京都仏像めぐり」「古寺を巡る」の画像を勝手に撮影したものです。ごめんなさい)

さて、さまざまな仏像にオッタマゲた今回の旅で、ある意味一番のオッタマゲが先斗町や祇園界隈に一歩も足を踏み入れなかったことかもしれない。過去には夜の散策が目的だったこともあったから随分と枯れてしまったものである。



初日は料理の美味しさで定評のある「炭屋旅館」に泊まった。仏像めぐりでヘトヘトになって夕方チェックインしてからは一歩も外に出ず。

ウマい料理にウンウン唸りながらクイクイ冷酒を飲んで、その後はテレビを見たり本を読んだりしてバタンキュー。画像の椀物が印象的だった。ハモや松茸はさておき黄色い丸形のモロコシ豆腐とやらのウマさに悶絶。



翌日も朝から動き回ってヘトヘトになって夕方ホテルに入る。一休みして街に繰り出すつもりでいくつか料理屋さんに目星も付けておいたのだが、どうにもこうにもバテ気味だったのでグズグズ過ごす。結局、そのまま街に出ることもなくルームサービスで夕食を済ますという暴挙にでてしまった。

その翌日も泊まろうかと思っていたのだが、朝から夕方まで仏像を見て回り、結局バテバテになったので夕方の新幹線で帰ることにした。

京都駅で複数の弁当を買い込む。老舗「いづう」の高級鯖寿司とその半値以下で買った気軽な鯖寿司を食べ比べて、安い方が断然ウマかったことにオッタマゲながら帰宅した。

ちなみに、仏像ばかり眺めて繁華街にまったく足を踏み入れなかったことを思うと、行くべきだったのは京都ではなく奈良だったと思う。

国宝に指定されている仏像の数は京都より奈良のほうが遙かに多い。その差は5~6倍だとか。

今回見たかったのに見そびれた仏像が京都にはゴロゴロあるし奈良にも行きたい。困ったものだ。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

弥勒菩薩半跏思惟像観るだけために広隆寺の奥まで行きます。なぜかまわりの像とは空気が違いますね。

富豪記者 さんのコメント...

コメントありがとうございます!

おっしゃる通りだと思います。
向かい側にある大きな千手観音もかなり迫力があるのに半跏思惟像にはまた別次元の圧倒的な存在感がありますね。