2016年8月5日金曜日

味噌おやじ


先日タクシーを降りる際、初老の運転手さんに「iDで払います」と言ったら「愛知で払う?」と返された。聞き間違えにしては壮大である。

まあ、こっちも歳とともにボソボソ話すようになったから相手のせいばかりでもない。言い間違え、聞き間違え、読み間違えは世の中に溢れている。

職場で「A5」と「英語」を混同してアタフタした経験もある。オニオンスライスを「オニオニライス」というメニューだと思ったこともある。

オニオニライス。ご飯モノだろうか。ついでに言えば軽井沢の名所「鬼押し出し」あたりには売っていそうな気がする。

仕事柄、言葉の使い方には気を使う方だ。このブログはあたり構わず?書き殴っているが、仕事で書く文章はしょっちゅう校正マンに修正される。

「乱獲で捕りすぎると・・・」などと書こうものなら、「言葉の意味が重複しています」と赤字でダメ出しされる。

「合いの手を打つ」は「合いの手を入れる」の間違いだと叱られる。

他にも「納める、収める、治める」「硬い、固い、堅い」「暖かい、温かい」の使い分けなど分かっているつもりで間違えることもある。

おっと、そんな小難しい話を書く予定ではなかった。言い間違えや読み間違えが今日のテーマだ。

「前菜、いりますか?」と聞かれて「前妻」が頭に浮かんでしまう私は相当なアホである。さすがに「いります」とは答えない。いらない。

こういうヘンテコな例はさておき、文字の字面だけで勝手に違うものを連想しちゃうことはよくある。

「ひつまぶし」は「ひまつぶし」、「おじや」は「おやじ」、「うこん」はもちろんアレだし、「セレブ」は「セフレ」、「ムカムカする」は「ムラムラする」。

最後の二つは私だけのクセかもしれない。それにしても「おじや&おやじ」は平仮名が一つ入れ違っただけで凄いことになる。

味噌おじやは「味噌おやじ」である。特製おじやは「特製おやじ」である。なんだか匂ってきそうである。

たったひとつの平仮名が変わるだけでブッタマげるほど意味が変わるものも多い。

「ここにすわって」と「ここにさわって」では天と地ほどの差がある。当然、私としては後者のほうがバンザイである。

「あそこに立っている人」

「あそこが立っている人」

論評不要なほど意味が変わる。外国人が日本語を覚える際には真っ先に注意して欲しい言葉だと思う。

以前、知り合いが「果汁」を「かじる」と読んだので倒れそうになったが、よくよく考えれば「かじる」も妙に雰囲気がある。悪くない。

最近は肉汁が「にくじる」と呼ばれることも多い。ウマそうな肉から滲み出てくるアイツは確かに本来の「にくじゅう」より「にくじる」と呼びたくなる。

あと50年もすれば果汁は「かじる」になるかもしれない。

さてさて、エラそうに語っているが、小僧の頃は正しく読めない漢字がいくつもあった。学生の本分は遊ぶことだと信じて生きてきたツケである。

解約返戻金の返戻が読めずに「へんもうきん」と大声で言って叱られたし、訃報を「とほう」と読んで笑われた。続柄も「ぞくがら」だと思っていた。

子供の頃、甲子園に出場した「東海大相模」を「とうかいおおずもう」と読んだことに比べればまだマシ?だろう。

ちなみに「韓流」はなぜ「かんりゅう」と読んではいけないのだろう。日本語として使う分には、わざわざ「はんりゅう」に直さなくても良いと思う。

「金大中事件」は「きんだいちゅう事件」であり、わざわざ「キムデジュン事件」とは呼ばない。そう考えると韓流が気になる。「はんりゅう」の方がツウっぽいからだろうか。

そういえば、かなり大人になってから知ったのが「生乳」である。「なまちち」だとパソコンでも変換不能だ。牛乳と違う意味合いの「せいにゅう」という用語である。

まあ、牛乳を「うしちち」と読まないのだから「なまちち」のはずはない。バカでも分かりそうなものだ。それでも、あの文字は「ナマチチ」と読みたい。私の願望である。

「向井理」を誰もが心の中で「むかい・り」と読んでいるのと同じだと思う。

最後にマヌケに見える言葉をひとつ。メールのやり取りなどで時々目にするのが「いちよう」という言葉。「一応」のつもりらしい。

「いちよう、その日ってことで!」といったパターンである。なんかゾワゾワする。「こんにちは」が「こんにちわ」になっている程度なら御愛敬だが、「いちよう」は気持ち悪い。

「とうかいおおずもう」ほどバカだとは思わないが、かなりカッチョ悪い言葉だ。

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