2016年6月15日水曜日

不倫の歌


前回に引き続き、今日もなぜだか不倫の話。

昨今、世の中で盛り上がっている「不倫祭り」を見るに連れ、結構な数の人が実は「不倫が大好き」なんだと思えてきた。

そりゃあ当事者、とくに“被害者”にとっては堪ったものではないが、外野の人々は総じて不倫バナシが好きである。

「不倫したいから結婚しなきゃ」とアホなことを言う独身男がいる。物凄いファンキーな発想である。

私ではない。

そのぐらい「不倫」が持つエネルギーやパワーは悪魔的な魅力があるのだろう。

「不倫は文化」。ご存じ石田純一のキャッチフレーズ?だ。あれも正確には「不倫から文化や芸術が生まれることもある」という発言が曲解されたもの。

確かに芸術や文化に名を残す偉大な先人達もその素性は不倫オンパレードである。

ショパン、ドビュッシー、ワーグナーなどクラシック音楽の偉大な作曲家達は不倫エネルギーが創作の源だったらしい。

ゲーテやトルストイ、ヘミングウェイといった文豪しかり。日本だって太宰や谷崎なんかは不倫ネタで名を残しているようなものだろう。

印象派で人気のマネやモネ、ドガもそうだ。歴史上の人物ともなれば、作品の印象だけがすべてで、その素性はオブラートに包まれる。

石田純一師匠?の言いたかったことも妙に理解できる。

わが国の今を築いた明治の元勲の多くもオメカケさんがいたし、軍神・山本五十六大将だって若い二号サンに情熱的な恋文を送りまくっていたことで知られる。

ブームになっている田中角栄さんだって、本宅と妾宅を行ったり来たりしていたことは世の中の常識だった。

なんだか例をあげているだけで際限なく話が広がりそうだ。

別に不倫肯定論を書くつもりはない。ただ、今になって有名人の不倫にギャアスカ大騒ぎする世間の風潮に違和感がある。

ケッケッケと笑って見ていればいいし、「バレちゃったのか、バカだねえ~」と眺めていればいい。

芸人さんやミュージシャンはあくまで芸人さんであり、ミュージシャンだ。教育者でもなければ公務員でもないのだから、そんな次元の規範で一般の人が正論で叩いたってしょうがない。

「不倫なんて許せない」などと鬼の形相で語っている女性に限ってカラオケに行けば不倫系の名曲を熱唱したりする。

竹内まりやの「マンハッタン・キス」や小林明子の「恋に落ちて」やテレサテンの「愛人」などである。名曲揃いだ。

https://www.youtube.com/watch?v=SXoPlVK-IDk

恍惚状態で熱唱していたくせに、翌朝のワイドショーで不倫ネタを見ると、なんとなく嫉妬心?からお決まりのバッシングに走ってしまう。

そんなものだろう。

空想の世界、情景を思い浮かべる世界という点では、普段厳しいことを言っている人でも「不倫」はなかなか魅力的なシチュエーションに映るのだと思う。

例示したような不倫の名曲だって歌の世界観が切ないから支持される。あれが単なる幸せな男女のハッピーエンドを歌っていたら面白くも何ともない。

ついでだから最近フムフム~とうならされた不倫ソングを2曲貼り付けておく。

1曲目は斉藤和義が鈴木雅之に作った「純愛」。2曲目はドリカムの「もしも雪なら」。こちらは不倫一歩手前であきらめる女心を歌っている。

https://www.youtube.com/watch?v=IzZyd_mwzjc


https://www.youtube.com/watch?v=_C1oVpMNdDw

ちなみに、オトナになるとアイドルの歌がちっとも心に刺さらなくなるが、おそらく歌詞の世界にドロドロ感が無いのが理由だろう。

AKBとか嵐なんかは不倫の歌は歌わない。試しにトライしたら大ヒットするかもしれないが、やはりマネジメントする側はそんな冒険は犯さない。

キムタクなんかもう40代の家庭持ちなんだから、いつまでも昔と同じ路線ではなく、魔性のオジサマ的な演出をすればいい。生ギター1本抱えて不倫の辛さを匂わせるようなバラードでも歌えば大ヒットが狙える気がする。

なんだか話がまとまらなくなってきた。

ついでにもう一つ。不倫バッシングはたいてい男性側への非難が激しい。既婚男と未婚女ならそれも当然だが、女性も既婚者だった場合、あながち男ばかり攻められないケースだってある。

結婚していること。子供がいること。そんな大事なことをオクビにも出さずに男に接近して平気な顔をしている女性も存在する。

男の場合、ウソをつくにしても妻との不仲アピールなど一応は既婚を前提にしたウソが基本だ。それに比べて独身ヅラして男に近づく女のほうがタチが悪い。

オッソロしい話だと思う。

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