2015年8月17日月曜日

美人


ハヤリ言葉の中で耳障りなのが「美人すぎる〇〇」って表現だ。あの言い回しを聞くと妙に気持ちが悪い。

http://matome.naver.jp/odai/2140059440828534301

「美人すぎる議員」とか「美人すぎるバレー選手」とか、一見華やかな顔立ちの女性をすぐにそう呼びたがる。

美人すぎると言われる以上、確かにみなさん美人だ。でも「すぎる」っていう表現は大げさだ。安易に使われすぎ。

ついには「巨人助っ人の美人すぎる妻」などといったカテゴリーに関係ない使い方まで目に付く。

http://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/sports/p7b7396b8f48272f0c4763e13d3fb6ecd

「美人妻」。これで済む話なのにヘンテコだ。「美人議員」、「美人選手」。それでいいはずなのに、なんか気持ち悪い。

そのうち「ブスすぎる」っていう恐ろしいバージョンに発展するかもしれない。

「ブスすぎる議員」、「巨人助っ人のブスすぎる妻」・・・。さすがに気の毒である。

さて、美人の話だ。

世の中の人はみんな美人が大好きである。男だけでなく女性だって美人を見るのは好きだ。

映画のスクリーンに美人が映っていたほうが嬉しい。ブスが恋愛の切ないシーンを演じても見る人は切ない気分にはなりにくい。

現実である。

子どもだってブスより美人の先生のほうが嬉しいし、最晩年の病床で出会う看護婦だって美人のほうが嬉しい。まさに「ゆりかごから墓場まで」美人は大歓迎される。

いくら世間が雇用機会均等だと言ったところで、現実的には容姿端麗が人事採用のキモになっている職種はいくらでもある。

容姿など関係ないような仕事ですら、同じ成績、条件だったらブスより美人が選ばれるのが世の中の常識。

こんなことを書いていると何だか残酷な感じがするが、アナウンサーしかり、大企業の受付嬢しかり、飛行機の乗務員にしても、土偶やハニワみたいな容姿の人はいない。

もちろん、それぞれの採用条件に「容姿端麗」と謳われているわけではない。あくまで暗黙の了解事として常識化しているわけだ。

ここでちょっと気になるのが「若ければなお良し」という風潮だ。テレビ局に自前のタレントして浪費される女子アナは30歳を超えたあたりで花形番組などから外されるとか。

30歳なんて社会人の中では小僧の段階だ。実にバカげた話だと思う。

だから、朝のニュース番組や人気のワイドショーなんかは、子どもに毛が生えたような女子アナがキャンキャン騒いでいる。ゲンナリする。

中高年から上の世代がテレビを見なくなっているが、当然の帰結だと思う。世の中の実働世代がどんどん高齢化している現実と番組制作者の感覚が大きくズレている証だ。

女性達も女性達ですぐに老け込みたがるのも大問題である。20代の後半ぐらいで年増ぶっている人を見ると心底マヌケに見える。

たかだか30歳を超えた程度で「ビキニは着られません」「ミニスカートは履けません」などと気が狂ったようなことを言うのもおかしい。

90歳近くまで生きる人生のうち、30歳なんてヨチヨチ段階だ。世の中全体が幼くなっているせいで、30歳ぐらいがようやく「女の子」から「女性」になる頃合いだろう。

まあ、そんなことに気付かない浅はかさが若さの証でもある。

中年以降の女性が容姿の面で話題になるのは、ただ若作りに精を出す美魔女と呼ばれる人達ばかり。

年相応の美しさを持つ美人中年女性がゴマンといるのに、「ブスの若作り」のほうがなんだか肩で風きって歩いている感じだ。

若者っぽい服を着て、若者っぽい店に行き、若者っぽい話し方に励んでいる。ご本人の勝手だが、なんだかなあ~って感じだ。

「若々しい」と「若者の真似」はあくまで別モノ。そのあたりが中途半端だ。それが分からないから意味もなく年齢を隠したりゴマかしたりする。

女性が年齢を隠したりサバをよんだりする風潮を当然と考える社会の思考停止状態も問題だと思う。

何かと正論を吐く大新聞ですら、取材対象の女性の年齢を不自然に表記しないケースが目に付く。年を重ねることが悪い事であるかのような変な習慣は考えものだろう。

もっと世間の眼がナチュラルに素敵な雰囲気を醸し出している女性に着目すべきだと思う。

なんだか力説しちゃったが、女性の繊細な心の葛藤など分からない中年男の個人的意見なので御容赦願いたい。

今日は美人についての考察がテーマだったのに、まったく違う話になってしまった。

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