2015年4月17日金曜日

利害関係のない酒


酔っ払うことを端的に言い換えれば「脳のマヒ」である。なかなかディープな響きである。

夜中にカップ焼きそばを嬉々として食べてしまうのも脳がマヒしているからである。

正常な脳だったらそんな愚行を制止してくれるはずだが、酔っ払っていると脳の中が悪魔だらけになる。

連日連夜、脳をマヒさせている私だが、別にツラいことなどないから惰性で飲み続けているのだろう。

酔いの感覚は日によってまったく違う。日によって違うというより、飲む状況で変わる。

楽しい酒だと不思議と快適な酔いが続くし、仕事絡みの酒だと少量でも気分が悪くなったりする。

先日、旧友達と飲む機会があったのだが、相も変わらぬバカ話をツマミに4時間しっかり飲んだ。でも酔いの加減は快適の一言だった。やはり酒は楽しく飲むべしと痛感した。

旧友が焼鳥稼業修行中の新橋の店に小学校、中学校以来の付き合いの面々が集ってのバカ騒ぎ。途中からウン十年ぶりに会う男も加わって楽しい時間を過ごした。

会話の内容は、幼き日々のくだらない思い出話が中心である。都合の悪い記憶は脳から削除している私に対して記憶力の良い友人達が過去の悪行を突きつけてくる。

そういう時は、ひたすら脳をマヒさせるに限る。でも、言われて思い出す話がゴロゴロ出てくるのだから人間の脳は不思議である。

真面目な話といえば、「幼女趣味とニューハーフ好きを比べたらどちらが人として正しいか」という高尚なテーマぐらいだった。

人間、半世紀近く生きていればロリコン趣味やオカマ趣味が増長するのも仕方がないことである。

オトナだからそういう個性?を理解する(フリをする)ことも必要だ。誰だって人様に言えないような性癖はあるものである。

結果としてロリコン男に軍配が上がりかけたのだが、ニューハーフ派の男にヤツのオカマ恋人の画像を見せられ、全員が「いける!オレもいける!オレも。オレも!」というワケの分からない展開になってしまった。

おっと話がそれた。

アホな友人から「死相が出てるから10年後には死んでそうだ」と言われた私だが、健康に注意しながら20年後も酩酊していたいものである。

それにしても古い友人の存在は有難い。大人になってから知り合う人とは違う空気感の中で力の抜けた時間が過ごせる。

利害関係がまったく無いわけだから単純に痛快である。たただ愉快に過ごせばいいわけだ。

考えてみれば非常に貴重な場面である。仕事関係の付き合いをはじめ、日常のあらゆる場面で何らかの利害関係が存在する。

男女のデートだって、相手を攻略したいという思いと、簡単に攻略させてなるものかという思いがぶつかり合えば、完全に利害関係である。

そういう邪念が無くても異性との関わりであれば、どこか構えたり良く思われたいといった気分が一種の利害関係を生む。

極端に言えば、夫婦や親子だって何かしらの思惑を持って接し合う場面もある。やはり同性の旧友という存在は得がたいものだと思う。

ここ数年、Facebookなどを通して旧友の輪が改めて拡がってきた。あの手のSNSは何かとトラブルも多いようだから係わり合うのはプライベートの友人にほぼ限定している。

Facebookの「友達」も9割以上が同性の旧友である。ああいう場面で身構えたって楽しくないからそれで充分だ。

デジタル的なものを毛嫌いしてきたくせにイマドキの文明の利器によって旧友との接点が増やせたのだから、時代の流れにムダに抵抗してはいけないと思う。

今日は酩酊と泥酔について考察しようと思ったのに、結局関係ない話に終始してしまった。

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