2014年10月20日月曜日

カラオケボックス


いつのまにか街の景色の一部になったのがカラオケボックスだ。40代後半以降の世代から見れば、若い頃には存在しなかった場所である。

30年前ならカラオケ自体が年配者のシブい嗜みであり、若者のレジャーではなかった。20年ぐらい前にはワイワイ歌いながら騒ぐパターンが定着していたが、それでも「ボックス」ではなかった。

あくまで、カラオケが楽しめる飲み屋さんで、それこそステージに立って見知らぬ客の視線を浴びながら歌うのが普通だった。

いま、繁華街を見回せばカラオケボックスだらけである。ビル一棟まるごとというパターンも珍しくなくなった。

学生だと平日の昼間は一人500円程度で何時間でも歌い放題らしい。喫茶店より安上がりかもしれない。我々オジサマ世代の人間が学生の頃にカラオケボックスがあれば随分世話になったはずだ。

その昔、変なスナックに行くと「1曲200円」とか平気で取られていた記憶がある。通信カラオケなど夢のまた夢で、ヘンテコなサイズのカセットを機械に差し込んで曲を選んでいた時代の話だ。

変われば変わるものである。私の青春時代はケータイもカラオケにも無縁だったという事実にギョっとする。今更ながら加齢を象徴しているようで気が滅入りそうである。

さてさて、カラオケボックスである。接待とか仕事関係で使うことは滅多にない。と書こうとして意外に何度も経験していることに気付いた。

パーティールームと呼ばれる20~30人ぐらい入れる部屋で、仕事上お世話になった人の慰労会名目で賑々しい宴会を何度かやったことがある。

狂乱のコスプレ歌合戦みたいな感じだった。あまり上品な集いではなかったので詳細は省く。

やはり、カラオケボックスはプライベートの遊びの場面で活用するものだろう。男同士というより、男女混合パターンが自然だ。

男女2人で行くパターンもあるが、女性との関係性によっては個室に二人という感覚を妙に意識しちゃって落ち着かない。ビミョーである。

先日、ひょんなことから不思議なカラオケボックス体験をした。

といっても、残念ながら色っぽい話ではない。カラオケボックスを舞台に色っぽい事件に遭遇したこともあるが、その話は激しいのでナイショである。

某日夜、銀座の寿司屋でのこと。中途半端な時間だったせいで店は貸し切り状態。そんな時間帯をあえて狙って行ったから狙い通り珍味をツマミにアーだのコーだの楽しく飲んでいた。

大将とのバカ話も弾み、彼の唯一といえる趣味が歌うことだというテーマで盛り上がった。

で、お客さんがいないことをいいことに、突如、近場のカラオケボックスに出向いて歌合戦に突入することになったわけだ。

近隣のスナックで歌おうという話だったのだが、週末でどこも混雑。結果、野郎二人で歌に徹する覚悟を固めて高級カラオケボックスに乗り込んだ。

休みなく交互に歌い続けた。なぜか二人とも最初から最後まで延々と濃いめのモヒートを飲み続けながら熱唱。気付けば実に3時間が経過。お互いヘロヘロ。

ほぼ同年代の二人だったので、あーでもないこーでもないと寸評しながら、ひたすら歌った。

大将もノリノリだ。深夜、我々が熱唱中の頃にも寿司屋に客が来たらしいのだが、若い衆に任せちゃって店に戻らずじまい。下駄履きのまま「雪の華」なんかをうなっていた。

私もノリノリだ。馴染みの客ではあるものの親しい友人というほどではないから、最初は何だか落ち着かなかった。でも、歌の力は偉大である。後半は男2二人でデュエットしながら絶叫モード。

モヒートを運んでくるオネエサンのビミョーな視線がちょっとだけ痛かった・・・。

なかなか面白い時間だった。

ボックスゆえの閉塞感が親密感をアップさせるし、何より当事者だけの世界に没頭できるから、世の中がカラオケボックスだらけになるのも分かる。

この日利用したカラオケボックスは金曜の深夜になると唖然とするような価格設定になる店。お勘定を見てぶったまげたのは御愛敬である。

まあ、日々の出費はすべて人生の授業料である。などと気取ったことを言って割り切るしかない。

オネエサンが拍手と愛を注いでくれる店で歌ったほうが安上がりだった。ちょっと複雑な気もするが、いちいち女子の見え透いたオベンチャラを相手にしていても仕方ない。

いずれにせよ、飲み屋のオネエサンをアフターに連れ出し、淡い期待?を胸に抱きながらカッコつけて歌うよりも遙かに楽しい時間だった。

オヤジバンドのライブも近づいているし、イチャイチャするより頑張って歌うことのほうが今の私にとって大事である。

うん、綺麗にまとまった。よしよし。

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