2014年6月11日水曜日

賞味期限 AKB48


この週末、調布の味の素スタジアムで行われたAKB48のコンサートに行ってきた。

初めて告白するが、私はAKBのファンクラブにデビュー当時から入っている熱烈なファンである。10年近くこっそりと“追っかけ”を続けてきた。

というのは真っ赤なウソです。

大島優子ファンである中学1年の娘の付き添いで出かけてきた。


現場の熱気は想像以上に凄かった。ありゃあ一種の宗教的儀式である。一心不乱に声援を送るファン。その一体感は独特で、善し悪しだの好き嫌いだの関係なく、ひとつの現代日本文化の姿だと感じた。

高校生、大学生の男の子が客層の中心かと思っていたのだが、オッサンの割合が相当高かった。女性もゴロゴロいた。

昭和のアイドルの場合、同年代の異性が熱を上げる構図が普通だったが、時代は大きく変わったみたいだ。

正直、その昔の「宅八郎」みたいな人達ばかり集まっているのかと思ったら、全然違った。失礼ながらごく普通の老若男女が楽しそうに集まっていた。


メンバーのMCを聞くオッサン達の嬉しそうな顔、曲の合間に全力で合いの手を入れるオッサン達の顔。皆さん一様に幸福感に包まれている。確実に彼らの人生はAKBによって彩られている。呆然としながらしばし見とれて?しまった。

AKBというグループは、核家族化した社会のなれの果てである「個」の時代を象徴する寂しいオッサン達に光を与える存在なのかもしれない。

非常に勉強になった。やはりハヤリモノが持つパワーや勢い、それを取り巻くファン層のエネルギーを実際にその場で体験すると圧倒される。

AKB商法への批判が例の襲撃事件を機に高まっている。でも、あれほど濃い空間を実際に目の当たりにすると、商法うんぬんを今更どうこう言ったところで既に確立されている独特な「世界」はビクともしないように感じた。

その昔、アイドルとしての寿命は3~4年程度だったと思う。桜田淳子も百恵ちゃんもハタチも過ぎた頃にはキャピキャピした衣装や楽曲から卒業していた。

AKBのアイドルとしての寿命は随分長い。メンバーの入れ替えも影響しているのだろうが、支えているファンの年齢層が高いことも大きな理由だろう。

昔なら、アイドルへの思いは若い頃の熱病に過ぎなかった。ところが、オタク文化を作ってきたようなオッサン達にとっては、一過性の熱病ではないようだ。ライフワークみたいに腰を据えて取り組むテーマになっている。

AKBの運営側がそのあたりの構造に注目して、そうした客層の行動分析も織り込んで、あれだけの巨大ビジネスに仕上げたとしたら卓越したセンスだ。まさに慧眼。

AKBの場合、アイドル寿命はまだまだ長いと思う。いわば、使い捨てだったアイドルの「賞味期限」を延ばすために、巧みな仕掛けという化学調味料と調理法を次々に開発した運営側の勝利だろう。

そんなことより「総選挙」で6位になった「さや姉」は可愛い。

話が逸れた。

なんだっけ?賞味期限の話だった。

賞味期限の長いものは怪しい。そう書くとAKBへのブラックジョークみたいだが、ここからはまったく別の話です。

正直言って、正しく健全に美味しいものは賞味期限が結構厳しい。それが食品の世界の真理である。

まあ、そうはいっても、鮮魚の刺身じゃあるまいし、すべてをフレッシュなまま味わうわけにもいかない。

賞味期限が製造日から1年後に設定されている商品と1ヶ月に設定されている商品だったら、後者のほうが正しく美味しいと思いたくなる。

1ヶ月といっても、賞味期限が1ヶ月もある肉や魚の加工食品ってそもそも大丈夫か?という根本的な問題はある。まあ、その辺は目をつぶって、なるべくなら賞味期限が短いものを求めようと思っている。

スーパーに買い物に行っても「賞味期限が短くて値段が高いモノ」についつい目が向く。そっちのほうが身体に良いのではと思えてしまう。

レトルトカレーを筆頭に、ハムやソーセージ、それ以外にも湯煎やレンジでチンするだけで食べられる出来合いの加工食品などは、そんな基準で選ぶ。

エンゲル係数を気にする大家族だったらそんな悠長な買い物は出来ない。ちょっと贅沢だが、これも健康管理の一環?である。この点は一人暮らしの良さだろう。

安すぎても怖い。メーカーは安い商品を作るために努力しているが、さすがに程度問題だろう。異常に安いからにはカラクリがあるはずだ。安すぎると不気味だ。口に入れるモノだとついついそう思う。

まあ、いまさら私の身体が発育していくはずもないので、原材料や添付剤、人工調味料などを気にしてもしょうがない。

ちなみに私の場合、賞味期限の短いものをわざわざ選んで買うクセに、賞味期限を過ぎちゃっても平気で食べる。ヘンテコな話である。

魚などのナマモノは別だが、加工食品などは半月程度は気にしない。経験上まったく問題ない。

1ヶ月ぐらい経っても何も問題ない商品も多いが、さすがにそのぐらい時間が過ぎたものを普通に食べると気分的に愉快ではない。何かに負けた気がする。

自分を律する?ためにも、賞味期限はそれなりに気にした方が賢明である。

ここまで、漫然と賞味期限がどうしたこうしたと書き殴っているが、賞味期限という言葉を意識していると、時々まったく違う発想が頭をよぎる。

「男としての賞味期限」「女としての賞味期限」である。

グヘヘヘ・・・、これを考えはじめるとキリがない。こんなことを考えはじめること自体が加齢の証である。

もちろん、誰もが年老いて死ぬまで男であり女である。そういう意味では「賞味期限」は「死ぬまで」といいたいところだが、お互いを「賞味」するためには身体の都合や事情もある。

立派な中高年になってしまった私も、自分の男としての賞味期限が気になる年頃ではある。

まあ、さきほど食べ物の賞味期限を書いた通り、賞味期限なんて厳密なものではない。過ぎちゃっても変わらず美味しく味わえる。

その理屈で言えば、私の賞味期限なんてまだまだず~っと先のことである。

ついでにいえば、腐りかけがウマい。

だからきっとウマいはずだ・・・。

何だか話がトンチンカンになってきたからこの辺でやめる。

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