2013年12月16日月曜日

異端とか


ラーメンにカレーライス。もはや国民食である。

子供から見れば、あれは日本料理という認識だろう。生まれ育った国で幼い頃から誰もが食べるわけだから立派なローカルフードだ。

中国やインドの人達にしてみれば、日本のラーメンやカレーはオリジナルとはまったく別モノだ。

中国人が「二郎系」ラーメンの発祥が自分達の国だとは思わないだろうし、「大勝軒」のつけ麺だって、どう逆立ちしたってルーツが中国だとは思わない。

なんでもかんでも自分の国に起源があるという「ウリジナル思想」の韓国の人でもビックリしちゃいそうな「進化」である。

カレーも同じ。納豆カレーとかヘンテコな一品を見たらインド人もビックリだ。カツカレーもそうだ。あれを開発した日本人の叡智は大したものだと思う。

ちなみにカツだって、フランス料理が起源だ。カツカレーは、インド、フランス、日本の凄まじい三角関係によって成立している。

どこかにルーツがある以上、その存在は「異端」であり「異質」である。異質とか異端という言葉には、何となくネガティブな印象があるが、ラーメンやカレーを思えば、一概に悪い概念ではない。

異端や異質、すなわち「普通じゃないこと」は世間から敬遠されがちだ。でも、世間の固定観念など、しょせん面白味の無い線引きで決められているだけだ。

異端の中にこそ、未来の真理が隠れていたりする。ちょっと大げさである。でもそう思う。

自分の考えや行動が、自分にとっては普通のことでも、少数派というだけで異端視されることは多い。

いわゆる多勢に無勢である。多数派か少数派かというだけの区分で少数派が後ろ指を指されてしまうのが世間様の仕組みだ。

仕方のないことだが、時々そんな壁にぶつかって疲れる。

多数派が正しければともかく、そうとも限らないからややこしい。間違っていないのに異端視されたり、異例なことだから認められない悲劇が世の中にどれだけ溢れているだろう。

「伝統」や「権威」だって結局は何かしらの異端を吸収して出来上がったものに過ぎない。そこから先の進化を妨害するだけになってしまってはアホみたいだ。

異端、異質、異例。こういう言葉が世の中に溢れまくって、そのうち、それらが普通のことに進化していったら空気も大きく変わるんだろうな。

男も女も年寄りも子供も、いや、個人だけでなく国家の政策にしても「異端」や「異例」という要素が大切だと思う。

なんだか今日はスッキリしない話に終始してしまった。

きっと飲み過ぎの副作用だろう。

0 件のコメント: