2013年10月2日水曜日

音楽の効用


おやじバンドの練習が徐々に深い世界に突入してきた。
などと書くとカッチョいいが、私が言いたいことを言い出し始めただけだ。

やれ、そこのテンポを変えよう、やれ、イントロはこうしよう、コーラスをここにも入れよう等々、勝手なことをほざいている。

アコースティックギター2人とボーカルの私。計3人の組み合わせである。幸か不幸か、いや、不幸の極みで私は楽器が演奏できないから、言いたいことを言いっぱなしである。

きっと、「あのヤロ-、気楽なことを言いやがって、いつか刺し殺してやる」と他の二人から思われているはずだ。


メンバーチェンジしてから何度も練習を重ねたが、段々と新たな役割分担みたいな感じが固まりつつある。

基本的に去年のライブとは全曲入れ替えなので、演奏する方は大変だ。コードはこなせても、オカズ?の加え方、ボーカルである私とのバランスなど、詰めるべき点は数多い。

12月のライブを目指して、そこそこ形になりつつあるが、ここから先の着地点の見つけ方にこの先しばらくはアーダのコーダと議論することになりそうだ。

まあ、何だかんだ言って、音楽の良さを痛感する機会を与えてくれたバンドメンバーには感謝である。

普段、音楽を特別意識することなく聴き流しているが、楽しい時や苦しい時、今まで生きてきた節目節目の場面で音楽には世話になってきたのだと思う。

テレビでよく放送している「懐かしのヒット曲」「青春歌謡ベスト100」みたいな番組を見ていても、それぞれの曲ごとに自分のその時点の記憶がパッと甦ったりする。

好きだった歌に限らず興味の無かった歌でも、当時の社会背景、世相ごとに自分の記憶がオーバーラップして懐かしい。

誰だって、意識するしないは別として、いろいろな音楽を聴くたび自分の歩みを思い返す。楽しい記憶、甘酸っぱい記憶、苦い記憶、消し去りたい記憶・・・。さまざまな気持ちがわき上がってくる。

そういえば、最近の楽しみの一つが「太陽にほえろ」を観ることだ。なぜか映る千葉テレビがなぜか定期的に放映しているので、自動録画設定をして楽しんでいる。


この画像は「ヤマさん」だが、いま放送されているのは勝野洋が演じる「テキサス刑事」が売り出し中の頃の分だ。

あのオープニングの井上堯之バンドのテーマ曲に今更ながらシビレまくっている。盛り上がる場面の「テキサス刑事のテーマ」とか、その他もろもろのメロディーが私自身の幼い日々を思い出させる。

それにしても、「太陽にほえろ」が国民的大ヒット作になったのには、間違いなくテーマ曲や挿入曲の格好良さがあった。今聴いても実に完成度が高いと思う。

「昭和枯れすすき」とかが大ヒットしたような40年近く前の世相を考えると、あんなシビれる楽曲を世に出した卓越したセンスに驚くばかりだ。

全然違う話だが、ついでにいえば、35年以上前に独特なボーカルスタイルを確立していた世良公則の凄さも今考えると革命的だった気がする。

「あんたのバラード」が大ヒットしたあの年、他のヒット曲と言えば、狩人の「あずさ2号」とか、郷ひろみが樹木希林と歌っていた「お化けのロック」である。

私自身、当時は世良公則の歌い方を気味悪く感じていたが、その後の日本の音楽の流れを考えると、彼の歌いっぷりは一種の事件だったのかもしれない。

なんだか話が逸れてしまった。

というか、何を書こうと思って書き始めたのか分からなくなってしまった。

まあ、いいか。

子供の頃、音楽が記憶に刻まれ始めたのは、朱里エイコの「北国行きで」とか金井克子の「他人の関係」あたりだろうか。なんとも怪しげな空気感に惹かれた。

子供だから、アグネスチャンとか桜田淳子も大好きだったが、楽曲が持つ迫力という点では、「ジョニィへの伝言」とか布施明の「積み木の部屋」とか、風の「22歳の別れ」、中条きよしの「うそ」あたりが印象に残っている。

何となく物語チックな歌が好きだったみたいだ。そのほかにも「思いでまくら」や「わかってください」なんかには萌え萌え~って感じだった。

今思えば、不幸を歌にしたような曲ばかりである。

何かを暗示していたのだろうか。

まあいいか。年の瀬ライブを無事にこなせるよう頑張っていかねば。

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