2013年6月17日月曜日

負けてしまった


いつまでもガラケーを使い続けようと思っていたが、アチコチから四の五の言われてスマホを入手した。

負けた感じがする。

http://www.nttdocomo.co.jp/product/smart_phone/f06e/index.html

ガラケーは近いうちに作られなくなるという脅しみたいな話を信じて切り替えてしまった。

実は2年前にスマホに移行したことがある。いじってみたが、あまりのウザったい感じにイラついて3時間でやめてしまった。ドコモショップに戻って元のガラケーに復活させて、以後平和に暮らしていた。

富士通のガラケーの特徴は超絶的にプライバシーを保護する点だった。シークレットモードの優秀さ?は呆れるほどで、世の中では浮気ケータイとか称されていたらしい。とても活躍してくれた。

いや、品行方正な私だから、そんな機能は必要ない。ということで、いよいよスマホに移行したわけだ。

2年前の教訓のせいで、スマホは新規契約にして、ガラケーと平行して使ってみた。スマホの何たるかを理解してから一本化する作戦だ。

で、シコシコいじってみた。というか、社内のシステム担当者に付きっきりで色々教わった。

で、そこそこ理解できたので、ついにガラケーとおさらばして一本化することにした。

ドコモショップがマヌケなおかげで、たかだか機種変更に2時間半も時間を取られた。聞くところによると、そんな事態は「ごく普通のこと」らしい。

日本中で、あんなにバカげた時間の浪費が毎日毎日繰り返されているかと思うとゾッとする。わが国の経済効率にとって凄まじい損失だと思う。

近年の国力低下は、携帯だのスマホだのが一因じゃないかと思ったりした。

さて、スマホだ。正直に言って、ガラケーから移行する意味はあまり感じない。むしろ不便になった部分も多い。

時代の流れだからと言って、我慢させられる状況がちょっと腹立たしい。

ほんの20年ぐらい前までは、あんなものに生活を支配されていなかったのだから諸行無常である。

女の子の家に電話して、お父さんが出ちゃった時の切なさとか、待ち合わせ場所に遅れたら飲み会の場所がまったく分からず右往左往したような「ワビサビ」?が無い社会になった。

河合隼雄さんか誰かが「昔を懐かしんでばかりいるヤツは進歩を受け入れられないヤツだ」と言っていた。実に的確だと思うが、ことケータイ・スマホのジャンルに関しては、アレがなかった時代が素直に懐かしい。

まあ、私自身、あの便利さにドップリはまって生きているが、何となく大きな手に騙されているというか、丸め込まれている気がしてならない。

スマホのせいで、毎月のコストがキツくなった若者は、あの小さな機械を存分にイジることだけを優先するから、旅行には行かず、ファッションにはお金をかけず、クルマにも興味を持たないそうだ。

男たるもの、若いうちは旅に出てさまざまな刺激を受けるべきだ。女の子の尻を追いかけるためのアイテムに夢中になることも大事な修行だ。家に引きこもってファッションやクルマに興味も持たず、カチャカチャと機械いじりに没頭してばかりでは寂しすぎる。

困ったものだ。こっちの老後の福祉を支えてもらわないといけないのだから、もっとアクティブに活躍して欲しい。

などと、ジジむさい説教調になってしまったからこの辺にしよう。

ケータイが無い時代の男女の切ない別れの曲を思い出した。敬愛するハマショー閣下の名曲だ。

高速の渋滞に巻き込まれて待ち合わせ場所に行けないことを別れの合図と受け取る切ないストーリーが昔ならではだ。

お時間のある方はゼヒ聞いてみてください。

http://www.youtube.com/watch?v=AF7PWhRb4WI


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