2012年9月14日金曜日

エエ格好しい

子どもの頃の外食といえば、西洋料理か中華料理だった。大人数でテーブルを囲みワイワイと楽しむものだった。

いまでこそ、飲み屋とレストランが混ざったような店は多いが、昭和のあの頃は飲み屋は飲み屋、食べ物屋は食べ物屋として明確に別れていたような記憶がある。

家長であった祖父が肉好きだったせいで、ステーキ屋みたいな店には頻繁に連れて行ってもらったが、お寿司屋さんとか割烹みたいな和系の店には縁がなかった。

その反動もあってか、大人になるにつれ、お寿司屋さんのカウンターとか、小料理屋のカウンターとか、こぢんまりとシッポリ過ごせる店に憧れた。

ドラマ「相棒」で右京さんの別れた女房がやっている小料理屋なんて、テレビで見るたびに憧れる。なかなかあの手の風情のある店は存在しない。

30歳ぐらいの頃、「カウンターでシッポリ過ごせる店探検」を本格的に始めた。これまで随分あちこちを覗いてきた。お寿司屋さんに限らず、おでん、焼鳥、割烹、小料理など、ジャンルを問わずに訪ねてきた。

基本は大衆的すぎずに、一人でも居心地が良いこと。これが中々難しい。ちょっと小洒落た店は椅子の作りから「おひとりさま」を想定していない。極端な場合、ベンチシートみたいになっていたりする。

大衆的すぎる店にも問題はある。居酒屋評論家?の吉田類とか、なぎら健壱が通いそうな店には独特の魅力があるが、「しっぽり」とは程遠い。隣のオヤジと原監督の采配を語り合ったりして結構忙しい。

陽気なお客さんばかりならともかく、明日の朝には首吊りそうなオヤジがタメ息をついていたりすると「気」を吸いとられそうになる。

高級すぎても窮屈だが、適度な上質感が漂う店であって欲しい。

そんなことを書こうと思って書き始めたのではない。若かった頃の苦労?を思い出したのが今日のテーマのきっかけだ。

苦労といっても笑い話みたいなものだ。小料理のカウンターで、いっぱしの顔して座ったものの、基本的な知識が欠如していて困ったことは数え切れない。

メニューなど無い店で「ホヤが入りました」とか「コノワタお好きですか」とか「えびしんじょ出来ましたけど」とか言われて苦悩することが多かった。

洋食モノとか子どもっぽいメニューばかり好んで食べて生きてきたから、それらの名前を言われてもそれが何なのかサッパリ分からなかった。

「ええ、まあ」とかわけの分かんない返答を繰り返し、出てきたものを口にしてウゲっと思ってもウマそうに食べたりして、正しい大人の姿を目指した。

だいたい、食べ物の好き嫌いが人一倍激しく、どう転んでも偏食太郎なので、いろいろ出てくる食べ物の半分以上がウマいと思えない。

菜の花和えだの、おひたしだの、芋の煮っ転がしとか、さすがに今ではウマイマズイぐらいは分るが、当時は味覚がお子ちゃまだったから大変だった。

野菜方面は生まれつき忌み嫌っていたから、そんなものに身銭を切って過ごす時間は、一種の修行みたいな感じだった。

「それ、うまいでしょう。いまが季節ですからねえ」とか、渋い声の大将に言われると、何も知らないクセに「もうそんな季節ですねえ」とか、適当に返事したり、さもウマそうにうなずいたり、まるで喜劇だった。

切り身の魚ばかり食べていたから、丸ごと出てくる魚料理にも苦労した。季節によっては、どこの店に行ってもサンマの塩焼きを勧められた。

実際にウマいからそれ自体は構わないのだが、いっぱしの大人ぶって座っている以上、綺麗に平らげないと格好悪い。毎回、毎回、血のにじむような?努力で食べ続けた。

渋くて迫力のある大将の目の前に座ってしまった日には、小骨も平気な顔でがんがん食べた。口の中にぐさぐさ突き刺さる痛みをこらえて、心底満足そうに「もう秋の風ですな~」とか言って頑張った。

いつのまにか、サンマの塩焼きを上手に食べられるようになった。見栄っ張り、エエ格好しいだけで精進を重ねたようなものだ。

ある日、初めて入った店で「お客さん、魚が本当にお好きなんですね。そんなに綺麗に食べる人は珍しいですよ」と言われた。

泣きたくなるほど嬉しかった。大人になった日はいつか?と尋ねられたら私はあの日を選ぶ。

会話するタイミング、間の取り方、ペース配分。活字にすると大げさだが、酒席には酒席にあった時間の過ごし方がある。もちろん、正解なんてない。それでもその人なりのスマートさや粋な感じを意識することは大事だろう。大人のたしなみだ。

私自身、決してお行儀良く飲み食いするタイプではない。それでも、若い頃に背伸びして、ひとりポツンと恥をかいたりして自分なりのパターンを作ってきたのだろう。

スマートに、粋に、風のように飲み歩きたいのだが、なかなか難しい。一生かけて精進しないとならない課題だ。ちょっと大げさか。

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