2012年3月23日金曜日

あきらめよう?

今日のテーマはいささか固い話。わが社の新聞のコラムに書いた雑感を膨らませて書いてみたい。

インターネットの世界などで、ジワジワと拡がっているフレーズをご存じだろうか。

「あきらめようニッポン」。

何となく語呂が良いし、何となく素直にうなずきたくなってしまう。実に切ない言葉だと思う。

単なるブラックジョークとして聞き流したいが、そんな言葉を発信する人の気持ちが分からなくない。というか、そんな言葉を口にしたくなるのが、むしろ普通の感覚なのかもしれない。

人間の手に負えない放射性物質の恐怖は根本的な解決に至っていないし、天災の恐れも身近なものとしてつきまとう。相も変わらず復興支援へのスピードには疑問符が付き、一方で政権は、財政構造の見直しをそっちのけにして、がむしゃらに増税だけを目指す。

世の中を覆う閉そく感は、この10年でますます深刻になってきた。もはや閉そく感と言うより、厭世観と言えるほど重苦しい。

若い世代が夢や希望を持つことが出来ず、その場しのぎの生活に明け暮れ、低い次元で人生の満足度を計る。刹那的にならざるを得ないのも仕方ない話かもしれない。

草食系と称される若者達の覇気の無さも、結局は先行き不安に対する自己防衛みたいな感覚が理由だろう。

東日本大震災から1年。政府主催の追悼式でこの国の政府は、いち早く支援してくれた台湾代表団に指名献花させず、一般席に押し込む非礼を働いた。狂った所業だ。

「ひとつの中国」を公式な立ち位置にする政府の「ルール」に乗っ取った措置だ。何かが狂っているとしか言いようがない。

オリンピックをはじめとするイベントでは、台湾は実質的に独立国家として扱われている。中国の言い分を聞いてやる必要のある場面とそうでない場面に分けるのは当然の話だろう。

被災者を哀悼し、尊い人道支援に感謝する特別な場面ですら、中国へのオベンチャラを貫いた腐った役人根性と、判断能力が麻痺した政治家の無神経には開いた口がふさがらない。恥の一言しかない。

外務省のアホさはもちろん、異常なまでの非礼を「問題なし」と語った官房長官の無能さは、もはや犯罪行為と言うべきだ。

話は変わる。

いま、「資産フライト」という言葉がポピュラーになってきた。国内から海外に資本が一斉に流出する現象を指す。「絶望フライト」なる表現も出てきた。

わが社の編集部内でも、その実態について取材を進めているが、資産家や著名な経営者の間で、想像以上に資産移転が進行している。

この国に愛想を尽かす動きは国が思っているより遙かに広範囲に拡がっている。国を下支えしてきた経済的なリーダー層がいなくなる笑えない事態が現実の話になりつつある。

産業の空洞化どころか、もぬけの殻みたいな悲惨な状況になることが恐い。

この手の雑感記事を書く場合、最後に明るい展望とか、期待を込めた言い回しを使ってまとめるのが普通だ。今回もそうしたまとめ方で終わりたいのだが、言葉が見つからない。

あきらめたくはないのだが、あきらめたくなってしまう。

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