2012年2月22日水曜日

発信力 言葉の力

光市母子殺人事件にようやく司法の最終判断がくだった。一連の裁判を通して社会へメッセージを発信し続けた遺族の本村洋さんの「言葉の力」にただただ圧倒された。

事件から13年、本村さんが感じていた無力感、怒り、寂寥感は想像を絶する。20代前半で突如、何の落ち度もないままに未来を断ち切られたわけだから自暴自棄になってもちっともおかしくない。

それでも本村さんはご存じの通り、被害者並びに家族の権利拡充に奔走。犯罪被害者等基本法の制定、被害者参加制度の導入などにつながった。

事件当初から、本村さんが発する声には力がみなぎっていた。心の底からの叫びが持つ迫力や説得力に満ち満ちていた。

最高裁の最終判断を控え、口を閉ざしていた本村さんが、おとといの結果を受けて、どのような言葉を発信するのか、自ずと世間は注目した。

いくつか引用してみる。

●「今回、死刑という判決が下され、遺族として大変満足している。ただ、決してうれしいとか喜びとかは一切ない。厳粛な気持ちで受け止めないといけないと思っている」

●「20歳に満たない少年が人をあやめたとき、もう一度社会でやり直すチャンスを与えることが社会正義なのか。命をもって罪の償いをさせることが社会正義なのか。どちらが正しいことなのかとても悩んだ。きっとこの答えはないのだと思う。絶対的な正義など誰も定義できないと思う」

●「私が色々な方と手を携えてやった活動が正しかったか、正しくなかったかは私が言うことではなく、歴史が判断することだと思うが、何もしなければ始まらない。小さな一歩でも始めれば、社会が変ると実感できた。司法制度を変えることができたのは良かったと思う。今後は、市井の会社員なのできちんと仕事をして、納税をして、一市民として社会の役に立てるようにしたい。特に社会に出て、活動することは考えていない」

●「この判決に勝者なんていない。犯罪が起こった時点で、みんな敗者だと思う。社会から人が減るし、多くの人が悩むし、血税を使って裁判が行われる。結局得られるものはマイナスのものが多い。そういった中から、マイナスのものを社会から排除することが大事で、結果として、妻と娘の命が今後の役に立てればと思う。そのためにできることをやってきたということを(亡くなった2人に)伝えたい」

本村さんの言葉には首尾一貫して、単なる感情論、復讐の発想とは別個の信念に基づいた深みがある。

私自身、事件が注目されはじめた頃、何度もテレビから流れる本村さんの話を聞いて、法律関係とか文学方面の仕事をしている人かと思ったのだが、理科系のエンジニアだそうだ。

今思えば、単純に職業分類みたいな刷り込みでそんな勘違いした自分の浅はかさを恥ずかしく思う。

作られた言葉でもなく、飾った言葉でもなく、取り繕ったり、媚びたりするような言葉ではない、魂が発する言葉だったのだろう。そこに職業も年齢も関係ない。ただ精一杯に信念を主張し、不合理を問いかけた言葉だったわけだ。

また引用になってしまうが、おとといの会見では、被告側の弁護団に対しても次のように発言している。

● 「殺意の否認は非常に残念だが、逆風の中で熱心に弁護されたことは立派なことだと思う。被告にとっても、最後まで自分の命を助けようと足を運ぶ弁護士と接することで感謝の気持ちが芽生え、反省の一歩になる。弁護のテクニックなどでいかがかと思うことはあったが、弁護士の役割を果たされたと思う」

凡人の発想では、恨み辛みだけを吐露したい気持ちだってあっただろうと思いたくなる。それでも本村さんの軸はぶれない。被告に罪の重さ、命の尊さを思い知らせて贖罪意識を持たせたい、無念の死に少しでも意味を見出したい一心に支えられていた。

本村さんの発信力には、以前から政治の世界からも注目が寄せられている。与野党問わず、政界進出を勧める動きがある。

うさん臭く集票目的のためだけに利用しようという思惑も見え隠れするが、本村さんの言葉を聞く限り、魑魅魍魎の思惑に振り回されるような人ではないだろう。それでも本村さんがそれを必要な使命と感じてその道を選べば、卓越した発信力に更に磨きがかかるのだろう。

政治に限らず、あれだけの発信力のある人だから公的な活動に携わって欲しいという声は各方面から絶えないはずだ。これからも何かと騒がしい思いをされるのだろう。

「自分の言葉」で語ることが苦手な大人ばかりが幅を効かす世の中だから、本村さんの存在感が際立つのも当然だ。「市井の会社員」として静かに暮らすことはなかなか大変だろうと思う。

またまた引用になってしまうが、本村さんが、4年前の差し戻し控訴審判決の際に語った言葉がとても印象的なので紹介したい。

●「どうすれば死刑という残虐で残酷な刑が下されない社会にできるか。それを考える契機にならなければ、私の妻と娘、そして被告人も犬死にです」

単なる怨念を超えた重い叫びだ。闇雲に復讐に執念を燃やすのではなく、死刑制度をめぐる表層的な是非論をも超えた、身震いするほど冷静な洞察だと思う。

それにしても13年という歳月はあまりに長い。この結論を得るまでにこれほどまでに年月が必要だったのか、これだけの年月をかけなければ、数々の被害者救済制度は確立されなかったのか、これまた難しい課題だ。

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