2011年12月21日水曜日

母校のつながり

最近、何かと母校とのかかわりが多い。母校といっても大学ではなく、幼稚園から高校まで通った学校のほうだ。

規模の小さな学校だったのだが、その分、付き合いも濃く、今の歳になって改めて親しく付き合う場面も増えてきた。

11月以降だけでも、そこそこの人数で集まった会合が3回あった。メンバーは重複していなかったので結構な人数と会った。行けなかった集まりもあったから、たまたまとは言え、かなりの頻度だ。

仕事もまったくバラバラだし、趣味嗜好も違うし、見た目?も随分と違うのに、多感な時期に一緒だった連中だとついつい気兼ねなく盛り上がる。

高校時代に「飲酒喫煙不純異性交遊?」で停学処分になって、髪も坊主にさせられた仲間達とは、思春期だった当時の切ない話題で盛り上がった。

年齢とともに自然に坊主?状態になってしまった友人も当時の坊主強制事件を懐かしくも悔しい思い出として語る。

色気づいていたあの頃、坊主頭から髪が少しずつ伸び始めた段階で、髪型を格好良く仕上げたいというのが、みんなの重大テーマだったりした。

私自身、中途半端な長さの髪にパーマをかけて「江夏投手」みたいなパンチ状態になってしまった。本気で失踪しようかと思ったぐらいだ。

その日の宴会には、当時付き合いのあった女子校出身のオバサマがたもチラホラ参加していた。オバサマもさまざまな事情がある様子だ。

甦っちゃった青春とでも言うのだろうか。ちょっと付き合いきれない感じもある。立ち位置というか目線がビミョーだったり、妙な思い込みに囚われていたりする。年齢的に何かと大変なんだろう。

そんなわけで、2軒目に移動する際、ぶっちぎってしまったのも御愛敬だ。思えば、高校時代はよく「バックレようぜ」、「ぶっちしようぜ」とか言って、予定と違う場所に一部の人間だけで勝手に逃げちゃったりしたこともあった。

この歳になってそんなことでハシャいでいるのも馬鹿げているが、馬鹿げたことが出来るから昔の友は有難いのだろう。

結局、だいぶ遅い時間に銀座でクラブ活動に突入、続いて、綺麗どころを引き連れてカラオケボックスで野球拳。

幼稚園の頃、一緒に風呂に入った旧友の全裸を今になってそんな場所で見るとは思わなかった。なんとも騒々しくもパワフルで愉快な時間だった。

別の日の会合は、これまた異質な顔ぶれだった。売れっ子俳優の旧友が歌舞伎に進出することになって、その後援会組織作りをどうするかとかいう話が一応主題だったみたいだ。

久しぶりに会う面々が多かったのだが、ものの30分も経てば、バカ話の乱発になる。学年で一番エロかった男とも久しぶりに会った。今では3姉妹の父親だ。相変わらず枯れた様子がまったくないことに感心する。見習わねば。

この日は、お大尽な同級生の手配で、銀座の高級寿司店が会場。ずっと他の客がいないから、ダメな店なんだと思っていたが、休業日にわざわざ開けさせて貸切にしていたらしい。たった8人位の集まりに贅沢過ぎ。

貸切だから、ヨソ様を気にせずに好き勝手に時間が過ぎる。ああいうのを談論風発というのか、ワイワイガヤガヤとまとまりのない話が飛び交う。

その後、クラブ活動。大勢で騒ぐ。売れっ子俳優の旧友も大いに酔った様子。商売柄しがらみも多いのだろうが、子ども時代からの同級生と騒いでる分にはお気軽なんだろう。

まあ、彼に限らず、それぞれがそれぞれの世界で、事情や立場を抱えて生きているわけだから、お気軽な関係同士で騒ぐ時間はなかなか得難い。

それこそ、下の毛も生えてなかった頃からの付き合いだ。今の歳になっても子供じみたアホ話で笑えることは心地よい。

いったんお開きになった後、幼稚園から一緒だった政治家男と二人、締めにもう一軒近くの店に立ち寄る。

この政治家男は中学生の時から白手袋して演説の真似事をしていたような変わった男だったのだが、思い描いていた道を真面目に歩んでいるから大したもんだ。

来年の2月、久しぶりに学年全体の同窓会がある。同学年といっても、留年が多い学校だったから上から降りてきた人、下に降りていった人、途中で別な学校に移った人などかなり広範囲に声をかけている。

IT関係の会社を経営している旧友の多大な貢献によってメーリングリストが整備され、随分とスムーズに連絡が飛び交う仕組みが整っている。

おまけに幹事団の旧友達がこれまたエラい面々で、出欠確認や参加者の掘り起こしにマメに動いているおかげで、随分と盛況になる見込みだ。

私も幹事団のメンバーなのだが、恥ずかしい話、段取りが悪く、打ち合わせにも行かず、実働部隊としてちっとも役立っていない。こんなことではイカンと思いつつ、ボケボケしているだけだ。

こういう時に、頼れる人間かどうかが試されるのだろう。実にまずい事態だ。ちゃんと貢献しようと思う。

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