2011年11月9日水曜日

小さな死

簡単に疲れたなどと言うのも情けない話だが、最近、ふと気付くとバテている。

泳いでいないと死んじゃうマグロみたいだとも言われた。確かに何かとバタバタしている。

自分自身の大切な時間と仕事と家庭の狭間で一生懸命やりくりしている感じだ。睡眠時間もだいぶ減ってきた。

どんな業種だろうと仕事が出来る人に共通しているのはタイムマネジメントが優秀だということ。その点、自分はどうだろうか。

生きるという大仕事を実行する上で、タイムマネジメントはキチンと出来ているか、大いに気になる。

話は変わる。

「小さな死」という言葉がある。フランス語がルーツみたいだが、一般的に情交の後の深い眠りを指す。確かにコトを終えれば睡魔が襲ってくる。時に昏睡と表現したくなる深い眠りに落ちる。

あの瞬間、言われてみれば魂が解放されているのかも知れない。そういう意味では「小さな死」だ。

若い頃は、そんな睡魔もモノともせず、すぐにセワセワと別な行動を始めていた。大人になって、年を重ね、魂がやたらと余計な荷物を背負わされてきた最近では、「小さな死」から逃れられなくなってきた。

一瞬だが、完全に落ちたような感覚に見舞われる。呆けたような感じとでも言おうか、脳が全停止したような気分になることがある。

眠りに落ちる時だけではない。起きている時でも、ふとした瞬間に「フリーズ状態」に陥る。これって疲れが原因なのだろうか、それとも、脳に問題が起きているのだろうか、はたまたガラにもなく哲学的な心理状態になっているのだろうか。

ナゾだ。

強いて言えば最近ちょっとばかり悩むことが重なっている。そういうタイミングだから、脳がキャパ以上に働きまくっている感じだ。だから、ふとした時に異次元にワープして、一瞬だけ「無」に入り込んでいる。

人間の順応力というか、セルフコントロール機能ってなかなか大したものだと思う。「小さな死」も「一瞬の無」も、思うようにいかないことを抱えて生きていく中で、自分を壊さないための調整弁として機能しているのかもしれない。

葉巻をふかす機会がこのところやけに増えた。2ヶ月前から紙巻きタバコを禁煙したことが大きな理由だが、それだけではない。葉巻をくゆらす時間の穏やかな感じについつい誘われる。

違法薬物に興味はないが、私にとって葉巻は「プチ・アヘン」みたいな存在になっている。アヘンといえばオドロオドロしく聞こえるが、古来、医療用に流通していたわけで、鎮静効果、導眠効果に優れていたらしい。

葉巻をポワーっとふかしていると、鎮静効果はかなりのものだ。肩に力が入っていた感じも自然とほぐれるし、ぶつけようのないイライラも束の間消え去る。

このところ、世間様が高々と掲げる数々の金科玉条に、わけもなく噛みつきたくなっている。老化のせいで短気になったのだろうか。

秩序とか常識といった窮屈な制約がうっとおしく感じて仕方がない。困ったものだ。やたらと「なぜ」、「どうして」が頭の中を支配する。

アルコールが足りないのだろうか。そうだ、最近、ちょっと酒量が減った。胃腸がお疲れ気味で、アルコールを減らしたのがいけないのだろう。だからイライラしている。

そういうことだ。とっとと大酒飲んでケッケっと笑って過ごすことにする。

なんだか今日はウツウツと書き殴ってしまった。

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