2011年5月20日金曜日

セックスと刷り込み

知らず知らずに思い込んでいる常識を時々疑いたくなる。身近なところでは、ワカメを食べれば毛が生えるとか、メンソールタバコはEDの原因だとか。根拠も真偽も知らないが、多くの人が思い込んでいる。

もっともらしく整えられた記者会見で政府首脳が語れば、ホントっぽく聞こえるし、難しい顔したキャスターがニュース原稿を読めば、盲目的にそれを信じる。

いちいち疑ってもキリがないが、世の中、「刷り込み」によってコントロールされていることは多い。

ビン・ラディンだって本当は生きているかもしれないし、10年前に既に死亡していたという説もある。米軍の作戦成功を伝えるニュースに証拠映像があったわけでもなく、誰もが一方的な発表を単純に受入れている。

ウィキリークスのアサンジ代表やIMF専務理事のセックススキャンダルにしても、陰謀によるでっち上げだろうが、世界中の何億人もの人が報道を信じる。後日、潔白が証明されても手遅れ。大衆の心理は「アイツは悪者」で固定される。

なんか難しい話になってきそうだから方向転換。

今日、こんな話を書き出したのは、週刊ポストに載っていた「古代ローマ人のセックス」という特集記事のせいだ。

昔の人間の開けっぴろげな性感覚と、それを律するようになってきた社会背景が興味深かった。

現代のセックス事情は、根拠のない常識にとらわれているように思えてきた。

思えば人間だって動物だから本能的に発情する。発情期が決まっていない不便な生き物だから、律するものがなければ、そりゃあそりゃあ乱れる。

古代ローマ人は凄かったらしい。大衆浴場でやりまくりだったそうだし、脱衣用ロッカーには番号ではなく、セックスの体位の絵で区分けされていたとか。子どもも出入りする大衆浴場でそんな感じとは恐れ入る。

実際の行為の方も開けっぴろげで、今で言う変態プレーのオンパレードだったらしい。

その昔、ヨーロッパ旅行の際に、イタリア南部のポンペイ遺跡を見る機会があった。噴火で埋もれた街が発掘調査で復元されているのだが、壁画のスケベさにビックリした記憶がある。

変な体位などを描いたエロ絵がたくさんあった。「それっきゃ考えていない連中」だなあと妙に感心した。私も同じようなものだが。

週刊ポストの特集によると、やはりポンペイ遺跡の壁画は歴史研究の上で重要だったらしい。発見のたびに現地のマジメな学者達は先祖のインモラル指向に衝撃を受けたそうだ。

結局、乱れに乱れた性風俗を律する役割を果たしたのがキリスト教だったというわけ。ハレンチ天国の反省が宗教という禁欲につながっていったのだろう。

幼稚園から高校までキリスト教の学校に通ったのに、キリスト教が苦手な私だ。その理由がようやく分かった気がした。

古代ローマ人は、それこそオーラル方面、お尻方面、同性愛方面などなど何でもあり。キリスト教的な感覚では、それらの楽しいプレーは「子孫を残すための生殖行為」ではないという理由で厳しく戒めた背景があるらしい。

なるほど理屈だ。賛成する気はないが、一応理にかなっている。でも、たとえ夫婦間だろうとコンドームを付けちゃうと生殖行為でなくなるわけだから戒めの対象になるのだろうか。

よくよく考えると「浮気は悪い事」という世界的な常識は、誰の子供だか分かんない子が生まれちゃうからではなかろうか。そうだとすると、逆に完璧な避妊を徹底すれば、悪いことではないという論理になってもおかしくない。どうだろう? だめだろうか。

闇雲に浮気は悪だ、不倫は罪だとか、不特定多数とイタしてはダメという論理は、大衆を統制してきた宗教とか国家によって巧みに刷り込まされた常識なのかもしれない。

もともと男の生理的欲求は純粋に本能的なもの。売春が人類最古の職業と言われている事実がその証拠だし、いまだに売春自体が違法ではない先進国だってある。

冒頭で書いた「常識を疑ってみる」という姿勢は男女の道というか、男女の行為に当てはめると実に奥が深いテーマになる。

なぜ、男が頑張ってそういう場面を作らないといけないのか、「1回ぐらいやらせろ」という絶対成功しない無粋なセリフだって女性が言い出したっていいじゃないか。

どんどん脱線しそうだ。

「公序良俗」とかいう概念も誰が何を基準にしたのかサッパリ分からないし、「わいせつ」の定義だって、昔は考えられなかったヘアヌードの氾濫に象徴されるように時代とともに変わる。

もっとも、曖昧模糊とした公序良俗とかの「常識」がブレーキになって世の中を面白くしてくれているのも確かだ。このあたりは実に微妙だ。

とことん開けっぴろげになってしまったら多分面白くない。男としての修行もなくなってしまう。男を磨く必要もなくなるし、達成感みたいな喜びも消えてしまうだろう。

逆説的に言えば、男として修行する喜びや達成感を味わう楽しみのために、あえて常識とか公序良俗という概念が生まれたのかもしれない。

だとしたら、そういう方向性を築いていった先人達は究極の遊び人かもしれない。ニクいことをする。ゲームだって難易度が上がるほど必死になる。攻略に向けてどんどん熱くなるわけだ。

ちなみに私の場合、インベーダーの時代からゲームが好きではない。どちらかといえば、縁日の射的とか輪投げ程度の攻略ウンヌンを考えないで済む単純な遊びの方が好きだ。だからきっと女性をせっせと攻略するようなマメさに欠けるのだと思う。

結局、うまく口説けないことを「常識」のせいにして、なんとか女性から口説かれる社会が到来しないか願う日々だ。

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