2011年4月8日金曜日

アウトロー

先日、旧友達と大騒ぎをする機会があった。
日々、重苦しい空気が漂う昨今、こういう場面は有難い。

大半のメンバーは結局、始発が出るまで騒いでいたが、私は根性が足りないらしく、一足早く帰ってしまった。反省。

小学校時代からの友人の社長就任祝いという名目だった。先月は別な友人が社長を務めた会社が残念な最後を迎えてしまい「励ます会」があったのだが、やはり人生後半戦に入ると、みんな色々ある。

この日、主役の友人は、学年トップの美男子で兄弟は一流モデル。「格好いい社長コンテスト」があればきっと優勝すると思う。

どちらかといえばマジメな路線を歩んだ男なのだが、カタブツではなく、部活では東京代表として全国大会に出場したほどのスポーツマンでもある。

学生時代には、運動系、学業優秀系、そして私のようなフニャフニャ系とも全方位外交だったので、同窓生の中でも交友範囲は広いようだ。

この日のお祝い会は、我々フニャフニャ系の集まり。主役の当人以外、成績が優秀だった人間は皆無。上の学年から留年してきた友人、下の学年に留年しちゃった友人、途中で学校をやめちゃった友人など、そういう集まりだ。

誰かが表現していたが、「アウトローの集い」だとか。アウトローなどというとトンデモない悪者のイメージだが、そんな大袈裟なものではない。

とはいえ、飛び抜けた不良なんかはいなかったのが母校の校風。そういう意味では、あの狭い世界では、我々フニャフニャ系は確かにアウトローだったのかもしれない。

相も変わらぬバカ丸出しの昔話で腹を抱えて笑う。下品極まりない最低の会話が大音量で爆発する。会場は、やはり旧友が営む浜松町の店だったので、遠慮のカケラもない。

確かにアウトローだ。

中学時代から付き合いのある女子校出身のオバサマがたも数人参加していたのだが、こっちの記憶から消去したような恥ずかしい話もどんどん出てくる。

記憶から消去というか、「封印」していたような話だ。誰がモテたの、誰がエロエロだっただの、当事者以外は逆立ちしたって面白くない話で延々騒いだ。

考えてみれば、男子校のくせして、中学生当時から色々な女子校の人々と遊んでいたこと自体が、確かに不良ではある。子どもを持つ身になって妙に実感する。

15才ぐらいの分際で男女入り乱れてスキー合宿という名目のバカ騒ぎ旅行とかをしていたこともあった。オトナになったいま、そういうことは本気でダメだと思う。

そんなフニャフニャだった我々も本人の意思に反して大人になり、結婚し、子どもを授かり、そして離婚した。

誰それの最初の嫁は色っぽかっただの、誰それのいまの嫁はアーダのコーダの、オトナになったはずなのに話題はロクでもない。

付き合いが古い友人達の特徴は、人の古傷なんかをモノともせず、ずかずかと平気でイジリ倒せるところかもしれない。付き合いが短ければ流血の惨事になりそうな話もびゅんびゅん飛び交う。

ヘタすれば5才ぐらいの頃から付き合っていたわけだから、たとえここ10年ぐらい会っていなくても、瞬時にタイムスリップして古傷に塩を塗りたくってゲラゲラ笑う。

この日、久々にあった友人から、私の恥ずかしい過去の話を切り出された。高校生の頃、変なフォークバンドを作って束の間のボーカリストをやってみた封印ネタだ。

彼は当時、私の思いつきフォークバンドとは違う、もう少し真っ当なロックバンドのギタリストとしてぶいぶい頑張っていた。今も時々ギターを弾いているらしい。


そういえば、別な友人も若かりし頃の音楽活動を思いだし、高価な楽器をオトナ買いしながら、ライブの計画を練っているらしい。

そんなこんなで、オヤジバンド結成計画なんぞを酔っぱらい同士で話し合う。楽器が出来ない私は歌うしかない。「ハマショーなら歌えるぞ」などと調子に乗ってノリノリだ。すぐに調子に乗るところは、ある意味で加齢の成せるワザだ。

でも、世の中に増殖中のオヤジバンドは、こんなノリから生まれるのだろう。ひょっとしてひょっとすると私もオヤジミュージシャンの仲間入りだ。

いつ大災害に襲われるか分からない世の中だ。そんな奇想天外な計画も楽しいかもしれない。

発声練習に励もうと思う今日この頃だ。

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