2010年8月11日水曜日

無責任

菅首相のオーラの無さというか、弱々しい感じにはビックリする。首相の座にいる以上、もう少し独特の存在感を漂わすはずだが、まるで抜け殻。

俗に言う「死に体」、「レームダック」だとしてもあまりにはかない感じがする。“首相の器”というのがどういうものだか知らないが、器じゃない人が首相になっちゃった典型なんだろうか。

さきの参院選で、あれだけの惨敗にもかかわらず誰も責任をとらない現政権の体質が気持ち悪い。あえて言うなら異常だ。

結果責任など必要なしという判断だ。究極の民意無視だろう。国民は自分達の声を反映させたくて選挙に参加したのにいとも簡単に無視された格好だ。

「参議院だし、改選分だけの議席だから」という空気で責任が不問になるのなら参議院の存在自体意味がない。いっそのこと廃止しちゃえばいい。

菅首相が居直るのなら、せめて枝野幹事長あたりが潔く身を引くようなパフォーマンスを見せるべきだったと思う。

選挙責任者が腹を切るという当たり前の行為でも、ケジメを尊ぶわが国の国民性からすると大衆受けは悪くなかったはずだ。

親分を守るために自ら責任をかぶった。そんな構図になれば枝野氏自身の株も上がったはず。そのぐらいの政治的センスが欲しいところだが、そんな素振りもない。

地位は人を作ると言うが、地位が人をおかしくするパターンも多い。ちょっとばかり脚光を浴びた人の周りには、旬の人にあやかろうと近づく人がわんさか。

そんな人々は本気でもないのに旬の人物を煽り立てる。煽り立てられた方はまさにノリノリ。ところが、ハシゴを外されたあとになっても勘違いを続ける御仁が多い。


なんだったっけ?

そうだ。菅さんの覇気の無さと無責任の話だった。

人として大事なことは数々あれど、基本的なのが「約束を守る」ことであり、「責任を取る」ことだと思う。

そういう意味では、たった1年前のマニフェストを平気でホゴにして、その審判を受けた参院選の惨敗にも頬被りを決め込む民主党政権は、相当にワルだ。

百歩譲って弁明を聞こうにも、そこに謝罪は無い。「約束を守れない」、「責任は取れない」、「謝れない」。バカなんだろう。

有権者、すなわち国民の目はシビアだ。シビアとはいえ、決して非現実的なものだとか、ハードルが高いわけではない。

「約束を守れるのか、責任はとれるのか」。国民の目線はきわめて明快、かつ単純だ。この程度のハードルはクリアしてもらいたい。

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