2010年7月9日金曜日

行間のニュアンス


「裏表がない、まっすぐ」。良いことに聞こえるが、果たしてそうだろうか。裏表あってこそのオトナの世界だと思うがどうだろう。

はるかに年上の仕事関係者と話をしていても、よくそんなテーマが出てくる。

「深みがない」、「単純すぎる」、「妙にストレートだ」・・。いろんな分野についてそんな声を聞く。

こちらが鈍化しちゃって、世の中の裏表に気付かなくなっているのだろうか、それとも、ホントに単純明快ストレートに物事が運ぶようになってきたのか、なんとなく気になる。

硬いジャンルから柔らかいジャンルまで、どんな分野でもそういう傾向があるような気がする。

政治家の言葉なんてその代表だろう。こっちが幼かったせいもあるのだろうが、その昔の「三・角・大・福・中」と称された自民党重鎮達の言葉は、今よりもはるかに重厚で難解で、ある意味不気味だった印象すらある。

オブラートに包んだような言い回し、絶妙な比喩、聞き手を煙に巻く巧みさ、すべてが普通の人とは違った。

今のおエラいさんは、良くも悪くもみんな普通の人。言葉が軽いだけでなく、発する言葉の質がどこか単純でストレート。“民主党系”はとくにそんな感じ。

彼らの話を聞いていても、眠くもならないし、かといって印象にも残らない。

話は変わって、ハヤリの歌の歌詞なんかも昔と今の違いはその点だと思う。阿久悠がアイドルに書いていた詩にしても、いま聞き返してみると結構な深みがある。

男女間のチチクリ合いの表現も直接的に言い過ぎない。間接的かつ想像力を働かせるような言い回しが多い。

当時のテレビ番組では歌われなかった2番、3番の歌詞なんかにはきわどすぎるスリリングな歌詞も折り込んでいる。巧みだ。

また話が飛ぶ。仕事関係の年輩の人達と話題になるのは、税務調査というジャンルのサジ加減だ。公明正大は行政の基本であるべきだが、そうはいっても“仁義”も大事。

税務署のイベントに半ば無理やり協力させられたタレントさんがいる。イベントは成功、広報活動に絶大な貢献。ところが、ほんの数ヶ月後に無予告で高圧的な税務調査が入ったとか。

怒った顧問税理士への役所の反応は「セクションが違う話だから仕方ない」というもの。アホな話だと思う。世の中そういうものではないと思う。

またまた話は飛ぶ。銀座のお客さんにも変化が顕著だそうだ。要は「いくら払ったらやらせるのか」みたいな浪漫の足りない御仁が増殖中らしい。

さすがにそれじゃあ単純すぎる。面白味もへったくれもない。ある意味、そんなストレートな展開に持っていくセンス?がうらやましい。そこまで図々しくなってみたい。ホントにそういう図々しさに憧れる。

でも、そんな御仁の多くが、自分の言動パターンが図々しいという認識すらないのかもしれない。意外と思ったままを言っているだけで、悪気も作為もないのかもしれない。ただ単純にストレートなんだろう。

“まどっろこしい”とか“もどかしい”とか、そんな段取りを抜きにして男女間の秘め事なんて成り立たないと思う。

もちろん、話の早い風俗営業もあるが、あれは“秘め事”というジャンルではない。ただの処理。あれはあれで充分価値があるが、別ジャンルだ。マゼコゼに捉えるものではない。

エラソーに気取ったことを書いているが、かくいう私だって、銀座界隈で親切にしてくれる素敵な女性とはネンゴロになりたいし、なんとかそういう展開にならないものかと画策だってする。でもそこで“ストレート馬鹿野郎”になっちゃったら面白くないと思う。

若い頃、原稿のダメ出しを随分喰らった。ちゃんと書けているつもりでも戻ってくる。よく言われたのが「行間のニュアンス」だ。

原稿用紙に実際に書き綴った文字と文字の間、行と行の間に、微妙に感じられる別な気配を大事にしろという意味だ。ちょっと抽象的だろうか。

「そこまで書き込んじゃあ台無しだ」、「余韻がまったく感じられない」、「“てにをは”ひとつで記事の意味は180度変わる」、「記事の書き方もレアとウェルダンを使い分けろ」等々。理数系的発想とは逆の国語的な世界だ。

男女間の秘め事にこそ“行間のニュアンス”が大事なんだと思う。

そんな気取ったことばかり考えているから、ちっとも性交、いや、成功できないのだろう。

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