2010年5月12日水曜日

バーボンソーダ

私の弱点というか悪い部分なのだが、アマノジャク気質のせいもあって、めったに尊敬したくなる人に出会わない。

そんな私が無条件で尊敬していた人が急に亡くなった。65歳。今年の2月頃に体調を崩してからアッという間の出来事だった。

昨年暮れ、珍しいバーボンが手に入ったのでお歳暮代わりに贈らせてもらった。その際に電話で少し話をしたのが最後になってしまった。

ジャンルで言えば教育者だ。おまけに聖職者に近いポジション。そう書くとカタブツを連想するが、その人はどちらかといえばギャングみたいな見た目、着るものもお洒落だったし、話っぷりも豪快。

学問だけの頭でっかち的要素はまったくなく、人間としての魅力に溢れた傑物だった。

教育者だとか学者の話はたいていが眠いだけだが、その人の話は無条件に面白く、また説得力に富んでいた。含蓄に富んだ話がもう聞けないかと思うと実に残念。

若い頃は黒人社会の差別を研究テーマにした関係で、今よりはるかに差別色が濃かった黒人居住エリアに単身乗り込んで暮らしていたそうだ。

要は数十年前にそんなことをする気になるようなエネルギッシュな人だ。

儀礼的な接点があるだけだった私だが、3年ほど前から少しだけ踏み込んだお付き合いをしていただいた。

ダウン症の子どもを持ったことで混乱モードの最中にあった私に、突然連絡を下さったことがきっかけ。

立場や関係といった普通は意識するはずの垣根のようなものにまったく頓着せず、当然、ご自身には何もメリットなど無いのに、本心からの心強い助言を幾度に渡っていただいた。

あの頃の心理状態を思い返すと、とにかく心の底から有難かった。

見ようによってはコワモテの風貌なのだが、実に慈愛に満ちた精神の持主だったのだろう。私なんかイチコロだ。含蓄のある話がいくつも身体に染みた。

黒人社会経験のせいで、酒場でもバーボンを豪快にカッと煽る。一人の男としてもなかなか魅力的で、私が目指す60代の格好いい男性像は間違いなくその人のイメージで固まっている。今後もそれは不変だろう。

今年に入って2度ほど、近くに寄ったついでにその人の仕事場を覗いてみた。二度ともご不在だったのだが、そんな“ついで”ばかりで済ませていた自分の横着さに呆れる。

せっかく親しくしてもらったのだから、うっとうしいと思われるぐらい積極的にお付き合いさせてもらえば良かった。

本当に後悔先に立たずだ。

これから一体どれだけの後悔をしてしまうのだろうか。生きていくことイコール後悔そのものなのかもしれない。

悲しさよりも悔しさばかりが募る。もっともっと感服させてもらいたかった。お礼も何度だって言いたかった。今後の子どもの成長を報告したかった。

ここ半年ぐらいウイスキーの炭酸割りにはまっているのだが、今回の訃報に接してからはバーボンソーダばかりになった。

合掌

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