2009年10月13日火曜日

ガッカリした話

新政権からトンチンカンな話が出てきた。
日本と韓国で共通の教科書を作るとかいうトンデモ話が飛び交っている。

岡田外相が将来的には「日本、中国、韓国」による共通の教科書作成を検討すべきと表明したのがきっかけのようだ。

韓国の政府高官が、さっそく前向きな反応を示したらしい。そりゃそうだ。笑いをこらえるのに必死だろう。どう転んでも謝罪される側のポジションから見れば、何も困らない。都合がいい話。

逆にいえば、日本にとっての利益はどこにもない。こういう問題になると、「大きな度量で」とか「大人の対応で」とか言いたがる控えめな国民性がアダとなる。

韓国や中国に恨みはないが、この話にもろ手を挙げて賛成する日本人ってどのぐらいいるのだろう。

それ以前に根本的に無理のある話だと誰もが思うはずだ。

日本の、たとえば広島や長崎、沖縄あたりでアメリカの右寄りの人達と日米共通教科書を作成できるかと言えば無理だろう。

それは別にいがみ合っているという意味ではない。現時点での友好関係を否定するものでもない。あくまで、立場の違いによる認識の隔たりを埋めることは無理だという話。

韓国人はなんでもかんでも自分の国がルーツだと主張することで知られる。「ウリ(我々)こそが起源だ」という彼らのファンキーな発想は“ウリジナル文化”として知る人ぞ知る。

たとえば、サムライや日本刀、柔道、剣道、はたまた醤油にいたるまで韓国が起源なんだとか。日本以外では、サッカーも韓国が発祥の地なんだそうだ。

いちいち付き合うような話ではないが、こんなノリで次代を担う子どもの教科書を共通作成することが可能だろうか。きっといつのまにか「戦勝国」だと言い出しそうな気がする。

歴史認識なんてものは立場の違いで変わって当然だし、それぞれの立場から見たら、どっちも正式な歴史でしかない。足して2で割るという性質ではないと思う。

突飛な例えだが、忠臣蔵の話だってそうだ。吉良さんのほうから見れば、赤穂浪士は単なるテロリストだ。逆恨みした無法者集団に突然襲われたという実に悲惨な話でしかない。吉良さんにとってはそれこそが紛れもない歴史的事実だろう。

話を戻そう。選挙で圧勝して生まれた政権だけに勢いにのってるのは事実だろう。正確に言えば「調子にのってる」のだろう。じゃなきゃ、こんな究極の理想論を現職の外務大臣が発言することは考えられない。お口あんぐりだ。

私が中国人や韓国人だったら、日本初のこんなトンチンカン発想をとことん不思議に思う。こどもの精神論レベルだ。

鳩山首相が好んで使う「友愛」って結局そんな次元の意味合いなんだろうか。

正直ガッカリ。

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