2009年9月14日月曜日

左よりの風

選挙結果が歴史的だったわりには、その後の“間延び”感が否めない新政権の動き。鳩山次期総理大臣に「ハツラツとしたスピード感」は感じないし、今回の政変劇はなぜか盛り上がっている印象が薄い。

ダラダラと人事を固めない現状に加え、決して「民意」とは言えなさそうな人材が中心選手みたいな顔をしているのも気持ち悪い。

大臣にしてもらう社民党の福島党首のウキウキした感じは連立協議の段階から気持ち悪い。「アンタがそこにいることは民意ですかい」と聞きたくなる。亀井静香氏しかり。党首すら当選しなかった政党だ。3党首が握手している風景は素直に違和感があった。

社会主義についてどうこう言っても仕方ないが、そちら側の思考の人にアレルギーを感じる階層は相当いると思う。選挙で勝ったわけでもなく、参議院の議席状況という思惑だけでチヤホヤされて舞い上がる感じは何ともイヤな感じ。

三権の長たる衆議院議長もバリバリの“レフティー”が就任するらしい。アラアラという感じだ。

自民党に担がれた村山さんが社会党の主張と現実政治のはざまで、現実政治を優先し、それが契機となって矛盾だらけの社会党は壊滅した。社民党という流れで存続した一群は少数派で、多くは民主党という看板の下に集まった。

見る人が見れば、「お粗末左派一派」というイメージを隠したいがためにイデオロギーの匂いのしない旗の下に潜り込んだように見える。そしていま、我が世の春みたいな感じ。なんともウヘヘだ。

民主党の結党の背景に色々な思惑があったことは結構な数の人が知っている。この辺も盛り上がりきらない今の空気と関係あるのかもしれない。

確かに半世紀以上もの支配体制が転換すれば、一般的にもっと国民的大騒ぎになりそうなものだが、シラケ感とも違う変な静けさが漂っていることは誰もが感じているのではないか。

今の微妙な空気感について作家の村上龍氏がニューヨークタイムズ紙への寄稿で興味深い指摘をしている。

政権交代が起きても街角の表情がどことなく暗いことについて「子どもが大人になる時の憂鬱な気分」を国民が味わっているからと分析している。

また、日本の有権者心理について「政権交代で生活が改善されると信じるほど幼稚ではなくなった」として“成熟していく過程の憂鬱”が昨今の空気感の理由だと論評している。

文学的な言い回しだが、実際に“憂鬱な感じ”って分かる気がする。一気にすべてが変わるわけでもなく、かといって傍観も出来ない。国民心理はなんとなくスッキリしない感じなんだと思う。

民主党が前例がないほど圧勝した意味は、民主党への期待ではなく、ただ単純に自民党への退場宣告だったと見るのが普通だ。すなわち、これから民主党には冷たい風、向かい風が吹きまくる。

有権者が今回の政変劇で学んだのは、自らの意思で政権をひっくり返すことが意外に難しくなかったという事実だろう。この点を考えれば新政権の油断は一瞬にして命取りになる。

マニフェストに謳われた新しい政策について、その財政問題がこの秋にも問題化する。大転換に期待したいのはやまやまだが、年末あたりに新政権がドツボにはまっていそうな気もする。

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