2009年6月22日月曜日

草食系でいいのか

やたらと耳にする「草食系」という言葉が気になる。温和で何事にもガツガツしていないイマドキの腑抜けた男性のことを指す言葉だ。

もともと女性との関係に積極的でない若者をイジる表現だったようだが、そっちに積極的にならない男性なら、結局仕事を始め社会で頑張っていくパワー自体が乏しいということ。

人畜無害で優しいとなれば、確かに場面によっては人気者だろうが、そんな連中が増殖することを喜んでいていいのだろうか。

覇気のない若者の存在は、社会を映す鏡のようだと思う。もっとも、今の若者が子どもの頃から見てきた世の中を考えると少し気の毒になる。

ここ20年ぐらいの社会情勢の低迷は、それ以前の時代と比べて確実に深刻だろう。明るい未来を思い描くような話題に乏しい。

経済だろうが政治だろうが、モラルハザードが相次ぎ、私利私欲が正義みたいになり、出る杭は打たれ、結局、すべてが閉塞感の中で低迷している。

何年か前に日米中韓4カ国の高校生を対象にした意識調査でも情けない結果が出ていた。

「成績が良くなりたいか」、「希望する大学に入りたいか」という項目で、日本の高校生は4カ国中最低。「食べていける収入があればのんびり暮らしたい」という将来像を選んだのは日本の高校生がトップ。

こういう感覚の若者が増殖する社会に活力は生まれない。「草食系」と称される連中はいまさら望み薄だが、それより下の世代や子ども達がもっと希望を持てる社会になって欲しいとつくづく感じる。

それまでの価値観や情操的なものを全否定するところから出発した戦後の近代教育が残した結果が現在の社会の在り方なんだと思うと薄ら寒い気がする。

懐古趣味とか国粋主義的発想ではないのだが、日本人が日本人らしくあった時代をついつい考えたくなる。

以前、将軍家十八代当主でもある徳川記念財団理事長の徳川恒孝さんから、非常に示唆に富んだ話を聞いた。

コンプライアンスとかコーポレートガバナンスとか称して有難がっている考え方は、本来江戸時代には既に日本の商道徳として存在していたという話。

勤勉、正直、誠実を旨とした商道徳は、明治維新後百数十年でいびつになり、いまになって横文字にして見つめ直しているだけだという指摘だ。

徳川さんの持論というか考察では、それに関連して教育分野の話につながる。日本人が本来持っていた道徳的概念は驚異的に高い水準だったそうだが、この部分がフニャフニャしてきたことが根っこの問題だと。

江戸末期、西欧諸国からの来日外国人が共通して感嘆したものは日本の教育水準の高さ。識字率がどうのという以前に日本人の日本人らしさを支えていたのが、物凄い普及率だった寺子屋教育だという。

寺子屋教育の特徴は実践的学問だけでなく、道徳的価値観の形成に力を入れていた点。この部分が高い志と向上心に富んだ人材を出自階層に関係なく輩出したわけだ。

いわゆる“デモ・シカ教師”が子どもにおもねるような今の教育が行き詰まるのも当然だと思う。

現在、日本の国家予算のうち、教育関連予算は支出内訳順の5番目ぐらいに位置する。5兆円を遙かに超える金額が投入されている。防衛予算よりも高額な水準。こんな巨額な税金を投入して教育をしてきた結果が草食系の大発生だとしたら嘆かわしい。

毎年毎年5兆円以上使って去勢されたような活力のない人材を作り続けるのなら、ある意味、天文学的な税金の無駄遣いだろう。

今日は久しぶりに真面目モードで書き殴ってしまった。。。

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