2009年5月18日月曜日

東京の役割

新型インフルエンザ騒動や民主党の党首選の陰にすっかり隠れてしまったかのような北朝鮮の核問題。北朝鮮問題にはウンザリといった世の中の空気が広まっているが、考えれば考えるほど恐ろしい話。

韓国旅行を一度でもした人なら分かると思うが、朝鮮半島は想像以上に近い。ホントに目と鼻の先だ。福岡あたりの人は、バーゲンセールの時期にはフェリーで気軽に海を渡ると聞いたこともある。

そんな距離に怪しげな王朝があって、独善的に核開発をしながら、わが国を敵国と認識している事実って空恐ろしい。後ろ盾の中国も根本的に排日の論理で動いているわけだから、考えれば考えるほど恐ろしい。

核といえば、先日訪ねた長崎で原爆資料館を訪ねてきた。昔行った時とは随分違う印象だったが、10年ちょっと前に新装したらしいから事実上初訪問だ。

なんとも説得力がある施設だった。数々の遺構や遺品、写真などが整然と展示され、ただただ圧倒されるという表現しか思い浮かばない。

人骨とガラスが高熱のため混ざり合うように付着した塊、正視できないほどの全身ヤケドを負った子供の写真、息絶えた幼い弟をおぶったままで直立不動で何かをにらみつける少年の写真・・・。書き出せばきりがない。

広島でも同様の施設を見るたびに想像を絶する現実を思い知らされた記憶がある。これらの施設を見るたびに必然的に世界で唯一の被爆国家の意味合いを考えさせられる。

活字を追ったり耳で聞くのとは異なる迫力がこうした品々にはついて回る。もちろん、資料館などは単に慰霊にとどまらないメッセージ性を持つわけで、その説得力は非常に大きい。

そう考えるとこうした施設は被爆地に限らず、主要都市すべてにあったっていいと思えてくる。被爆地をないがしろにするような意味ではなく、もっともっと広く凄惨な現実を知らしめることが犠牲に少しでも応えることにならないだろうか。

被爆地以外にも施設をなどと書くと突飛な感じもあるが、一人でも多くの人が凄惨な現実を学ぶ意味は大きい。とくに首都・東京だ。日本人が集まるだけでなく、来日する諸外国の要人が集中する。

被爆国家としてのメッセージを発信するうえで東京になんらかの施設があることは有効だろう。来日する諸外国の要人にとっても、その施設は素通りしにくいわけで、波及効果ははかり知れない。

東京でオリンピックを開くのも結構だが、核の恐ろしさを世界にアピールするチャンスを増やすことが出来ればどれほど有益だろうか。

イデオロギーに呪縛された陳腐な「○△館」とかではなく、淡々と事実を見せつけるだけで充分存在価値は高められると思う。

長崎で見た人類の愚行を物静かに示す数々の遺品。その存在自体が放つ強烈なメッセージに圧倒されて、ふとそんなことを考えた。

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