2009年5月13日水曜日

寄付のハナシ

25兆円VS2500億円。この100倍の開きは寄付金の日米比較。個人での寄付総額の比較だ。寄付をすることが社会生活の元になっている米国に比べて、わが国の水準は低い。

宗教観の差という理由も大きいだろうが、実際には、税制上のシステムの違いが最大の原因だと思う。

所得から寄付金の一定額を控除する所得控除については、昔に比べれば寄付しやすい形に変わってきたが、所得控除する際にポイントになる寄付対象団体の数は、わが国の場合、まだまだ少数だ。

もちろん、どんな団体に対しても寄付金控除を認めていたら、ヤクザ組織やカルト宗教相手への寄付が節税につながるというおかしな話になってしまう。

とはいえ、米国では100万ともいわれる寄付金優遇団体が、日本の場合は2万程度。あくまで福祉は国が仕切りますという現在の中央集権体制もあって、まだまだ寄付環境の底辺拡大にはほど遠い。

アメリカ人の旺盛な寄付意識だって、すべてが信仰心や世間体を気にしてのことではない。寄付することで自分の税金が安くなるのなら積極的に寄付しようという思惑も大きな要素だ。

税金という形で国に納めたらどう使われるか分らないが、寄付金なら自分の意思が反映できる。こうした意識は重要な寄付への動機付けになる。

現状の税制でも、然るべき団体に高額な寄付をした場合、所得税がドカンと安くなるが、この仕組みを知らない人が大半だろう。

オーナー経営者向けの税金の専門紙を発行する仕事をしている以上、こうした部分を広く啓蒙していく必要性を痛感する。

善意の寄付で感謝され、自分の税金も割安になる。そう書いてしまうと美しくないが、綺麗事ばかりでは寄付文化は向上しない。節税目的が本音だろうと寄付が活性化することは素直に尊い。

国にとっては、寄付がさかんになれば、国庫に入る税金が減少するわけだから、積極的に寄付優遇税制をPRすることはない。

うがった見方をすれば、寄付金税制は、あえて複雑で分りにくい仕組みにしておいたほうが国にとって好都合という考えがあるのだろう。

一説によると米国の場合、毎年、5兆円もの税収が、寄付金の所得控除制度の影響で国庫に入らないらしい。

いずれにせよ、純粋に人の善意に期待するだけで、莫大な寄付は集まらない。結局は、「税金をガッポリ取られるより寄付をして感謝されたい」という制度と空気を作っていく必要がある。

もともとわが国の歴史は相互扶助の色合いが強く、強者が弱者を助ける土壌もあった。戦前までは皇族や華族、財閥系大金持ちなどの寄付が想像以上のスケールで行われたが、戦後体制が福祉政策を国家の課題にしながら総中流作りに励んだことで、寄付の世界も様変わりした経緯がある。

この問題を考える時、誰もが指摘するポイントがある。一元管理の中央集権国家という姿を、小さい政府に転換していけるかどうか、実効性のある地方自治が確立出来るかどうかで寄付金の環境も変わるというもの。

もちろん、的確な地方自治の推進が大きな転換点になることは確かだが、それだけでは不充分だ。置き去りにされてしまう一番大切なことは、「お金持ち優遇政策」だろう。

基本的にお金持ちを生み出し、育てないかぎりダイナミックな寄付など期待できない。バカの一つ覚えのように「金持ち優遇はケシカラン」などといちいち規制するようでは話にならない。

社会主義国家ではあるまいし、みんなが「そこそこ」を目指して、「そこそこ」に満足するような社会でいいのだろうか。経済全体の活力を考えるうえでも、おかしな路線だと思う。

寄付金をめぐる現状は、資本主義、自由経済体制を選んだはずのわが国の歪みを象徴しているような気がする。

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