2008年7月8日火曜日

スケベ心とSM


色を好むのは英雄ばかりではない。男なら誰だってスケベ。スケベ心の源が繁殖目的である以上、スケベでない男は、バイタリティーや活力に欠けるダメな生き物かもしれない。

だいたい、コウノトリに運ばれてきた人間など私の周りにはいない。誰もがエッチな行為を経てこの世に誕生したのだから、男だけでなく、女性だって同じようなものだろう。

さてさて今日は何を書きたくて書き始めたか分からなくなってきた。日頃、スケベ心を全開にしたり、抑制したりと何かと忙しい私だが、いつも思うのは、世の中の大半のことがスケベ心によって影響されているという話。

異性にモテたい。多くの人間が子どもの頃からこんな思いでアレコレ努力する。
容姿、身に付けるもの、趣味嗜好をはじめ、出世したい、カネを稼ぎたいといったモチベーションに至るまで、異性を意識したスケベ心に支配されてしまうことって想像以上に多い気がする。

とくに男の場合、神に誓ってこれを全否定できる人がいたら、私はその人の弟子になって修行したい。

世界中どこでもどんな分野も似たりよったりかもしれない。そう考えるとスケベパワーが世界を牛耳っているわけで、つくづく面白くて恐ろしい。

にもかかわらず、世の中では、道徳的観念、宗教的観念、倫理的観点などさまざまなカベがスケベ心にオブラートをかぶせて本質を隠している。それがまた切なくて面白い。

男も女も開けっぴろげにセックスにオープンであることを恥ずかしいことだと刷り込まれている。これこそが営々と続いた文明の凄さなのだろう(ちょっと大げさか・・・)。

女性を口説きたい気持ちがモリモリの時、スケベ心にかぶさってしまうオブラートは実にクセモノだ。私の場合、というか多くの人の場合、「大人だから」、「紳士だから」、「理性的だから」、はたまた「変態だと思われたくないから」というよく分からないオブラートが破れずにスケベ心が鎮圧されてしまう。

「遊びだったらイヤ」とか「お兄ちゃんみたいに思っていたのに」とか、女性からの屁理屈がオブラートになって、そのカベを突破できずに玉砕することもある。

まあ「お父さんみたいに思っていたのに」と言われるようだと、その年齢差自体が犯罪だが・・・。

「そんな人だとは思わなかったわ」、「そんなことする人だったなんて・・・」というトンデモナイ禁じ手によってカベを作られてしまい、敗北することもある。こんなことを言う女性はロクデナシだ。悪いヤツだと思う。男はみんな「そんな人」であり「そんなこと」をしたがる。

そのほかにも「オレは責任をとれるのだろうか」と考え込んで自滅してしまうこともある。

本来、スケベエネルギーは本能的なものであり、四の五の言っても始まらないのだが、四の五の言ったり、言われたりすることで、世界中の秩序が保たれている。

切なくて、もどかしくて、バカみたいだが、社会正義のために必要なことなのだろう。

ところで、いつの頃からか、SとかMの分類が普通の酒飲み話として認知されるようになってきた。

「私ってドSだし・・・」とか「どちらかといえばMなんですう!」とか、やたらと明るいネタとして使われている。

この手のSM話は、性癖ではなく、単に性格を表わす例えとして使われている。とはいえ、間抜けな私は、こういう話をしている女性のS姿やM姿を瞬時に想像してドギドキする。変態みたいだ。

でも、本当のS、本当のMって一般人(私もです)が思っているより遙かにディープな世界に足を踏み入れている。

ホンモノの人々に聞くと活字にできないくらい凄い。ある意味、精神世界の極みにたどり着いちゃったような感じ。

気軽な酒飲み話としてのSM論とは次元が違うみたいだ。

酔っぱらって「私ってSとMの両方をもってるかも~」とかはしゃいでいる女性がいる。それはSでもMでもない。ただのエロです。

ちなみに冒頭の写真は、とあるお店でオサワリオヤジの現場をとらえた報道写真です。

結局、今日は何が書きたかったんだろう。

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