2008年7月7日月曜日

消費税はお金持ちの味方?

20年.人間でいえば成人になる頃合いだ。何かと話題の消費税は今年、法案成立から20年を迎える。

導入当時の大騒動をつい最近のように覚えているから、月日の早さにびっくりする。当時、駆け出し記者だった私は、消費税の施行前後にあちこちの現象を取材していた。

国税庁幹部との会合の席に、当時は物珍しかった携帯電話が用意されていたことが印象的だった。その会合は、確か消費税の施行前日あたりの夕方から行われていたが、国民の間に強烈な消費税アレルギーが蔓延していたため、行政当局のピリピリ感も強かった。

当時の携帯電話は、それこそ携帯するのに大変な大きさで、まさにショルダーバックのようなサイズ。重そうに肩に抱えた末席の国税庁職員が、緊急事態対応のため幹部用に待機。妙に物々しかった。

あれから20年。消費税はすっかり税制の柱のような存在感だが、導入時の印象もあって税制論議の際には、いまだ永田町界隈では“鬼っ子”的な位置付けだ。

いま消費税の税率を上げる上げないの議論が沸騰中だ。遠からず避けられない税率アップよりも、生活必需品への軽減税率とか福祉目的の特定財源化がどうなるかといった部分が、今後の注目点だ。

ところで、消費税アレルギーの話を書いてみたい。制度の特性から当然ではあるが、消費税アレルギーが強いのは低所得者層や零細事業者。高所得者層にとって消費税はさほど嫌悪の対象ではない。

お金持ちと同じ商品を買っても税額が一律なわけだから低所得者層にとっては面白くない。

もちろん、高所得者層は、低所得者層が買えない商品を買ったり、高額な消費行動をするわけだから、支出に見合った消費税を負担している。

一律課税。消費税の特徴であるこの部分は、高所得者層にはウケがいい。クルマを買う場合でも、100万円のクルマと2千万円のクルマを買うのであれば、おのずと消費税の負担額には差が出る。一律課税、一律税率でも充分に所得の違いによる税負担の差が生じるという感覚だ。

高所得者層から見れば、一律税率は充分公平性は保たれている。ところが、低所得者層にとっては不公平に思えるようだ。すなわち、金持ちが2千万円のクルマではなく100万円のクルマを買ってしまえば、自分達と同じ消費税額で済むため、低所得者の負担の苦しさの方が大きいという理屈だ。

公平、不公平というより、“痛税感”の問題がまぜこぜになって話をややこしくしているように思える。

土地の所有者にかかる固定資産税だって、基本的な税率は同じでも、広さに応じて、負担額は変わる。小さい土地しか持っていない人が、大地主に比べて不公平だとは言わないわけだし、一律税率が不公平だとは思わない。

そもそも、所得税や相続税の世界は、累進税率という考え方が当然のように支配している。収入や資産に応じて税率が段階的に上昇する仕組みのことだが、この「当然のような」仕組みこそ疑問を持つべき対象かもしれない。

「富の再配分」という大義名分のもと、たくさん稼いだ人、たくさん遺した人から、他の人より高い割合で税金をとる発想は、どこか罰則的に思える。

極端にいえば、必死に努力して稼いだ人の富が、ぐうたらなプータローにまで配分されるのでは、稼いだ人は堪ったものではない。

自由主義経済、資本主義経済といっても、行き着くところが「富の再配分」とかでは、どこか気持ち悪い。

旧共産圏の東欧諸国では、所得税や法人税に一律課税を採用する国が多いという。なんか皮肉な話だ。

高所得者層が消費税に理解を示すのは、今まで書いてきたような「公平性」が分かりやすいためだ。

ちなみに、だいぶ前だが、日本の税制をすべて一律税率にした場合、税率は7~8%程度でまかなえるという話を旧大蔵省幹部から聞いたことがある。

国民の猛反発を恐れて、消費税の税率引上げをなかなか打ち出せない政府・与党だが、所得税などの一律税率化をセットで打ち出せば、中堅・高所得者層からは、反対どころか大いに支持されると思う。

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