2007年12月28日金曜日

ALWAYS 続・三丁目の夕日

昭和30年代の日本人の姿を描いた大ヒット映画「三丁目の夕日」。続編を見た。吉岡秀隆演じる売れない小説家・茶川が、ひょんなことから一緒に暮らし始めた淳之介と親子以上の絆で結ばれている部分が物語の中心。

これから見る予定の人は、ここから先は読まない方がいいです。

淳之介の実の父親は、成功を収めた企業経営者。自分の跡取りにするため淳之介を連れ戻しにくる悪役として前作に引き続き重要な位置付け。

茶川はオンボロの駄菓子屋を営み、その向かいには堤真一・薬師丸ひろ子演じる自動車整備工夫婦が住んでいる。この三丁目近辺は、まだ道路の舗装も終わっていない豊かとはいえない世界。そこに運転手付きの車で乗り付ける淳之介の父親は、どうしたって悪者イメージ。

茶川との暮らしを選ぶ淳之介。父親は茶川に忠告する。「この子に人並みの生活をさせられないようなら次こそは連れて帰る」。

茶川は必死に小説に打ち込み、文学賞の受賞目前まで行くが結局落選。父親はまた淳之介を連れ戻しに三丁目にやってくるが…。

まあこういう展開に小雪扮する訳ありの美女も絡んで、面白おかしくストーリーが展開される。

今回、淳之介の父親に妙にシンパシーを覚えた。上昇志向の無さをなじり、高いレベルでの教育を説き、時代の趨勢を読んでいる役まわりの彼の発言は、三丁目の住人に対してひとつひとつが嫌みであり憎まれ口でしかない。

住人達からは帰れコールを合唱されるし、立ち去ったあとは「塩をまけ」と言われる存在。でもいちいち彼の発言は正論であり、人情話ばかりで世間の荒波を渡っていけないことを体現している存在でもある。

文学賞を受賞するための工作を持ちかけた男が詐欺師だったことが発覚した際、なけなしの金をくすねられて唖然とする大勢の住人達を前に彼はピシャリと言う。「低級な人間だからそんな低級な詐欺に遭うんだ」。まさに正論だ。向上心を持って強い自負心を持っていなければ言えないセリフだろう。

「金より大切なもの」云々にこだわる三丁目の住人達。そのくせ詐欺師がでっち上げた文学賞の受賞工作に金を注ぎ込む幼稚さは、彼の思考では、理解できるはずはない。

実の息子を連れ帰りたいという願いは息子を救いたいという使命でもあるわけだ。かといって、徹底的に「低級な人間達」を嫌悪しきれていない人間性がチラッと覗くところがいい。

クライマックスで、訳あり女が突然、茶川と淳之介の前に戻ってきて感動の再会となると、父親は、子どもの引き渡しに合意した茶川に背を向け、まさに空気を読んで黙って運転手を促して立ち去る。単にドライすぎる男として描かれていない点が、それこそこの映画の主題である「昭和の日本人像」とリンクして象徴的なシーンになっている。

出たとこ勝負のように暮らす三丁目の住人より、私はその後の父親の人生が見てみたい。

大ヒット映画「踊る大捜査線」が、登場人物ごとにスポットを当て直す、いわゆるスピンオフの関連作品を次々に出しているが、
三丁目の夕日もシリーズ化して、ぜひアノ父親を主役にしたスピンオフ作品を作ってもらいたいものだ。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

オヤジのスピンオフ、観たいですね。
人情を否定することはありませんが、情に溺れて貧乏になることは愚かなことだと思いますね。

匿名 さんのコメント...

オヤジのスピンオフムービー、おもしろそうだなぁ。
金持ち=冷淡=悪 という論法は本当に退屈。どこかのIT成り上がりのように文化のない田舎者は別ですが、通常金持ちはそれに見合うだけの文化的貢献や教養を持っているものです。でも大戦後、ハリウッド映画が描く日本人像、ドイツ人像というのが敗戦国の鬼畜、であったように、資本家、経営者、金持ちというのは、映画の中では労働者の搾取役となる運命にあるのかもしれません。そういう意味ではこのスピンオフ映画で、ラストサムライのようなスカっとした金持ち像が観てみたいです。