2018年1月19日金曜日

上海ガニでフニャフニャする


相も変わらずカニが好きだ。ズワイ、タラバ、毛ガニが三大ガニと呼ばれるが、マトモなカニならどれだってウマい。

カニのための旅だって何度もしてきた。北海道、北陸、山陰、佐賀の有明海沿いまでワタリガニを食べるためだけに出かけたこともある。

個人的には毛ガニが一番好きだが、カニと名が付けば沢ガニだってワタリガニだってヤシガニだって手を出す。


この画像は、12月末に那覇の居酒屋で食べたヤシガニだ。そこそこの味だと知っているのに、メニューにあれば高値でも注文しちゃう。

「そこそこ」なのに、ちゃんとしたフカヒレの姿煮が食べられるほどのコストを払っちゃうのだから物好きである。

ちなみに、私の体温は平熱が36度2~3分である。やや低めだ。一般的にカニは身体を冷やす食べ物だといわれるが、私の平熱問題もひょっとするとカニが原因かもしれない。

さて、今日はカニの中でも中華料理屋さん専属?の上海ガニの話だ。

基本的に淡水系のカニだから味自体は淡白でどうってことない。ミソや白子、内子といったオトナ好みのパーツこそがウリである。

そして、料理王国・中国だけに、俗に酔っ払いガニと称する紹興酒や老酒に漬け込んだ一品は、やはりタダモノではない。

冬のお楽しみである。それこそ温めた紹興酒とセットで味わえばフニャフニャした気分になれる。


ミソやら白子やらが酒の味をまとって口の中を幸せにしてくれる。ジュジュジュワ~ンって感じ。

この日、訪ねたのは神保町にある「全家福」。上海ガニをさまざまなアレンジで楽しませてくれる店だ。

酔っ払いガニの応用編のような「山椒、白酒漬け」や「にんにく塩漬け」といった珍しい食べ方も楽しめるので、少しずつアレコレ注文するのが正解だろう。姿蒸しもほぐしてくれるからラクチンだ。



この時期は上海ガニコースもいろいろ用意されているが、私の場合、野菜炒めみたいな余計なモノが出てくると興ざめなので、単品でちょろちょろ頼みたくなる。

この日、とくに感激したのが「上海ガニミソチャーハン」だった。しっかりカニ味噌のコクが感じられてウマ味たっぷり。パラパラ加減もバッチリだった。


カニ好きであり、ミソなどの珍味を愛し、かつまた生粋の”タンスイカブラー”である私にとっては、金銀財宝を頬張っているような感覚である。

こういうものを食べて太るのなら、ペヤングを食べて太るよりも、何となく、いや確実に罪が軽いように思える。

ちなみにこの店の黒酢の酢豚も非常に美味しい。単純明快にウマいだけではない。何が嬉しいって野菜類が一切入っていない。これはファンタスティックなことだ。


彩りのためだけにウマくもないピーマンやニンジン、ヘタするとパイナップルまで混ざっている酢豚に敵意を剥き出しにしてしまう私にとっては、神対応に思える。

結局、カニの話のはずが単なる野菜嫌いのワガママ話になってしまった。

2018年1月17日水曜日

悩めるお年頃


男性にも更年期障害がある話は聞いているが、潜在患者数は600万人にものぼるらしい。

年明けからずっと体調がイマイチだから、ついつい余計な心配をしてしまう。辛気くさい話でスイマセン。

年末から風邪っぽく、年明けから咽頭炎と扁桃腺炎でぶっ倒れ、ようやく快復したと思ったら、この前の週末は突然の胃腸炎でまたしても寝込んだ。

長々と調子が悪いと、つい考えたくなるのが加齢問題である。80歳、90歳でも元気ハツラツの爺さん婆さんが闊歩するのが今の時代である。

50歳そこそこでグダグダ言うのもシャクだが、そうは言っても人生には何度かの身体の変革期があるのも確かだ。加齢の階段である。

おそらく、今の私は「中高年」というジャンルの「中年」から「高年」に移り変わる端境期にあるのだろう。

昨年あたりに実感したのが視力の衰えと白髪の増え方である。両方とも何年も前から始まっていたが、ここ1年ぐらいで加速度的に進んでいる。

なんとなく身体の奥の方から「いいかげんに自覚しやがれ」とサインを送られているような感覚がある。

胃腸炎なんて今までなったことはなかったし、風邪っぽい感じも若い頃より長引くようになった。

きっと身体はこれまでもあれこれとサインを発してきたのだろうが、鈍感な私が気付いていないことが多いのだろう。そのせいで、身体からのサインが強力になったのかもしれない。

先日、ネット上で見かけた男性更年期障害を診断するページを試してみた。数多くの項目が用意されており、それぞれ5段階ずつ自分の状況を選び、トータルのポイントで重症度を測るというシロモノだ。

残念ながら結果は「重度の恐れアリ」と出やがった。まあ、ああいう診断は不安を煽って何かに誘導するのが狙いだから、真に受けてもしょうがない。でもちょっとシャクである。

大事なのは改善策や予防策である。「ストレスを貯めない」とか「適度な運動」とか猿でも分かるような話ばかりで面白くなかったが、参考にしたくなる予防策もあった。

「女性と腕を組んで歩く」のが良いらしい。要はドキドキすることが男性ホルモンを刺激するんだとか。

腕を組まれたぐらいでドキドキはしないが、ワクワクぐらいは感じる。美女達に両方の腕を左右から組んでもらえばドキドキして私の男性ホルモンは活性化するはずだ。

頑張らないといけない。

いや、ドキドキすることが大事なら、腕組みよりも“実戦”だろう。スケールアップしたドキドキを実現するためには、自分を律して心を鬼にして、超絶的な変態プレイに励んだほうが手っ取り早いだろう。

軌道修正。

腕組みと共に更年期対策として紹介されていたのが「カラオケ」である。歌うことが身体に良いという話ではない。あくまで「人前で歌う」「拍手を浴びる」といった体験がホルモンを活性化させるそうだ。

だから一人カラオケではダメである。見知らぬ人もいるカラオケスナックあたりが効果的だろう。

そう考えると、わがオジサマバンド活動は更年期対策にもってこいという理屈になる。

人前で歌うわけだし、拍手どころかヤジや紙テープまで飛んでくる。きっとあの瞬間の私のホルモンは煮えたぎっているはずだ。モツ煮みたいだ。

昨年のライブでオリジナル曲を披露したことで調子に乗って、友人と新たな曲作りの構想を練っている。

ド演歌的情念の世界を描いた詩を書くのが私の夢だが、いざ挑戦しても薄っぺらい言葉しか出てこないのが悩みである。

捨てられた女性の恨み節として「死んでくれたらいいのに」というフレーズをサビに盛り込んだ詩を作っているのだが、前後の言葉がなかなかつながらない。

まあ、こんなことで悩んでいられるうちは更年期障害の心配はないのだろう。

2018年1月15日月曜日

犬の話

今更ながら今年の干支は犬である。最近は猫派に押され気味だが、私は昔から犬派だ。猫はどことなくアザとい感じがする。

子犬と子猫だったら断然、子犬のほうが可愛いと思う。猫好きの人には申し訳ない。あくまで個人的な意見です。

私がまだ幼い頃、家に大型犬がいた。コリーだったと思う。名前はペッグである。「ローマの休日」のグレゴリー・ペッグが命名理由。

いつもベロをゼーゼー出し入れしている姿が印象的だったから、グレゴリー・ペッグみたいに格好良くはなかった。

その後も犬を飼いたいと思ったことはあったが、ちゃんと世話をする自信がなかったから飼えずじまい。結局、インコや亀ぐらいしかペット経験が無い。

私のように思い立った時に旅行に生きたがるようでは、なかなか犬は飼えない。旅に出る意欲が衰えた老後になったら考えよう。

一応、犬好きだと自認しているのだが、SNSなんかで怪獣にしか見えないような人様の飼い犬のアップ写真を見せつけられるとオヨヨな気分になる。

そんな偏屈オヤジみたいなことは書いてはいけない・・・。

「犬も歩けば棒に当たる」。かるたでもお馴染みのことわざだ。もともとは、余計なことをすると災難に遭うという意味だが、今では逆の解釈でも使われる。

すなわち、積極的に行動すれば思わぬ幸運に恵まれるというニュアンスだ。捉え方がポジティブに変わっていくことは悪くない。

犬といえば、今でこそ飼い主との絆や癒しの部分がイメージされるが、わが国にペット文化が定着するまでは、役立たずな厄介モノという位置付けだった。

5代将軍綱吉が例のアホバカ法令によって犬を過剰に保護した一時期を除き、犬の地位は今のように高くなかったわけだ。

罪人のおでこに「犬」という入れ墨が入れられたという話を聞いたこともある。ホントだとしたら凄い話だ。

考えてみれば入れ墨を刑罰に利用するのは今の時代だって大いにアリかもしれない。

再犯性犯罪者なんか世の中に放置したら危なっかしいから、おでこに「淫」とか「痴」といった入れ墨を入れちゃえばいいと思う。

話がそれた。犬がディスられていた話だった。まあ、野犬だらけだった時代背景を考えればそれも当然だろう。

実際に犬食文化は日本でも珍しくなかったようだし、牛や馬みたいに農作業の役に立つわけではなかったから、犬は小馬鹿にされる存在だったわけだ。

「犬畜生」、「犬死に」、「負け犬」、「犬も食わぬ」といった言い回しを始め、「獄」、「厭」、「哭」、「獣」など単独の文字にしてもマイナスイメージのものがいくつもある。

今とは大違いである。ちょっと大げさかもしれないが、そう考えると、世の中の常識や価値観の脆さを象徴しているのが犬のイメージなのかもしれない。

新年の1月。誰もが新たな気持ちで前向きな変化に期待を寄せる時だ。変化を邪魔するのは凝り固まった価値観だ。それが停滞を招く元凶になる。

犬の1年は人間の7年に相当するらしい。そう考えると、変化を恐れて停滞することは実にもったいない。

と、犬をマクラに柔軟に変化することが大事だと説教くさいことを書いてしまった。ちょっと強引な論法で失礼しました。

そういえば、うさん臭い人々が得意になって使っていた「ドッグイヤー」という言葉も今ではすっかり使われなくなった。

怪しげなカタカナ言葉を得意になって使うと薄っぺらい印象しか残らないわけだ。

なんだか今日はまとまりのない話に終始してしまった。

体調不良の後遺症かもしれない。



2018年1月12日金曜日

沖縄そばの魔力


「そば」と言いながらラーメンやうどんに似た独特の麺が特徴なのが沖縄そば。

以前からネット通販で取り寄せたり、物産展で購入したりと私の中では割と身近な食べ物である。

とはいえ、私にとっての沖縄そばは、あくまでソーキ(豚のアバラ肉)が主役。正直、トッピングの無い状態で食べたいとは思わない。


沖縄に行ってもワガママが言えそうな場合には、ソーキを大盛りにしてもらう。紅ショウガもたっぷり入れて、ジャンクな“肉麺”として味わう。

唐辛子を泡盛につけ込んだ調味料「コーレーグース」もドバドバ投入する。繊細な味にこだわる人には申し訳ないが、そんな食べ方だから、どこで食べても似たような味になる。

だからハズレがないという見方もできる。名店のこだわりスープを飲んでも、コーレーグースの入れすぎで味がよく分からないのが問題である。

年末に目的もなく沖縄に行った。予定がないから陶器の店を覗くか、散歩するか、酒を飲むか、ソーキそばを食べていた。


「琉球麺屋かりゆしそば」という店で食べたソーキそばである。ウマそうなそばが運ばれてきたのだが、カウンターにお決まりの紅ショウガが無い。これは事件である。慌てる。

よく見ると大きなボトルに普通のおろしショウガがてんこ盛りに用意されていた。いくら取り放題といえども「ソーキそばには紅ショウガ」と決めつけている私にとってはビミョーだ。

しかし、食べてビックリ。おろしショウガが妙にウマい。ソーキにも合うし麺にもスープにも合う。ドバドバ入れてしまった。

最後のほうは辛くて大変だったが、考えてみれば、紅ショウガが合うものなら“紅”じゃなくても構わないはずだ。

今度、牛丼や冷やし中華でも試してみようと思う。


この画像、人の家ではない。「すーまぬめぇ」という大人気そば屋の店先である。那覇の繁華街から遠く離れた住宅街にある。いそいそと行ってみた。

画像が上手に撮れなかったのが残念だが、人気店だけあって絶品だった。コーレーグースをあまり使わなかったから実に完成度の高い味だったのだろう。


ソーキとてびち(豚足)に三枚肉が載っている一品を頼んだが、どの肉も味付けが優しかった。スープも旨味タップリで全体に丁寧に作られている印象だった。

つけあわせにヨモギの葉っぱが別皿に盛られてくるのだが、野菜嫌いの私がちぎりちぎりトッピングしたぐらいだから健康志向の人にもオススメの店だった。

ソーキそばばかり食べていたので、ちょっと目先を変えてみようと試してみたのが「焼きそば」である。

縮れ麺の沖縄そばを使った焼きそばは麺の食感が独特でウマい。正統派沖縄そば店には置いていないから、ジャンルで言えば確実に定食屋系ジャンク料理である。


今回訪ねたのは壺屋にある「丸安そば」。乱雑でディープな店である。デートで使われることはないと思われる店。タクシーの運転手さんに人気があるらしい。

いやあ、なんとも素晴らしい一品だった。ウマいマズイという論評の外に存在するかのような輝かしい一品だ。

半熟卵をつぶして麺と絡めると濃いめの味が中和されて何ともウマい。男なら大好きな味だと思う。

混沌とした公設市場を抜けて、東南アジアの鄙びた路地のようなエリアの先にある店なのだが、味わいもそんな感じ。

オシャレに紹介されがちなガイドブックとは別次元の沖縄がそこにあった。那覇に行ったら立ち寄りたい店がまた一つ増えた。

2018年1月10日水曜日

星野さん 欅坂46


そこそこ長く生きていると、ひょんな場所で著名人とすれ違うことがある。

芸能人、スポーツ選手、政治家などジャンルはさまざまだが、強く印象に残るのは、すれ違いざまに感じた「風圧」である。

香港でジャッキーチェンと偶然すれ違った時の風圧は強烈だった。大柄なボディガードに左右を囲まれていたのに、小柄なジャッキーが発するオーラはパワフルだった。

それと同じような「風圧」を感じたのが、先日亡くなった星野仙一さんだ。かれこれ30年近く前だろうか、評論家時代だったと思う。

なぜか代々木駅近くの道端ですれ違った。別に肩で風切って歩いていたわけでもなく、睨まれたわけでもないのに、すれ違いざまに目が合った時の「風圧」は強烈だった。

エネルギーの塊みたいな人。そんな印象だった。彼が40代前半ぐらいの頃の話だ。

別な時、元巨人の江川となぜか目白の外れの住宅街の路地ですれ違ったことがある。同じように彼が40代前半の頃だ。星野さんとはまったく逆の印象だった。

もちろん、たまたま一瞬すれ違っただけだから、人様の印象をどうこう言えるわけもない。江川はこっそり不倫相手の家から出てきたところだったのかもしれない。

それにしても星野さんの追悼番組が名古屋や大阪でしかやらないことが不思議かつ残念でならない。

話は変わる。

実は年末から10日間も酒を飲まなかった。こんなことは中学生の頃以来の珍事である。

年末に沖縄に出かけてホゲホゲしていたのだが、旅の途中で風邪っぽい感じになり、大晦日に帰宅した際もダルさが抜けずにビールすら飲まずに寝た。

元日に頑張って実家に顔を出したが、クルマだから飲まず、帰宅後から熱が出始めて、2日、3日ともに寝たきり。

4日から大発熱。5日にインフル検査で陰性と判定されるも、扁桃腺炎と咽頭炎がダブルで襲ってきた感じで完全ダウン。

予防接種もしてあったから、インフルエンザのほうがよっぽどラクだったと断言できるほどヘロヘロになった。

結局、5日の仕事始めに出社できず、その後の3連休もうなりっ放し。連休明けの9日の昼にようやく出社する始末。

アルコールを抜いたものの、ずっといろいろな薬を飲み続けたから私の肝臓はきっとヘロヘロになったのだろう。

解熱剤が効いている時間帯はテレビばかり見ていた。溜まりまくっていた録画番組を見尽くす。

BSで3日連続で放送されていたゴッドファーザー3部作をぶっ続けて見られたことは悪くなかった。

ビタミンC、プロポリスをはじめとする数多くのサプリを飲み、毎朝欠かさずクソまずい野菜ジュースを飲み、青汁も欠かすことなく飲み続けた結果がこの始末である。

サプリも青汁もぜんぶ辞めてやろうかと思っている。

いや、あいつらのせいで、この程度の症状で済んだのかも、、という情けない考えも頭に浮かぶ。

いやいや、何だかんだいって10日間も連続で体調不良が続いたことは、さすがに記憶に無い。

今年の厄落としとなったのだろうか、それとも暗黒の年になる予兆なのだろうか。

ひとり高熱と闘いながら「僕はイヤだ!」と欅坂46のように叫んでいた。

平成最後の正月の哀しい話である。

ということで今年もよろしくお願いいたします。

2017年12月29日金曜日

閲覧数ベスト10


ブログを始めて10年、はじめの頃は仕事絡みのSEOみたいな動機もあったが、今では単なる個人的な日記感覚で書き殴っている。

書くことのメリットは頭の整理である。着地点を決めずに書き始めたテーマでも、書いているうちにそれまで気付かなかった自分の考え方が浮き彫りになったりして結構楽しい。

そんなことを言うと、さぞ高邁な話ばかりのようだが、あくまで「とっつきやすい話」だけを書いている。

ネットの浸透によって一億総評論家時代といわれるが、素人が得意気に書く知識のひけらかしや持論のおっつけほど読んでいて退屈なものは無い。

そう言いながら、私自身も結構ウザったい持論を展開しているから、もっとケッタイな話や笑えるような話を仕入れないといけない。

ホントはもっと下ネタ寄りに舵を切りたいのだが、私の中の何かが邪魔をする。

「まっとうな人」だと思われたい邪念のせいで、突き抜けることが出来ない。つくづく“凡人の限界”を感じる。モノを書くことの難しさである。

まあ、難しいから楽しいとも言えるが・・・。

さてさて、年末に目新しいこともないので、今日は当ブログの今年のベスト10を紹介したい。

ブログの閲覧数にはそれなりの法則があって、一つの分野に特化した上で知名度の高い固有名詞を中心にするとヒット数が増加する。

このブログとは真逆である。脈略はまるでないし、固有名詞もさほど多くない。つまり、閲覧数という意味では、ちっとも頑張っていないわけだ。

それでも10年も続けていると、有難いことに読んでくれる人が結構な数にのぼる。通勤電車の中、トイレの中、寝る前のひとときなど、決まったサイクルで読んでいるという声をアチラコチラから教えてもらった。

今年も150回近くアレコレ書いたが、一番閲覧数が多かったのが「ふるさと納税」に関するものだ。

★ふるさと納税 ヘンテコだけど

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2017/11/blog-post_24.html

世間一般での関心が高くなる12月に入ってからヒット数が増え、また、文京区の取組みについて書いたことを関係者がシェアしたことも後押ししたようだ。

続いては、お寿司屋さんの話。

★目白 鮨 おざき

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2017/07/blog-post.html

これは、「固有名詞」が閲覧数を増やしたパターンだ。新規開業のお店だったから、近隣エリアの人などがネットで店名検索した際にヒットしたのだろう。

続いては待望?のエロ話である。


★暇な女子大生にエロを学ぶ

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2017/05/blog-post_17.html

こちらも一種の固有名詞効果だろう。「暇な女子大生」というツイートが人気を集めたから、それを検索した人達の眼に触れたようだ。

ちなみに「暇な女子大生さん」は、その後、主な発信をツイッターではなく、某Q&Aサイトに移して、今では若者の間でカリスマのようになっている。

トップ3の他は順不同で紹介する。

★女性の図太さ 工作員

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2017/03/blog-post_3.html


★トランプさんと資産公開

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2017/01/blog-post_27.html


★パパは最高なのか

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2017/10/blog-post_6.html


★男酒

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2017/06/blog-post_21.html


★クルマと色気

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2017/09/blog-post_13.html


★夫婦の絆

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2017/06/blog-post_28.html


★不倫と社会 モテない人

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2017/04/blog-post_5.html


今年は世間の関心が不倫方面に突っ走っていたから、不倫や夫婦関係の話が関心を集めたのかもしれない。

私としては、女性のお尻話やバニーガールの話などが上位に入らなかったことがちょっと残念だ。

というわけで、今年もありがとうございました。皆様にとって心穏やかな年末年始になりますよう祈念しております。

来年は1月10日から更新する予定です。

2017年12月27日水曜日

頭の悪さ


人生後半戦における大きな課題は「固定観念との戦い」だろう。

中年にもなればそれまでの経験を糧に、わずらわしい世の中を何とか渡っていけるようになる。

経験がもたらしてくれるのは余裕や自信などだが、その一方で経験に縛られちゃって頭が固くなるのが困りものである。

「こうあるべき」「こうじゃないとダメ」みたいな思い込みや先入観が無意識のうちに強まってくる。

仕事への取組み方や人付き合い、趣味のこなし方に至るまで思い込みの弊害は結構メンドーなものである。

一歩間違えたら偏屈ジジイになってしまう。気をつけないと人生が退屈になりそうだ。

かくいう私も、あらゆる分野で思い込みや固定観念に影響されている。天ぷらを「お塩でどうぞ」と言われても天つゆを使うし、靴を履くときはナゼか左足からと決めている。

変な例えになってしまった。

クルマを運転していても、近道があるのに好きな道ばかり通る。仕事で原稿を書く際も締切ギリギリになったほうが良い仕上がりになるというヘンテコな因習に縛られている。

カップ麺にお湯を入れる時も表記されている待ち時間の半分以内で食べ始める。そのほうがウマいと信じている。アルデンテ万歳である。

このスーツにはこのネクタイ、このネクタイにはこのワイシャツといった自分の中での「決まり」に疑問を感じることもない。

お洒落な人が上手に組み合わせて着回しているのを見ると、自分のセンスの無さを痛感する。いや、センスというより頭の固さが問題なんだろう。

お寿司屋さんに行っても、「最初はツマミをあれこれ食べて最後に握りを食べる」という固定観念に支配されているので、結局、握りまでたどりつけないことが多い。

つい最近になってツマミの合間に握りを食べるように努力するようになった。その程度のことですら私にとっては革命的な変化だ。

柔軟性が無いってことは、ようするに頭が悪いのと同じ意味かもしれない。残念だ。

女性と一戦交えるときは、常に臨機応変に斬新なワザや道具を駆使?できるのに、なぜ他の場面ではダメなんだろう。

ついでに言えば女性の好みに関しては、昔のようなこだわりは無くなった。細め、太め、猫顔、犬顔、何でもOKである。こればっかりは自分の固定観念や思い込みを打ち破ることに成功しているつもりだ。

単なる女好きなどと言わないでもらいたい。。。

軌道修正。

「男はこうあるべき」「家庭はこうあるべき」みたいな根拠の無い思い込みが強いせいで、結局いまの私はしがない独り者である。

なんだかなあ~と溜め息が出る。まあ、こんなことで溜め息をついちゃうこと自体が固定観念に縛られている。反省。

「再婚しないのか」「誰かと暮らす予定はないのか」と頻繁に聞かれるのもウザったい。

中高年のシングル生活を「普通ではない」と決めつけるような世間様の固定観念も何とかして欲しいものだ。

なんだかボヤキと愚痴ばかりになってしまった。

まあ、いまさら大転換するのも難しい。目玉焼きは絶対にソースで味わい、冬でも冷やし中華を愛し、お燗酒は熱々にして、ご飯を炊くときの水分量は目盛りの75%を厳守する生活スタイルは変えられない。

なんだか話がトンチンカンになってしまった。

年の瀬はなんとなく自省の心というか、1年の反省点ばかりが頭に浮かぶ。そんなことを殊勝に考える機会は今ぐらいだ。思えば懺悔したくなることばかりの1年だった。

新しい年は固定観念に縛られないよう、柔軟に、かつ真面目に過ごしたいと決意している。