2017年11月22日水曜日

カマキリ先生もやってきた

6年連続での開催となった我がオジサマバンドのライブが無事に終わった。このブログをきっかけにご来場された方々にもこの場を借りて改めて感謝いたします。

何度やっても独特の緊張感は無くならない。数日前から変に緊張して心がザワザワしていた。

ライブ前日の夜は急きょメンバーの一人を強引に誘い出し、ギター持参でカラオケボックス。

練習らしき時間は20分ぐらいで残りの3時間ぐらいはウダウダ飲んで過ごす。おかげで前日のモヤモヤが薄まりグッスリ眠れた。

ライブ当日は、午前中に子どもの学校行事。バタバタしたおかげで気が紛れる。午後から会場入り。打ち合わせ、リハーサルで忙しく緊張する暇なし。

お客様が集まり始める17時頃にようやく一息。開演は18時だ。この1時間が魔の時間である。緊張で地に足が付かない感じ。

楽屋でウイスキーをストレートで飲む。不思議と酔わない。終わってみれば逆にこの時間が面白かったという印象もある。普段の暮らしの中では味わえない変な感覚だ。


今年は二部制のステージ構成で、私のメインは第一部。第二部では最後の2曲だけ合流する段取りだった。

第一部は我が同級生二人と20代前半の私の姪っ子で構成。姪はピアノ、バイオリン、ギター、の三刀流の他にコーラスでもオジサマ達をサポート。若者にとってはブラック労働である。

「スタンドバイミー」のような渋めのアレンジにした「サントワマミー」で開演。例年以上にお客様が暖かかったのが嬉しい。

毎年しゃべりすぎる私のMCも今年は抑え気味にした。でも思った以上にウケも良く、大いに気持ちよく楽しませてもらった。

“カマキリ先生”こと有名俳優のK君も来てくれた。事前にMCでイジりまくることも快く承諾してくれたのでアレコレとネタにさせてもらう。

場の盛り上がりに大いに協力してもらった感じだ。彼は謙虚ないいヤツだから、終演後の打ち上げにも付き合ってくれた。

お客さんからの写真撮影にも笑顔で付き合っていた。立派だ。私としては、仲介役みたいな顔をして撮影1枚に付き100円ぐらいクスねれば良かったと後悔している。

肝心の歌のほうは例年よりは安定した音程でこなせたと思う。喉管理に気を使い、ストレッチもしたせいだろうか。

オリジナル曲も2曲披露した。自分達で作った曲を120~130人もの有料で来てくれた皆様の前で演奏するのは図々しいことだが、とても良い曲だから許してもらおう。自画自賛である!

オリジナルの一つは今年の春に急逝した友人を偲ぶ歌だ。わがバンドメンバー達の旧友だ。

私の詩にメンバーの一人が素敵な曲を付けてくれた。当日はカマキリ先生以外にもヤツの同級生が30人ぐらい来てくれていたので、追悼の思いで心を込めて歌った。

歌いながらちょっと泣きそうになった。正直に言えば少し涙が出た。あそこまで感情を込めて歌を歌った経験は人生で初めてかもしれない。同級生以外のお客様にも泣いている人がいたから、しっかりと想いを表現できたのだろう。

私にとっては「泣き笑い」というその曲が今年のハイライトだった。無事に歌い切れて嬉しかったし、何かを“消化”できたような気分になった。

歌の力って凄いと思う。日本人は古来から言葉に宿っている不思議な力を「言霊(ことだま)」と呼ぶが、歌には言葉以上に特殊な力があるような気がする。

別にスピリチュアルな話をするつもりはないが、歌魂(うただま)とも言うべき不思議な力があるのは間違いないと思う。

それにしても今年の会場の盛り上がりはちょっと普通じゃなかった。初めて来ていただいた方の多くが驚いていたが、演者である我々も正直ちょっと驚くぐらいのノリだった。


有難いことである。歓声の大きさでメンバー同士の微妙な演奏のタイミングをハズしそうになったぐらいだからビックリである。

世の中、オヤジバンド活動に励む人が増えているが、私自身、過去5回のライブで学んだことは、演者の独りよがりでは会場全体の一体感は生まれないということだ。

そういう意味では今回のライブは大成功だった。会場内の一部だけが盛り上がるわけでなく、全体でウェイウェイ?してくれた。本当に有難かった。

お客さん目線でのステージ構成の大切さを改めて痛感した。まあ、そんなエラそうなこと言いながら、誰も知らないオリジナル曲を披露しちゃうあたりが私のテキトーなところでもある。

そんなもんだ。

来年以降どういうスタイルで続けるかはまだ決めていないが、やる以上はみんなで合唱できるような歌を多めに選ぼうと思う。

2017年11月20日月曜日

謎の占い 謎の整体


このところ富豪っぽい話をちっとも書いていない。体重調整をしていたせいで、暴飲暴食はもちろん、楽しい場所でウェイウェイしていないせいだ。

その代わり、謎の占い師を訪ねたり、謎の整体師に身体のバランスを整えてもらうなど、寄る年波に沿った行動に励んでいた。

謎の占い師さんとは5年ぐらいの付き合いになるだろうか。3ヶ月に1度の割合で、ほぼ雑談ながらアレコレとみてもらっている。

易や方位、四柱推命みたいな一般的なものに加え、その占い師さん独自の不思議な霊感的な能力をハイブリッドした占いだ。

私が持つスピリチュアル的な部分と占い師さんの持つ波動みたいなものが衝突して、不思議な現象が起きたこともある。

うさん臭いと言えばうさん臭いのだが、まあ、世の中の多くのことがそもそもうさん臭い。

霊感的なものを信じるかどうかは人それぞれ。私自身は40%ぐらい信じている感覚だ。やはり全面的に信用して依存しちゃうのは問題だ。

当たるも八卦、当たらぬも八卦という言葉通り、占いで言われた話に過剰反応するのは避けたい。“オイシイとこ取り”感覚で接した方が賢明だ。

以前から、その占い師さんには私の住まいが重度の「隠居の家相」と言われている。確かに家でグダグダするのは好きだし、それがまた妙に快適なのは事実だ。

恋人も出来ないし、新しい発想も出ないし、活力も湧かない。隠居の家相だとそうなるらしい。子どもだったら引きこもりになっちゃうそうだ。

そんな話をいちいち信じていたら堪ったものではないが、思い当たるフシが無いわけでも無い。

思えば昨年はやたらとまっすぐ家に帰りたがってボケ~っと無気力に暮らしていた。自分でも隠居の家相が原因かと思い込んでいた。

とはいえ、今年の私はかなり元気ハツラツで、昨年と比べれば活発に動いた自覚がある。占い師に言われたネガティブな話を信じ込んじゃうことは時にマイナスになる。

というわけで、隠居の家相なんて関係ないぜと占い師さんに反論してみたが、さすがに向こうもプロである。

私の顔をしばし凝視する。そして、最近の私がむやみやたらに心配事を多く抱えていることを指摘しはじめた。

で、「必要以上に心配する心理状態は隠居ジイサンと同じ」だと切りかえしてきた。

屁理屈みたいな話ではある。でもちょっとは気になる。来年は引っ越しを考えているので、結局、方位や家相を気にするハメになりそうだ。

ちなみに、どうでもいい話だが、占い師さんによると、私はかなりの「面食い」なんだとか。そりゃあ間違ってはいないが、逆に面食いじゃない人なんていないはずである。

結局、占いってそういうことなんだろう。

話は変わって、謎の整体師である。これまた不思議な話で、ギコギコ、グリグリみたいなことはほとんどせずに、スリスリしたり、トントンするようなよく分からない力で身体のバランスを整えてくれる。

施術前に2台並んだ体重計に片足ずつ載せて左右どちらかに体重が偏っていないかがチェックされる。たいていはバランスが崩れている。

施術後に再度同じように測ると左右の重量バランスが均等になっている。結果が目で見えちゃうから素直に効能を信じるしかない。

その昔、腰痛がヒドかった時に直してもらったことをきっかけに時々通っている。最近もカカトが痛くてうまく歩けなくなった時も2~3回通ったら痛みが取れた。

先日はオジサマバンドライブに向けて身体のバランスを整えてもらった。面白いもので施術後は視界がスッキリと広がり、歌う際の音程も狂いにくくなる。

こっちは霊感とかそういう系ではないが、ある意味、似たような部分もある。つまり、思い込みである。

「施術してもらったから大丈夫」「きっと音程を狂わさずに歌える」。気持ちなんてちょっとしたことで前向きになる。

健康診断を受けただけで気分がスッキリするのと同じだ。

占いやカウンセリング、整体に至るまで、そんなポジティブシンキングにつながるなら面白がって使ってみるのも悪くない。

2017年11月17日金曜日

父と娘 イラスト

親バカで何が悪い。居直る際に私がよく使う言葉だ。高校生の娘との関係が良好なことが私の人生を支えている。

親バカ話をうっとうしく思う人には恐縮だが、今日はそんなテーマを書いてみる。

親離れならぬ娘離れを考えないと、老後がヤバいだろうと自分でも思っている。

成長するにつれて娘は自分の世界が広がってくる。親を構ってくれるのも時間の問題だ。

最近は、恋愛話も相談してくるようになった。父親がアバンギャルド?な高校時代を過ごしたと思っているようで、やたらと男目線、男心理を尋ねてくる。

母親には言えないそうだ。普通、年頃の女の子なら恋バナは母親が相手だから少し異質かもしれない。

でも、そんなテーマにまで父親を頼ってくれるのは有難い。こっちも頑張ってザワザワする気持ちを隠して、豊富な実体験?に基づくアドバイスに励む。

相談に乗るからには綺麗事だけではダメだ。中途半端に諭したところで子どもの心には刺さらない。

だから時にはキワドイどころか、そのものズバリの話も臆せずに話す。酒場でワイ談に励んでいる時は凄く楽しいのに、娘相手の場合は正直キツい。

でも高校生である。本音で勝負である。自分が高校生の時に思っていたこと、感じたこと、やっていたことを冷静に考えれば、その目線になって接するしかない。

まあそれはそれで幸せなことである。

別々に暮らすようになって5年。今の良好な関係を思うと自分の選択が間違っていなかったと信じることが出来る。それだけで有難い。

有難く感じるせいでついつい甘甘な接し方をしてしまうのが私の弱点である。そこを逆手に取るぐらい娘はトッポくなった。それ自体が成長だ。

話は変わる。ネットの世界で見かける父と娘を描いたイラストが大好きだ。見たことがある人も多いと思うが、実に素敵な関係性が描かれている。

せひ見ていただきたい。


3番、4番、5番のイラストが特に好きだ。
娘が幼い頃、散歩中にやたらと肩車をせがまれた。おまけにそのまま眠ってしまい、私の頭がヨダレでデロデロになってことが何度もある。

いまどんなに仲良し親子でも、あのシーンはどうやっても再現できない。私の人生における大事な一瞬だったとこの歳になって痛感する。

ウチに泊まりに来ればいまだに私と同じベッドで寝たがる。5番のイラストのように私は端っこで眠る。

でも、それも時間の問題だろう。縮こまって寝ていたことが懐かしい思い出になる日も遠くない。

明日に迫った我がバンドのライブには友達を連れて来るようだ。義理で渋々来るなら友達を誘うはずもない。ステージではせいぜいカッコつけてオッサンみたいな言動は控えようと思う。


今日は、父と娘を描いたイラストを紹介したかったせいで、つい親バカ話を熱く語ってしまった。

2017年11月15日水曜日

体重を落とす方法


6キロほど体重が落ちたのに誰にも気付かれない。「分母」がデカいから仕方がない。この1ヶ月、真面目に体重調整に励んだ結果だ。

人に気付かれなくても自分ではちょっぴりラクチンになったから良しとしよう。

6キロのおもりを身体にくっつけていたわけだから、さすがに少しは軽くなった。歩いているぐらいでは感じないが、階段の上り下りがちょっと軽快になった。

娘に「少しは腹を引っ込めろ」と言われたことがきっかけだからアイツには感謝しないといけない。

誰かの参考になるかは分からないが、この1ヶ月の節制について書いてみたい。

ポイントその1。運動はしない。普段の生活を変えてまで節制するのはシャクである。運動っぽいことは休みの日に散歩したぐらいである。

ポイントその2。朝はドカ食い。これは以前と変わらずキープした。当然、炭水化物がメインである。


とある週末の朝なんて、わざわざ「なか卯」に行って特盛りの親子丼と牛丼を買ってきた。店で二つ並べて食べるには少々恥ずかしいのでテイクアウトである。

ご飯は少し残したが、こんな息抜きも取り入れながら体重をちょっとずつ落としたわけだ。

昼はもともと食べない。でも、以前は小腹がすいたら煎餅やお菓子をちょろちょろ口に入れていたが、この1ヶ月それもやめてみた。

問題は夜である。酒は飲みたい。サラダみたいな草だけで我慢するのもイヤだ。何となく負けた気がする。

そんなワガママのせいで、やたらとお寿司屋さんに行ってしまった。いくつかのワガママを言える店にお世話になった。

ヤボを覚悟で握りは一切食べず、揚げ物も食べず、味が強めの珍味類をいくつか用意してもらい、日本酒も我慢して焼酎だけをグビグビ飲んだ。


刺身もほんの一切れ程度で我慢した。あとはやたらとカニを食べた。カニはほぼ水分みたいなものだから優雅な気分?を味わいながら体重が落ちる。

珍味類は、スジコ、イクラ、タラコなどの魚卵系やアンキモや白子みたいなチビチビつまめるものばかりで過ごした。

こちらはワカメどんぶり?である。ワカメをドッサリもらって腹を膨らます作戦だ。ワカメだけでは寂しいから白子をトッピングしてもらう。白子も1個か2個を細切れにしてもらう。


白子ポン酢に添えられているワカメのほうを10倍ぐらいにしてもらうわけだ。これはオススメ。チビチビとつまみを口にするだけだと欲求不満になるが、これだとムシャムシャ食べられる。

朝食べたきりだから焼酎の酔いは早く回る。酔ってくればこっちのものである。ちょこっとつまんだだけで食べた気になって、帰宅して風呂に入って酔いを加速させて寝る。

ぐるぐる回るような気分になる。心臓に悪そうだ。不健康な話だが、体重を減らしたければ不健康になるのがてっとり早い。

酒のカロリーもそれなりに意識して、時にはまっすぐ家に帰って、酒抜きで侘びしい夕食を摂ったこともある。

何度かやったのが「モヤシ攻撃」である。茹でたモヤシにポン酢をかけたり、時には焼肉のタレをかけて味わう。

モヤシだけだと切ないので、レンジでチンしたプレーンのサラダチキンをトッピングした。シミったれた中にも肉っぽい感じが加わることで何とか耐えられる。

問題は酒を抜いた夜は寝付きが悪い点だ。こればかりは睡眠導入剤か安定剤の力を借りるしかない。ここ1ヶ月はいつもより服用したからボケが加速するかもしれない。

なんだかこうやって書いてみると、ちっとも身体に良いことをしていない。複雑な気分だ。

ちょっとばかり体重を落とすために、あえて不健康な暮らしを選んでいる。まさに本末転倒だ。まあ、それも私らしいのかもしれない。

こんな生活スタイルに慣れてきたので、まだまだ体重は落とせそうだが、残念ながら「ケツカッチン」が近づいている。そろそろ終了である。

今週末は1年に1度の我がオジサマバンドのライブだ。一応、その日を期限に設定して節制を続けていた。ちょっともったいないけど期限切れだ。

おそらく来週からはカツ丼やウナギやピラフといった面々が私の身体を膨張させるのだろう。

2017年11月13日月曜日

ワイ談のわらしべ長者


情けない話だが、誰かと酒を飲むとワイ談ばかりしている。今さら気付いたわけではないが、由々しき問題である。

ひとり飲みの時はもちろんそんなことはない。ちゃんとダンディーで寡黙な男を演じている。

馴染みの店に行っても、カウンター越しに店の人相手にワイ談を爆発させることはない。当たり前か。

仕事絡みの酒はさておき、男同士の飲み会では6~7割ぐらいの時間をワイ談に費やす。オネエサンが横に座ってくれる店に行ったら8割ぐらいはワイ談を語る。

もはや「ワイ談マスター」である。ちっとも自慢にはならないが、ひょっとしたら達人の域に達したかもしれない。アホでスイマセン。


童話・わらしべ長者を思い出していただきたい。会う人ごとにモノを交換して最後には大金持ちになる話だ。

私の目標は「ワイ談のわらしべ長者」になることである。ワイ談のネタを披露することで会った人々からもネタを提供してもらい、段々とスケールアップしたワイ談を身につけようという崇高な作戦だ。

小学校高学年の頃は、辞書に載っている「性交」「陰部」などの言葉にすら興奮を覚えた。あの若々しく可愛い感性は今の私には無い。

歳を重ねるごとに耳にするエロ話は質量ともに増大していった。辞書に載っている文字だけで興奮した少年は、今やちょっとやそっとのエロ話では何も感じないオジサマになってしまった。

ワイ談といってもいろいろだが、私の場合は実際に起きた“事件”を当事者から聞くのが一番好きだ。リアルな感じが楽しい。

男からもいろいろ聞くし、女性にも取材活動を続けている。不思議と男から聞く話には「ヒット作」が少ない。やはり自分が男だから男の話の中に意外性を見つけられないのだろう。

女性はさすがにあからさまにエロ体験談を語らない。でも、そこを切り崩していくのもワイ談マスターとしての役割である。

そのあたりの戦略については以前にこのブログでも書いた。うまく引き出すことが出来れば、私の持ちネタを遙かに上回るスペクタルな話を入手することが出来る。

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2016/08/blog-post_19.html

そんなバカな行動を必死になって続けてきた私は、今更ながら女性恐怖症気味になってきた。私より二回りも若い人達が結構エグいネタを持っているからビックリする。

そういう人に限って、ぱっと見はエロ女王のような雰囲気は無い。清楚系だったり地味なタイプだったりするから世の中は分からない。

確かにワイ談ではなく、「実戦」の場においても、派手目でエロカワ系を装っている女性のほうが奥手なことは多い。

逆に奥手のように見える女性が超絶怒濤の“師匠レベル”に達していることは珍しくない。そういう時はちょっとアセる。

達人級の女性にぶつかると私自身の半生が品行方正だったかのように錯覚してしまうのだが、そういう人に限って、普段はエロ要素を完全封印している。

私の目がフシ穴なのか、女性が魔物なのか。こればかりは永遠の謎だ。

ワイ談業界?における最大の難問は「いかに冷静な表情を保てるか」に尽きる。他人のエロ話を聞き出すには必須条件だ。

ムホムホした表情はダメだ。鼻の穴が広がっちゃったり、その人を好色そうな目で見てしまうと一気に相手は身構えてしまう。

一応、私の場合、苦節ウン十年の修練のおかげで、たいていのエロ話なら政治経済を語るのとまったく同じ表情でやり過ごすことが出来る。

かといって、話の内容がスペシャルでワンダフルでアンビリーバボー!だと、時々はムホッとした表情になってしまう。

最近入手したネタとしては、バイセクシャルの女性が彼氏と彼女と同時に「展開」した話が素晴らしかった。

嫉妬と嫉妬、ワザとワザがぶつかり合う凄い話を聞かせてもらった。結果、私の鼻の穴は大きく膨らみ、違うところまで膨らみそうになった。

月曜からバカですいません。今週も頑張りましょう!

2017年11月10日金曜日

夢物語


あまり夢は見ない方だが、時々ヘンテコな夢を見て不快な気分で起きる。

原始人が遠くから私に向かってスカンクの死体を投げつける夢や巨大な虫に追われて逃げ惑う夢だ。それぞれ何度も見ている。

追われる、逃げるといった夢は日常の厄介事を反映しているのかもしれないが、寝起きがシンドくなるので困りものだ。

後悔する夢も時々見る。先日はそれこそ地団駄踏んで悔しがる夢を見た。

扉が3つ並んでおり、最後に開けた部屋にいる女性とベッドインしなければならないというハレンチな設定だ。

夢の面白いところは、そんな状況をまったく不自然に思わず、大真面目に悩むところである。

最初の部屋か2番目の部屋が大当たりだったらどうしよう。何かズルをする方法はないか等々、脳ミソはフル回転。

意を決して最初の扉を開ける。そこにはスリムでチャーミングな美人さんがニッコリ。凄く後悔する。残り二部屋がともにヘチャムクレのお婆さんだったら大変である。

二番目の扉を開ける。するとそこにはセクシーでグラマーな美人さん。どストライクである。またまた激しく後悔する。でもその瞬間に自分の「負け」を悟る。逃げ出したい気分だったがそうもいかない。

いや待てよ、最後の部屋にもひょっとしたら美女が待ち構えているかもしれない。そんな自己中心的な妄想が頭に浮かぶ。

そんなオイシイ話は夢の中でも起こりえない。

恐る恐る最後の扉を開ける。マツコデラックスみたいな体型のオバアサンが真っ赤なビキニを身にまとって入れ歯を洗っていた。

絶望である。夢の中なのに頭が真っ白になる。有難いことに夢はそこで途切れた。「その後の展開」は知らない。

もしかしたら私の脳が自己防衛を目的に「その後の展開」を記憶からシャットアウトしたのかもしれない。

バカみたいな話でスイマセン。

こんなアホ夢の他にも、内容はあまり覚えてはいないのだが、どちらかを選ばされる夢は何度も見ている。

そう書くと、日々、何らかの決断を迫られている人みたいでカッチョいいが、実際にはそんなことはない。

せいぜい焼鳥にするか寿司にするか、冷酒にするか焼酎にするか悩むぐらいである。

追われたり、逃げたり、決断を迫られたりといった場面は日常でそうそうあるものではない。

だったらナゼ夢の中でそんな目に遭うのか不思議で仕方がない。自分の深層心理がちょっと気になる。

8年前にもこのブログでヘンテコな夢の話を書いた。

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2009/07/blog-post_06.html

気のせいか、今の私の夢のほうがディテールが雑になっている。核心部分しか描写されていない感じだ。

日々の行動が昔よりも近視眼的になってきたのだろうか。大局的に物事を捉えられなくなったのかもしれない。

他にも10年ぐらい前までは割と頻繁に見ていた「空に浮上していく夢」を見なくなったこともチョット気になる。

両手を上下にパタパタさせると身体が浮き上がって、コツをつかめば空中散歩を楽しめる夢だった。

夢占い的には、「立身出世、独立、勝利」を意味する夢らしいので気に入っていたのだが、もう随分長いこと見ていない。

立身出世を願うような歳でもないし、誰かと争っているわけでもないから別に気にすることはないのだが、パタっと見なくなったから何となく淋しい。

ひょっとすると家庭生活から「独立」しちゃったせいで、あの夢を見なくなったのかもしれない。

いずれにせよ、夢なんか見ずにグッスリ眠るのが一番の幸せだ。私の場合、夢を見やすいのは深酒をした時が多い。

何事もホドホドにしたほうが間違いないことは確かなようだ。

2017年11月8日水曜日

AIBOとか

ロボット犬「AIBO」の新型が発表された。既に予約販売分は完売だとか。サポートや諸々の費用を入れれば30万オーバーのおもちゃだけに誰が買うのか気になる。

とか言いながら、実は私もAIBO復活のニュースを見てちょっぴり欲しくなった。その昔、初代AIBOが話題になった時には、単純に気味が悪いと思ったのに随分と変わったものだ。

初代AIBOが発売されたのは18年前だそうだ。私はその頃30歳を過ぎたばかりの若者だった。ロボットペットがお年寄りの淋しさを紛らわす時代が来るという話を聞いてもピンとこなかった。

50歳を過ぎ、なぜか一人暮らしをしている今の私は、ロボットペットという概念が分かるような気がする。

生きているペットを飼うのは厄介である。躾も面倒だし、気軽に旅行に行くことも制限される。

だいたい、可愛がっていたのに死なれちゃうのは堪ったものではない。自分より先に逝ってしまうと分かっているのに身内同然に暮らすのは結構キツい。

ちなみに、私のペットにまつわる思い出は「圧死」ばかりである。

子どもの頃、可愛がっていたセキセイインコの脚が汚れているからと祖母がインコちゃんの掃除を始めた。

軽く胴体を握っていたはずが、祖母が力加減を間違えて掃除が終わったときには死んでいた。子どもの私には大ショックだった。

その後、ヒヨコを飼っていた時、カゴから出して運動させていたつもりが、ちょっと目を離したスキに行方不明になり、祖母が座っていた座布団の下で圧死・・・。

いま思えば祖母も気の毒だった。いつも圧死事件の首謀者扱いである。やはり生き物を飼うのは大変である。

ロボットペットならギューッと握っても座布団に隠れていても、ちょっとやそっとでは圧死しないはずだ。

超高齢社会を迎えてますます増える淋しいお年寄りや、一人暮らしの中高年の暇つぶし役には最適だろう。

私の場合、まだ老境ではないので、日々の暮らしに淋しさは全然無い。強がりではなく癒しに飢えているわけでもない。

とはいえ、予定のまったくない週末に40時間以上も一言も発しないで過ごしていると何となく気まずい思いがする。

以前、ロボット掃除機・ルンバを使っていた時には「ルンちゃん、そっちじゃないぞ」などと声をかけてしまうことがあった。

ハタから見たら何ともマヌケな姿だろうが、不思議と勝手に動き回るモノには声をかけちゃうことがある。

どうせ声をかけるなら犬型ロボットを相手にしたほうがまだマシである。もし私がAIBOを手に入れたら、きっとアーダコーだと話しかけるはずだ。

自分で書いていて、実にヘンテコな姿だと分かっているのだが、よくよく考えれば普通にペットを飼っている人と変わりはない。

犬や猫にしても、しょせんは人間と会話できる相手ではない。それなのに飼い主は誰もがごく普通に人間言葉で話しかけている。

ペットを飼うことに興味がない私からすれば、それ自体がケッタイな行為に見えるのだが、ルンバ相手に会話をしていた私の“実績”を考えればエラそうなことはいえない。

グダグダ書いてみたが、実際にAIBOを買おうとしたわけではない。ロボットペットに癒しを求めるなんてカッチョ悪いという変なプライドが邪魔をしているのだろう。

というのは建前である。ホントは欲しい。でも、もっともっと進化した時点で買ってみたいというのが正直なところである。

最先端の機械製品なんて10年もすれば劇的に進化する。その時点で買ったほうが面白そうだというのが本心だ。

その頃になれば犬型だけでなく、チンパンジー型だって開発されるかもしれない。ゾウガメ型だって出来るかもしれない。

そっちの方が楽しそうだ。

10年経ったら買おうと思う。