2018年4月25日水曜日

銀座 同伴 オレの谷間


夜の街での「同伴」について書く。同伴出勤である。いうまでもなくホステスさんが客を連れて店に入ることだ。

早い時間帯に集客をはかりたい店側の戦略であり、ホステスさんにしっかり営業してもらう効果も狙った制度だ。

ホステスさんにはそれぞれ同伴回数のノルマがある。1ヶ月に2回とか4回とか、8回というノルマのホステスさんもいる。

ノルマ無しと言われて入店した新人さんも3ヶ月もすれば同伴ノルマを課されて奮闘し始める。

そのうち、同伴予定が無いなら来なくていいと、いわゆる出勤調整の憂き目にあう女性も少なくない。


銀座の夜6時頃は同伴の待ち合わせで街が賑わい始める。どこかで食事をして8時半にはご出勤というパターンだ。

7丁目、8丁目界隈のそれっぽい?飲食店は同伴客で賑わう。同伴客だけで埋まっているお寿司屋さんも存在する。そんな店に入ると、ある意味圧巻である。

いくつになっても男は単純だから、同伴にウキウキワクワクするお客さんは多い。その時間だけはお気に入りの女性を独り占めしているという一種のエクスクルーシブ感!?に浸っているわけだ。

不肖、私も同伴は何度もしてきた。20年ぐらい前のことを思い返してみると、確かに妙なワクワク感を味わった。

ホステスさんにとっては純粋に仕事だし、ノルマをこなすのに必死だ。こっちはこっちで店では出来ないようなクドキ話をどうやって繰り出そうか考えたりした。

あの頃は間違いなく今よりも純な気持ちがあった。そんな気持ちはいったいどこに行ったのだろう。。。

いまも時々、同伴に付き合う。もちろん、退屈で憂鬱だったらやらないわけだから楽しんでいるのは事実だ。でも、昔感じたワクワク感とは異質な気分で過ごしている。


いろいろな?義理みたいな同伴が多くなった。それ以外にも馴染みのオネエサンに延々と愚痴を聞いてもらったり、一人では入りにくい店に行きたいだけで強引に付き合わせたり、いわば“色っぽい気持ち”が鈍化している。

男たるもの、下心ブリブリで同伴するという魔界を漂ったほうが健康的である。もっとワクワクしないといけない。やはり初心にかえることは大事だ。

今よりもマメに銀座で飲んでいた頃は、ちょくちょく店前同伴もこなした。読んで字の如く、8時半ちょい前に店の前で落ち合って一緒に店に入るわけだ。

これでもホステスさんの同伴回数は1回にカウントされる。そのオネエサンがその日、他の客と実際に同伴出勤していた場合、店前同伴の客と合わせて1日で2回の同伴回数になるわけだ。ダブルである。

ホステスさんにとって店前同伴は一番嬉しい気遣いだろう。食べたくもない食事のために早めに支度する必要はないし、店に入る前にしこたま飲まされる心配もない。

モテたかったら店前同伴。 

オジサン達にとって、これは一種の真理かもしれない。まあ客側にしても義理立てしたいホステスさんに協力したいけど、気を使ってメシを食うのはゴメンだという時だってあるだろう。

メンドくさがりの人や、ウザッたく思われたくない人、はたまたイキなふりをしたい人なら、店前同伴はアリだと思う。


今日の画像は同伴メシの際に撮った画像だ。胸元ガッツリシリーズである。私にとっては嬉し恥ずかしシリーズともいう。

クラブの店内なら気にならない谷間攻撃も食事の店ではナゼか気になる。生々しいというか、一種独特のリアリティーで私の視線に迫ってくる。

これもまたエクスクルーシブ感である。この瞬間は私だけに谷間がサラされているというリアルな感じにたじろぐ。「俺のフレンチ」ならぬ「俺の谷間」だ。

でも私は紳士だから、財務省の事務次官みたいにヤボなことは言わない。心に秘める。

お店に入れば平気でガン見するのに、食事の席では純情な私は目が泳ぐ。財務省の事務次官よりよっぽど素敵な私である。

嬉しいけど目のやり場に困る。これだけ長く生きてきても、なんとなく挙動不審になってアワアワする。

ちょっとウソです。でも少しドギマギする。

じゃあ隠して欲しいのかと言われれば、そうとも言えない。男の哀しいサガである。

和服姿は別として、ホステスさんの多くが同伴メシの際の衣装を店に出勤した段階で着替える。すなわち、同伴メシの谷間ドッカン攻撃は、私だけがターゲットである。その事実に萌え萌えである。

谷間ドッカン攻撃に鼻の下を伸ばしながら食事を終え、お店に着いた後、そのオネエサンが胸元の開いていないドレスに着替えて席に着くことがある。

ちょっぴりガッカリしながら「あの谷間は、やっぱりオレだけの谷間だったんだ」と一人うなずく。

バカである。凄くバカだ。

それが男というものだろう。

2018年4月23日月曜日

オトナ食いは復讐か


疲労回復、滋養強壮、免疫力アップ、美肌効果、冷え性予防、目の疲労対策、血液さらさら効果、、、。こんな素晴らしい効能を持つ食べ物がある。

ウニである。ウニ、恐るべしである。


子どもの頃はウニをそんなに美味しいとは思わなかった。近所の安いお寿司屋さんからの出前ぐらいしか経験がなかったから品質はイマイチだったのだろう。

なんとなく生臭いような苦いような印象だった。ウニが苦手という人がいるが、多くが子どもの頃に食べたイマイチシリーズのせいだと思う。

大人になるにつれ、食べられるウニがランクアップして、気付けば大好物になった。時には“オトナ買い”ならぬ“オトナ食い”に励む。


先日もお寿司屋さんでウニが4種類あったから、ムホムホした顔で食べ比べした。エゾバフン、キタムラサキの2種類がムホムホ気分になれるウニだが、生モノだから食べるたびに風味が異なるのも魅力だ。

塩で食べたら大したことなかったのに醬油で味わったら抜群というパターンもある。

握りで食べる際も、海苔ナシか海苔アリかで大きく味の印象が変わる。

掴み所がない感じが“魔性の女”みたいで堪らない。つい追いかけたくなる。


寿司飯にウニを混ぜ混ぜして焼きおにぎりを作ってもらうこともある。表面は少しカリっと香ばしく、ほぐした中味はウニ特有のネットリ感が残って、これまた魔性の味がする。

冒頭でウニの効能を紹介したが、一般的には「不健康なもの」とイメージされることが多い。尿酸値が上がっちゃう性質が原因だ。

まあ、そんなことに神経質になっても、毎日毎日大量にウニを頬張る人なんかいないから、良い部分を意識した方が建設的だ。

抗酸化作用がある、免疫力を高めるなどと聞けば、罪悪感なしに楽しめる。ちなみにプリン体はイクラの10倍らしい。そういうことは聞き流せばよい。


ちなみに縄文時代の遺跡からもウニの殻やトゲが出土しているんだとか。日本人は古くからウニを愛している証拠だ。平安貴族の間でも高級嗜好品として人気だったそうで、尿酸値ウンヌンなんて話はヤボなだけだ。

先日書いたウナギの話もそうだが、どうも私が得意になって“オトナ食い”するものは、若い時代への復讐みたいな感覚が影響しているのかもしれない。

お坊ちゃん育ちだから、有難いことに食べ物に困ったことはなかったが、ウナギやウニを口にする機会はあまり無かった。

やたらと肉食好きな家庭だったから、すき焼き、しゃぶしゃぶ、ステーキなどには恵まれたが、魚っぽいものが主役を張ることはなかった。

お寿司屋さんやウナギ屋さんに連れていってもらった記憶もあまりない。出前の安物ウニしかしらなかったのも当然だ。

大学生の頃、北海道を旅して回ったときにバカみたいにウマいウニに遭遇した。まさに「知ってしまった哀しみ」である。一気にウニの大ファンになった。

とはいえ、上モノのウニは高い。学生の身分ではムホムホ食べられなかった。その後、安い居酒屋なんかで板のままドカンとウニを出してくれるような店にも行った。

ドッサリとウニが目の前に出てくるとニッコニコになるのだが、北の大地で口にした上モノとはやはり違う。憧れは募り続けた。


社会人になっても、若い頃はお寿司屋さんのカウンターは緊張の場所だ。値段が恐怖だったし、ウニよりイカだった。

連れていった女子が平然と「ウニください」などとのたまったら殺意を覚えていた。そんなものである。

それから10年、20年が過ぎ、いつのまにかお寿司屋さんで緊張感も無くホゲホゲする中年になった。同時にウニウニモードが爆発するようになったわけだ。

イタイケな若者だった私が憧れたウマいウニである。ドッサリ食べたかったウニである。もっと感激して正座でもしながら味わうべきなのに、塩が合うだの醬油じゃなきゃダメなのウザいことを言うようになってしまった。

初心に返らないといけない。昔を思い出してもっとウヤウヤしく味わうように心がけよう。

2018年4月20日金曜日

カジュアル靴の話


年齢とともに物欲はかなり収まったが、靴だけはいつでも欲しくなる。一種の病気だろう。

10年ぐらい前まで、ぐい呑み収集に躍起になったのだが、あれも確実に病的だった。多いときは50個ぐらい集まった。自分の口が50個あれば使いこなせたのだが、そんなはずもない。

ずいぶん処分して今では15点ぐらいしか残っていない。自宅でゆるゆると使っているが、新たに欲しがらなくなってから使用頻度自体が減った。

靴の場合、毎日必ず履くから、常に意識がそこに向かう。意識が向けば物欲が湧いてしまう。


先月、パリとローマに出かけた際、普段用のカジュアル靴をいくつか買った。娘との二人旅を楽しむために「靴なんか買わないぞ」と自分に言い聞かせていたが、ブレーキがかかったのはスーツ用の高級靴だけだった。

普段用のカジュアル靴は私の意識の中で別なモノみたいだ。靴は靴なのにカジュアル靴を「運動靴」と呼んでしまうせいで、ついつい余計なものまで買ってしまう。

フランスのメーカー「パラブーツ」のスニーカーなどを買った。いわゆる高級本格靴よりは安いが、いくつも買っちゃうと、総額ではエドワードグリーンだって買えるぐらいの散財になってしまう。

こういうのを無駄遣いと呼ぶ。だいたい、月曜から金曜まではスーツを着て、土日は家でホゲホゲしていることが多いから、カジュアル靴の出番は極端に少ない。

健康のために散歩に出るときはスポーツ用品店で買った運動靴だし、子ども達と会う時も洒落た靴など履かず、定番のクラークスのスリッポンである。


なのにカジュアル用の靴が増えていく。休みの日にはもっとアクティブに行動して、デートの予定でも作らないと小洒落た靴達の出番はない。

靴に対する物欲が異常に強まったのはここ10年ぐらいだが、思い起こせば青春時代にも靴に意識が向いたことがあった。

憧れたのはトニーラマのウェスタンブーツである。ジーンズにあわせて尖ったブーツを履くことにこだわった時期があった。


歩きにくかったし、時につま先が痛くなった。おまけに蒸れて不快なのに気にせず愛用した。ご苦労さまだった。カッコつけたい年頃には履いてみたくなるイケイケな靴だった。

今もショートブーツはいくつも持っている。
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2017/01/blog-post_25.html

寒い時期にスーツにも合わせやすいものが多いが、普段用にもいくつがお気に入りがある。


左がスペインのカルミナ、右がイタリアのタニノクリスチーである。ウェスタンブーツが好きだった若い頃の名残りで、ついついブーツも欲しくなってしまう。

滅多に履かないから靴にとっては気の毒だ。わがオヤジバンドのライブの際に履いたぐらいで、靴箱ではなく納戸に仕舞い込んでいる。

高校の終わり頃からは、流行を気にしてワラビーもしょっちゅう履いた。80年代前半の懐かしい思い出だ。コインローファーかワラビーが色気づいた男子の定番だった。

裾がフレア気味のファーラーのスラックスにワラビーという組み合わせである。渋谷あたりの男子はみんな似たような格好だった。



ネットで調べてみたら、今もファーラーのスラックスが売られていてチョット感動した。

なんだか話がとっ散らかってしまった。

カジュアル靴が増えていく話だった。そうした靴をもっと履き倒すには、週末にアクティブに行動するだけでなく、職場にも時々カジュアルな服装で行くしかない。

スーツじゃなきゃいけない決まりもないし、実際にラフな服装で出勤している社員もいる。私の場合、服選びがメンドーだから毎日毎日スーツを着ているようなものである。

靴のためにイメチェンでもしてみようか。いや、それだと今度はスーツ以外の服装にお金がかかりそうだから悩ましい。

サマージャンボまで待ってみようと思う。

2018年4月18日水曜日

ブランド養殖ウナギ


ブログを書く人はブロガー、バイオリンを弾く人はバイオリニストである。ウナギを愛する私は、ウナガーなのかウナギストなのか。

ウナギストのほうが響きがいいからそれにしよう。ウナガーだと怪獣みたいである。

すっかり高値になってしまったウナギだが、富豪を目指す私としては気にせずにムシャムシャ食べないといけない。

牛丼屋や弁当屋の安いウナギに手を出したいところだが、ウナギストとしてはマトモな店で悠然と食べるのが正しい作法である。


お寿司屋さんでもウナギがあれば本能的に白焼きなどで出してもらう。この画像は目白の「鮨おざき」での一枚。天然モノのデカいウナギだ。

普通に鰻重にしたら採算が合わないらしい。ちょこっとした焼き物にしてコースの一部に組み入れたり、私のようなウナガーをうならせるための特殊兵器?として仕入れているみたいだ。

さて、今日のテーマは天然か養殖かである。魚に関するウンチクで必然的に出てくる話だ。どうしたって、自然界の恵みのほうが有難いから「天然」と聞いただけで喜ばないといけないのが世の中の習わしである。

ウナギの場合、老舗の専門店だったら、上等な天然物を鰻重で食べようとしたら、1人前1万円でも済まないだろう。さすがに常識的な値段とは言えない。

では、養殖が劣るのかといえば、決してそんなことはない。ここはニッポンである。技術力や知恵、情熱、創意工夫に関しては世界トップレベルの日本人が手掛ける養殖モノの中には天然モノにも負けないレベルのウナギも存在する。

だいたい、天然モノを闇雲に崇拝したところで、すべてがすべてウマいわけではない。天然だからこそ善し悪しの差も出やすい。

上質な養殖モノであれば、品質管理の成果で安定的に高水準のウナギが供給される。小さく痩せた“名ばかり天然”を変な値段で食べるよりよっぽど幸せな気分になれる。


養殖ウナギのブランドとして有名なのが「共水ウナギ」だ。私が今まで感動した店の中にもこのウナギを使っている店は多い。

正直言って、その他の養殖ウナギとの微細な違いは私の味覚では分からない。タレの味の好みもあるし、結局は職人の腕にかかってくる。当然、ノンブランドだろうとウマい店のウナギはウマい。

まあ、そう言ってしまえばそれまでだが、ある程度言えることはブランド養殖ウナギをわざわざ使おうと考える“意識高い系”の店であれば、ダメダメな確率は低いということ。

そんな公式が当てはまらないこともあるが、こればっかりは生き物を人間が調理するわけだから、絶対の基準はない。


先日、別な種類のこだわり養殖ウナギを出す店に行ってみた。銚子市にあるウナギ卸会社が手掛ける「坂東太郎」というネーミングのウナギだ。

卸会社直営の鰻屋さんが日比谷にある「炙一徹」という店。有楽町ガード下の煙モーモーの焼鳥屋ゾーンのそばに、ちょっとだけ上品な様子の店構え。

短冊やくりから、肝焼きといった串モノもメニューにあるから「夜の鰻屋」としても使い勝手が良い。


串焼きの他にキモポン酢やう巻きでグビグビとホロ酔いになった後で鰻重サマの登場だ。

脂の乗りが良いのにしつこくはない。美味しかった。上に書いた共水ウナギもそうだが、上等な養殖モノの特徴は脂の質の良さだろう。

脂の乗りが良くてもいつまでも口に残るような脂っぽさは苦手だが、評判の高い養殖ウナギは脂がスッと消えていくような印象がある。次の機会には白焼きを味わってみたい。

それにしてもウナギの価格高騰は日本の食文化にとって痛手だと思う。若い人には手が出ない状態だ。このままでは世界に誇る鰻食文化の衰退は必至だろう。

高校生の頃、渋谷でチャラチャラしていた私の楽しみが、450円ぐらいで食べられた「うな玉丼」だった。センター街の外れにあった大衆的な鰻屋さんでガッついていた。

たしか鰻重は1200円ぐらいだった。うな玉丼で我慢しながら、あと数年も経てば1200円ぐらい払えると大人になることを楽しみにしていた。

今の高校生にしてみれば、大人になったところで鰻重は身近な存在には程遠い。気の毒なことだ。

日本中の占い師さん総出でウナギの稚魚が湧いている場所を探し当てて欲しいと願っている。

2018年4月16日月曜日

何を言っとるんだ、チミは!


私の現在のポジションは副社長だ。年齢は50代前半だ。そう書くといっぱしの貫禄が備わっていても良さそうだが、言動は若い頃から進歩がない。

なぜこんなことを書き始めたかというと、昭和の人気映画「社長シリーズ」を見たのがきっかけだ。充分オジサマであるはずの私だが、昭和の社長サン達のイメージには遠く及ばない。


「社長シリーズ」は、ご存じ森繁久弥演じる社長さんがテンヤワンヤを繰り広げるシリーズだ。Wikipediaによると昭和31年から昭和45年にかけて全部で33作品も作られたらしい。

いま、BS11で毎週放送されているのだが、先日見たのが「社長道中記」と「続・社長道中記」だ。昭和36年の作品である。

私が子どもの頃、勝手に想像していた「社長像」は森繁演じる社長さんの雰囲気である。

三つ揃いの背広のベストの前ポケットに両手の先をツッコミながら、お腹を突き出してウッシシしている貫禄のあるイメージである。

「何を言っとるんだね、キミは」。仏頂面でそんな言い方をする。「キミは」が「チミは」と聞こえるぐらいが社長っぽい。

50代で経営陣のハシクレにいる私も、立場としては「何を言っとるんだね、チミは」が出来るはずなのだが、そんな重厚感はまったく無い。

キャラ的な問題ではなく、イマドキの50代では昭和の頃のドッシリ感は出せない。加東大介演じる専務さんのように「それはですなあ。。。」と悠然と構えた感じも出ない。

若ぶっているつもりはないのだが、それが今の時代ってものだろう。昔の人の熟成感というか、老成感は現在からは想像できない。

ビックリしたのが「社長道中記」が公開された当時の森繁さんの年齢だ。48歳である。古ダヌキのような風貌の加東大介さんでも50歳である。私より年下だ。卒倒しそうになった。

社長シリーズが始まった当初の森繁さんは43歳である。木村拓哉より年下である。唖然とする。40代で十二分に「昭和の社長さん」の雰囲気がプンプン出ていたわけだ。

以前、このブログで書いたことがあるが、昭和の大人気ドラマ「太陽にほえろ」のボス役を石原裕次郎が演じ始めたのは30代である。それを知った時も衝撃だったが、「社長シリーズ」の森繁さんにもビックリだ。


映画の中で描かれる昭和という時代の大らかさも魅力的だ。ブラック企業だの、うつ病だの、コンプライアンスだのといった言葉とは無縁な空気が漂っている。

そりゃあ当時だってもちろん厳しさは同じだろうが、無機質でギスギスした雰囲気ではない。戦後復興から高度成長していくエネルギーに満ちた大らかさが感じられる。

それにしても、戦後の焼け野原からたった10年で「社長シリーズ」のような喜劇が作られていたわけだから、当時の人の元気さに感心する。

私が見たのは昭和36年の作品。戦後わずか15年程度だ。既に丸の内は整然とし、銀座のネオンも怪しく光っていた。

復興のパワフルさに改めて感心した。15年なんてアッという間である。私自身、15年ぐらいなら「最近」という感覚である。

玉音放送から10年やそこらで、森繁社長は銀座のマダムとネンゴロになろうと奮戦している。実にたくましいと思う。

エネルギッシュな先人達のおかげで今があるんだと痛感する。

そんな小難しい話より、社長さんとマダムの話だ。

60年ぐらい前の映画なのに、銀座のマダムに気に入られようとアレコレ頑張る社長さんの必死さが可愛い。今と何も変わらない。あと一歩のところで必ず邪魔が入っちゃうのが最高である。

60年前のヒヒオヤジを見習って、私も猪突猛進しようと思いを新たにした。

その前に、「何を言っとるんだ、チミは」というパフォーマンスを優雅にこなせるように頑張ろうと思う。

2018年4月13日金曜日

銀座 色の道


今年ずっとサボっていた夜の部活を何となく再開した。やはり春の陽気のせいだろうか。




この冬は銀座の麗しき女性達からのお誘いも沈思黙考、泰然自若?でやり過ごし、ひたすら冬眠していた。とくに理由はない。一種のバイオリズムのようなものだろう。

ノコノコ通い始めたら、それはそれで愉快な気分になって、お人好しの私は百戦錬磨の手練手管に絡め取られるわけだ。

「おもしろきこともなき世をおもしろく」をモットーにしたい私としては、それもまたいとをかしである。

シミったれた気分にならないことは大事だ。池袋の大衆酒場でホッピーとハムカツを楽しむのも快適だが、隣で呑んでいる見知らぬオヤジが明日にでも首をくくりそうな様子だったりすると、ゲンナリした気分が伝染しそうで危険である。

銀座の酒場には「負」の空気が漂っていない。勝ち組という言葉は好きではないが、そっち系の人が集まるわけだから、どこか上昇志向のような空気が漂う。

そういう空気の中に身を置くのは、まだまだ奮闘したい私にとってはエネルギーの充電につながる。

まあ、そんな綺麗事より素敵な女性にチヤホヤされて鼻の下を伸ばすのが単純に好きなんだろう。




以前は割とグビグビ飲んじゃって、調子に乗ってアフターに繰り出すこともあったが、今はさすがに眠さに負けてしまう。

アフターで盛り上がって、いい感じに発展しかけても、飲み過ぎたせいで「据え膳」を逃したこともある。

今はバカ飲みしなくなったので、そういう状況になっても臨戦態勢はバッチリなはずだが、それ以前に眠くなって帰っちゃうからムフフなハプニングは起きない。

諸行無常である。世の中、うまくコトが運ばない。まあ、だからこそ面白いのかもしれない。




考えてみれば、そんなもどかしさみたいな感覚もアノ街でぶらぶらする醍醐味なんだろう。

お世辞を真に受けて自分勝手に都合良く解釈したり、よからぬことを企んだり、女性陣相手にオジサマ達はあれこれと妄想を働かせる。

そんな妄想が現実になることは滅多にない。もどかしい話である。でも、もどかしいから楽しいという側面もある。

すべてが意のままだったら味気ない。ワクワクしない。色の道はその最たるものだ。

腹を探り合ったり、押したり引いたり、時にだまし合いのような駆け引きもある。だから面白いし、奥が深いわけだ。

と、エラそうに語ったところで、しょせん私も「あわよくば」を夢見るヒヒオヤジである。

わざわざ高い御勘定にも平気なフリをして、お世辞に浮かれ、同伴してと頼まれれば高いメシをご馳走して、結局、何も起きずに悶々と家路につく。

単なるMである。

昔々、若い頃にはるか年上の知人から「Mっぽい状況を楽しめるようになったらホントの大人だよ」と言われたことがある。

今の私はその言葉を噛みしめながら生きている。

2018年4月11日水曜日

デパスやらマイスリーやら



眠りの質が気になる。若い時のようにぶっ続けで10時間も寝られるようなファンキーな身体ではない。必ず1度はトイレに起きるし、全般的に眠りが浅い。

一番の問題は寝つきの悪さだ。しっかり酔っ払っていればストンと落ちるが、それ以外だと割と苦戦する。

逆流性食道炎のせいで、飲食後すぐに横になれないので、ホロ酔い程度で眠くなっても、無駄にテレビを見たり本を読んでいるうちに眠気が収まってしまう。

次の日の予定によっては安定剤の出番だ。デパスやエチゾラムが結構たくさんストックしてあるので、つい頼ってしまう。

睡眠導入剤のマイスリーを使っていたこともあったが、ボケの元凶という怖い噂を聞いて以来、安定剤で我慢している。

そうは言っても、去年あたりからデパスなどの安定剤も厚労省の基準が変わって医師からの処方に制限が加わった。

私のように「たかが安定剤」とナメてかかっていた人間が増えたせいで、事故などの問題も起きているようだ。

以前は、一度に100錠ぐらい出してもらえたが、今は1度に30錠が上限。たいして効き目が強くないから、気軽に飲んでいるが、やはり依存しすぎると何かと危ないらしい。

もともと、ボケるのが恐いというより、飲み過ぎて効き目が弱くなっちゃうのがイヤだから、なるべく服用しないようにしていた。

まあ、毎日のように飲むわけじゃないから気にしてもしょうがない。頑張っても寝つけない時は躊躇せずに飲んでしまう。

安定剤に頼らないようにするには、毎日ヘベレケに酔っ払うしかない。どっちが身体に有害かは悩ましい問題だ。

10年以上前、まだそうした薬に慣れていなかった時は、ヘベレケなのに多めに服用して世の中がぐるぐる回ったり、少し歩いただけで壁に激突したりコケたりして焦った記憶がある。

その頃は、もろもろの事情で家に帰らないことが多い時期だった。週末になるとほぼ毎週、熱海か箱根の温泉宿にこもっていた。

そんな状態だから酒量の割にはちっとも寝つけないで、酔ったまま睡眠導入剤や安定剤を飲んでいたわけだ。

いま思えば危なっかしい話だが、その時は単に深く眠りたいという気持ちだけで、薬を悪用している感覚はなかった。

でも、フラフラしたりグラグラしちゃう感じも、慣れるに連れて変に気持ち良くなっていたのも確かだ。どこか楽しんで服用していたのかもしれない。

危ない薬物に走っちゃう人も、きっと最初はそんな安易な非日常感を面白がって、そのうちエスカレートしてドツボにはまってしまうのだろう。恐い恐い。

先日、子ども達を泊まりがけで預かる際に「前に住んでいた家」に泊まる機会があった。いつもは、私の住むマンションに泊まらせるのだが、この時は諸々の理由が重なったせいでそういうことになった。

もとは私が設計から関わった家である。デザインや造作、インテリアもこだわって作った。

前妻サマのお宅になってから7年近くが経つが、基本的には変わらない。やはり寝泊まりするのは複雑な気分だった。

子ども達を寝かせた後、とっとと寝たかったのだが、静まりかえった家にいるとモヤモヤして眠れない。

別におセンチな気分になったわけではないのだが、何となく落ち着かない。安定剤や導眠剤があれば頼りたかったが、そんなものは手元に無かった。

結局、深夜3時過ぎまで寝つけず、朝は7時ぐらいから息子に冷やし中華を作るというオッタマゲな事態になってしまった。

肌身離さず持っている私の財布には、絆創膏やお守り、はたまた変な所が元気になる薬を忍ばせることがある。大事なのは、そんなものではなく、とっとと眠りに落ちる薬を常備することだと痛感した春の夜だった。